聖餐会での話_原稿_20231217

みなさん aloha そして メリークリスマス

わたしは1980年11月の末ころに宣教師に出会い、1980年12月7日にバプテスマを受けました。
それから43回目のクリスマスを迎えます。今年のクリスマスは家族がそろうという祝福を受けています。
家族は神さまが用意してくださった大きな祝福です。家庭の中で経験はたくさんの学びがあります。
福音の教えの中に、イスラエルの散乱と集合 があります。成長し、集合するとき喜びは大きいです。

今日、私に与えられたテーマは、「「わたしに従ってきなさい2023年新約聖書」の「黙示6-14章」から学んでわかったこと、感じたこと、経験から得た証など」です。
今日の話は長くなるかもしれませんが、あとに話す本田兄弟は評議員として毎月話をされるので、今日、時間が短くなっても来月があるので赦してくださるでしょう。

皆さんはヨハネによる黙示録はお好きですか?内容は理解されましたか?

皆さんは末の日がいつ来るのか、救い主が来られて、福千年がいつ始まるのか、知りたいですか。その前に何が起きるかを知りたいですか。
それまでに何をして、自分がどう備えるか知りたいですか。
知りたい方は、ぜひ聖典と預言者の言葉を学んでください。

来年の、というか、もう来月、あと2週間もすると、2024年になります。驚くべきことですが、それは真実です。
来年の日曜学校ではモルモン書を学びますので、モルモン書の宣伝もあわせて話をさせていただきます。

モルモン書のもとになったニーファイ書には大版と小版があります。

ニーファイは父リーハイが見た示現を自分も見たいと願いました。その結果、天使によって自分の子孫がどうなるのか、そして、この世の終わりまでの様子をすべて見ました。

このとき、ニーファイはレムエルの谷、つまり、荒野に出たばかりで、まだ独身です。その時に、自分が死んだずっとあとのこと、自分の子孫がどうなるか、そのまたずっとあとの末の日のことまで見せてもらったのです。

ニーファイは、自分の子孫がどうなるか、記録しました。コロンブスによってアメリカがヨーロッパの人たちに紹介され、多くの異邦人や失われたイスラエルの民が約束の地に来ること、福音が回復されること、多くの戦争があることも見て、記録しました。

しかし、ニーファイはこの世の終わりに起きることについては記録することを禁じられました。

この世の終わりについて記録する責任は、ニーファイよりも600年ぐらいあとにユダヤに生まれるヨハネという人に与えられていました。
ニーファイはその人の名はヨハネであるとはっきりと証ししました。ヨハネの黙示録には冒頭に誰の記録かが明記されています。
ヨハネの福音書やヨハネの手紙には、書いた人の名前は出てきません。

ニーファイは命じられた通り、示現で見た末の日については記録しませんでしたが、子孫に伝えたい気持ちは強かったと思います。
ニーファイの望みは、自分の子孫やユダヤ人や異邦人がキリストのもとに来て救いを得ることです。
末日に世に現れる自分の記録を読む人に備えてもらいたいと願っていました。

その鍵が自分の見た示現の中にあるのです。なんとかして、伝えたいですよね。

ここからはわたしの推測です。

ニーファイは自分と同じように末の日を示現で見たイザヤの預言を引用することで、世の終わりに何が起きるのかを版に刻んだのではないかと推測しています。

ニーファイの弟のヤコブが記録したように、版に文字を刻むのは大変な苦労を伴う作業でした。しかし、ニーファイはイザヤの預言の多くを自分の解説を含めて版に刻みました。

イザヤの預言は、黙示録と同じように、末の日に何がおきるか、どのように備えておくべきか、の記録です。

同様に末の日を見た預言者にダニエルがいます。

ニーファイよりもあとの預言者ですので、ニーファイは引用していませんが、ダニエルも、末の日に何が起きるかを見て、記録を残しました。

さて、イザヤ書もダニエル書も黙示録と同様に意図的にわかりにくい表現で記録されています。なぜでしょうか。

イエス様がたとえで語られたとき、弟子たちがなぜたとえで語られるのかを尋ねました。
イエス様は マタイ13章10節~13節 と答えられました。

10 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」。
11)そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
12)おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
13)だから、彼らにはたとえで語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである

背教した人々に記録が抜き取られたり、変えられたりしないためにも、わかりにくくする必要がありました。

これらの預言は末の日を生きるわたしたちのために残されました。

わたしたちは、「天国の奥義を知ることが許されている」人々です。

恵まれて、私たちには、すべての聖典といろんな人な見解と御霊の助けを願うことで、その意味を理解する、もしくは理解できたようになった気になる、ことは可能です。

そうでなければ、イザヤやニーファイやダニエルやヨハネが記録を残した意味がありません。彼らの労苦を意味あるものにするのはわたしたち読み手の責任です。
また、すべての預言者の言葉が事実となって、わたしたちが目にするときに、それがすでに預言されていたことだとわかることが大切だと思っています。

鍵は、モルモン書と教義と聖約と預言者の言葉です。

末日聖徒イエス・キリスト教会で教えられていることで、最近、強調されている、とわたしが感じていることは、イスラエルの集合と神殿活動と個人の啓示、家庭で福音を学ぶこと、日の栄の考え、つまり、救い主と同じようになることです。

