2024/4/13
ペテロが三度主を知らないと言ったことについて
ある方から深い洞察を教えていただいたので
わたしも自分なりに考えてみました。
※ある方の深い洞察はここには引用していません
シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。(ルカによる福音書22章31節32節)
このあと、ペテロは自分の覚悟を告げますが、イエスさまは、ペテロが三度知らないということをあらかじめご存知でペテロにそのことを告げました。
ペテロは変貌の山での経験を含め、イエスさまを身近で見ておられたことや御霊の証によりイエスさまが神の子であることを知っていました。
ペテロは自分の覚悟表明の言葉通り、剣を振い、大祭司の僕の耳を切り落としました。イエスさまが捕えられるのを防ごうとしたのです。(ヨハネによる福音書18章10節)
しかし、イエスさまはそれを制止して、ペテロが与えた傷を癒やし、彼らに捕えられて連れて行かれました。
このとき、神さまの御子が(進んで)人に捕えらえるのを目の当たりにして、ペテロは混乱したのではないかと思います。この混乱に乗じてサタンはペテロの耳元で(心の中に)、不安の気持ちを抱かせる言葉をささやいたのだと思います。
ペテロはイエスさまがどうなるのかを気にしながら、見えるほどにそばにいながら、あなたは仲間だ、という言葉を「知らない」と否定してしまいました。
そして、ニワトリの声を聞いて、イエスさまの言葉を思い出し、外に出て激しく泣きました。
イエスさまはペテロが三度知らないということをご存知でした。そして、ペテロの信仰がなくならないように祈った、とペテロに言われたのです。
ペテロはそれまでのこともすべて思い出していたでしょう。イエスさまの十字架上での苦しみ、死、埋葬を見て、安息日の終わるのをじっと待っていたはずです。
女たちが墓に行き、亡骸がなくなっていることを聞いて墓に見に行きました。たしかに、亡骸がなくなっているのを見て、不思議に思いながら帰り、ユダヤ人を恐れて、ほかの弟子たちと一緒に戸を閉じた部屋に閉じこもっていました。(ルカによる福音書24章12節、ヨハネによる福音書20章9節、19節)
ペテロは水の上を歩くように招かれたとき、歩き始めたのに風が吹いて怖くなり、沈んでしまったり、嵐にあって、わたしたちが波に飲まれてもお構いにならないのですか、と言ったり、
わたしたちと変わらない(^_^)面をたくさん持ちながら、救い主の復活を目の当たりにしてからは、死をも恐れずに福音を広げることに生涯を捧げました。
そういう確信を得られるように努力したいと思います。
まずは、日々の悔い改めから。