また、末日聖徒イエス・キリスト教会の教義での中でもっとも目を引く、とわたしが考えているのは、救いの計画です。

これは神さまの作られた計画です。素晴らしい計画です。神さまが私たち一人一人を大切に思い、愛しておられることを知ることができます。
人は家族とともに幸せに過ごすときに最も大きな喜びがあります。

わたしたちは、この世に来る前に、この地上に生を受ける前に、神さまによって組織され、霊の状態で天という場所にいました。
霊にも個性があり、成長することができました。ここでいう成長とは、神さまの特質に近づくことを意味します。

しかし、霊の状態での成長には限度があるため、さらに成長するために、肉体を得て、前世の知識をいったんなくした状態で、善を選ぶという機会が与えられました。

与えられた、と言いましたが、強制的に与えられたわけでも、自動的に与えられたわけでもなく、わたしたちが望み、神さまと条件について合意をして、つまり、聖約を交わしたんだとわたしは考えています。

そして、神さまが善し、とすることを、前世での知識なしに、自分の判断だけで選ぶかどうかというステージへの来ることになりました。

神さまは、わたしたちが誤った選択もすること、誤った選択を罪といいますが、罪のあるままでは、神さまのようになれないことをご存知でした。
もちろんわたしたちも知っていました。

そのため、わたしたちが神さまのもとに帰るためには、身代わりに罪の代価を支払ってくれる救い主が必要でした。
神さまは救い主として誰を選ぶかと提案され、エホバとルシフェルが名乗りをあげました。そこで天で戦いが起こりました。

この戦いと言うのは、エホバ側につくか、ルシフェル側につくか、という選択の戦いです。この戦いは今の続いています。

わたしたちは前世での記憶をなくしているので、覚えてはいませんが、この地上で肉体を得ている人はみな、エホバの側に着いた仲間です。

わたしたちは、エホバを救い主として、彼の教えに従うことによって自分の罪の赦しを得ることができると知り、聖約を交わして、地上に来たはずです。

神さまは、私たちと聖約を交わされ、それを守られます。

わたしたちが神さまとの聖約を守る、別の言い方をすると、戒めを守るなら、神さまに近づき、戒めの破るなら、神さまから離れる、ということになります。

神さまは、人を使って、神さまの業を進められます。言い換えると、神さまの業に人を参加させてくださっています。

人が神さまの業、力を認め、自分の能力を伸ばす経験をするためです。

人に、神さまの業を進める力をお与えになります。

わたしたちが救い主のもとに来たのはそのためです。

イエス様が地上で味わわれたように、多くの誘惑と苦しみが、私たちを正しい道から外れさせようとします。

神さまの鉄の棒にしっかりとつかまって、神さまの前にへりくだって、神さまの教えにしたがう、つまり、神さまとの聖約を守るなら、神さまは私たちを守ってくださいます。

黙示録にある通り、ラッパがなり、封印が解かれるとき、わたしたちは、それが、すでに預言されていたことを知るでしょう。

ここで簡単に、ヨハネの黙示録の「黙示6-14章」の全体像をご紹介します。参考にしてください。

6章 巻物についていた6つの封印が解かれる
7章 使命をおびた天使と、集められた14万4千人の部族、それに続く義人
8章 7番目の封印が解かれると、ラッパを持った7人の天使が現れる
8章9章11章 7つのラッパが次々と吹き鳴らされる
10章 ヨハネが自分の使命を受け取る
12章13章 サタンの軍勢に対するキリストの教会とシオンの戦い
14章 最後の刈り入れの宣言

ネルソン大管長、神さまの預言者は、これから、神さまの素晴らしい祝福をわたしたちが目にする、と約束されました。

義人は恐れる必要はない、と何度も繰り返して教えてくださいました。
つまり、一般的には恐れるようなことが次々と起きる、ということです。

聖書やモルモン書や教義と聖約や高価なる真珠や預言者の言葉を学び、祈りもとめるなら、

聖典に書かれているススメや預言者の勧告、つまり、神さまの戒めを守ることが自分の目的になります。

大和郡山ワードの日曜学校の会長として、みなさんが熱心にクラスに参加していただいていることに感謝しています。
教師の責任を引き受けて、準備し、話し合いを導いてくださる教師の方々にも感謝しています。

ともに学び、ともに成長して、救い主の再臨に備えましょう。

JSは「『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。
人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」
と教えました。

モルモン書がたしかに神さまの御言葉であり、誘惑、つまり、一見魅力的な偶像がひしめく世にあって、私たちを救いに導くための鍵であること証しします。
聖典を学び、信仰と証しを強くするなら、これからの時代を恐れなく過ごすことができると証しします。

神さまの御業は偉大です。神さまと救い主の愛に感謝しています。悔い改めて救い主に従い、終わりまで耐え忍ぶなら、罪が赦され、神さまのみもとに家族として帰ることができます。
ネルソン大管長が神さまの預言者であり、私たちを導いておられます。

イエスキリスト様の御名によって証しします。



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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