モルモン書・モーサヤ書5章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書5章には、ベニヤミン王の言葉をすべて信じた民が心に大きな変化を感じ、自ら、残りの生涯を神さまの戒めに従うという聖約を交わした。
彼らはキリストの子として生まれ、自由と救いを得たことが記されている。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書5章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のモーサヤ書5章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
ー 広告 ー

モルモン書・モーサヤ書5章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書5章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書5章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

民はベニヤミン王の言葉をすべて信じた

民はベニヤミン王の言葉をすべて信じたために、

  • 民は、神さまの御霊を受けて、王の言葉が確かで真実であることを知っていた。
  • 御霊は、民が悪を行う性癖を二度と持つことなく、絶えず善を行う望みを持つように、民の心に大きな変化を生じさせた。
  • 民自身も、神さまの慈しみと御霊の現れにより、将来起きることをはっきりと見て、ふさわしければすべての物事について預言することができた。
  • 民は非常に大きな喜びを得た。

モルモン書に記載されているベニヤミン王の言葉を読み、へりくだって、その言葉を信じる人には、神さまの御霊により、それが真実である、という証が与えられ、心に大きな変化が生じ、大きな喜びを感じる。
おおきな祝福である。

(1-4節)

民は自ら誓約を交わした

民は残りの全生涯、神さまの御心を行い、神さまから命じられるすべてことについて神さまの戒めに従うという制約を交わした

そして、民は、天使によって告げられた、決して終わることの無い苦痛を招くことのないように、神さまの激しい怒りの杯から飲まないようにすると誓った。

民が交わした聖約により、民はキリストの子、息子、娘と呼ばれるようになった。

それは、救い主が霊的に、民を子としてもうけられたからであり、民が、救い主キリストの御名を信じて心が改まったからである。


「決して終わることの無い苦痛」
 ベニヤミン王に天使が説明した、罪を悔い改めずに生涯を終えた人が神さまの前で感じる苦痛。
「キリストの子、息子、娘」
 人はみな天の御父の霊の子どもである。そして、悔い改めて、キリストの贖いによって再び水と霊から生まれた人はキリストの子となる。

(5-7節)

参照聖句
神さまの子となる
(ヨハネによる福音書1章)
12)しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

(モーサヤ書27章)
25)主はわたしに言われました。『全人類,すなわち男女を問わず,すべての国民,部族,国語の民,民族が再び生まれなければならないことを不思議に思ってはならない。まことに,人は神から生まれ,肉欲にふける堕落した状態から義の状態に変わって,神に贖われ,神の息子や娘にならなければならない。

民はキリストの称号のもとで自由と救いを得た

民は、キリストの名を受けた。

救い主、キリストの名だけが、人に自由を与えることができる。
救い主、キリストの名だけが、人に救いを与えることができる。

生涯の最後まで神様に従順であれば、永遠に神さまの御名を受け続け、その名前で呼ばれ、神さまの右にいる。
この名は、戒めに背かない限り、取り去られることはない。
この名は、ベニヤミン王が与えるといった名であり、心から消えることが無いように戒めを守り続けるように勧めた。

キリストの御名を受けない者は、ほかの名で呼ばれ、神さまの左にいる。

(8-11節)

参照聖句
罪から解放されて自由となる
(ローマ人への手紙6章)
18)罪から解放され、義の僕となった。

(ガラテヤ人への手紙5章)
1)自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

神さまの右にいる人たち

キリストの御名を受け、いつも心にしっかりと記している人たちは、自分がどの声で呼ばれ、どの名で呼ばれるかを聞いてわかるようになる。
その人たちは、キリストの群れの中にいて、神さまに仕え、心の思いと志を同じにしている。

一方で、そうしない人たちは、神さまの左にいて、キリストの群れからも追い出される。
(12-14節)

参照聖句
神さまの右と左にいる人たち
(モーサヤ書26章)
24)見よ,これらの者はわたしの名によって呼ばれる。これらの者はわたしを知るならば,進み出て,永遠にわたしの右に一つの場所を得るであろう。
25)そして,第二のラッパが鳴ると,そのとき,わたしをまったく知らなかった者たちが出て来て,わたしの前に立つであろう。
26)そのとき,彼らはわたしが主なる彼らの神であり,彼らの贖い主であることを知るであろう。しかし,彼らは贖われないであろう。
27)そのとき,わたしは彼らに,彼らをまったく知らなかったと告げよう。これらの者は,悪魔とその使いのために用意された永遠の火の中に入るであろう。

ベニヤミン王の最後の勧め

救い主を信じる信仰を確固として揺らぐことの無いように
いつも多くの善い行いをして
神さまから自分のものとして、印を押されるように、

また天に招き入れられて、永遠の救いと永遠の命にあずかるようにしてほしい。

永遠の救いと永遠の命は、あらゆるものに勝る神の知恵と力、公正、憐れみによって与えられる。


人にできることは、自分にできる良いことをたえず行うこと

救いは、自分で勝ち取るものではなく、神さまから与えられるもの。

神さまの憐れみを求め、自分のものを施し、人を助け、他の人を傷つけないよう、悪を行わないように気をつけ、与えられたものに感謝して、悔い改め、赦しを願う。

(15節)

参照聖句
召しと選びを確かなものとする
(ペテロの第二の手紙1章)
10)兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。

おまけ

20代のころに書いたメモ

ベンジャミン王の言葉に対する民の反応
 全員が王の言葉を、「みたま」によって、真実であると知った。
 信仰によって、大きな喜びの知識を得た。

「みたま」
  心を非常に改めさせ、悪を行う性質を無くし、常に善を行う望みを与える。DC20:37


 生命と力の神髄

信仰
 常に予言と啓示のみたまを伴う神の僕の証を通して、神の御言葉を聞くことによりもたらされる。

民は従順に戒めを守ると喜んで誓約する。
 ベンジャミン王は民にキリストの名を付ける。
 キリストによって生まれ(心を新たにし)、自由と救いを得た。
 キリストの御名を受ける。
  ->キリストを父とする。
  父
   生命を与えるもの(キリストは永遠の生命、復活を与える)
   キリストに従うことによって、キリストの子となる。
 
罪を犯すならこの名は消される。
いつもこの名を忘れないように。
 固い信仰といつも多くの善い行い。
 ->永遠の生命

ー 広告 ー

モルモン書・モーサヤ書5章からあなたは何を学びますか



当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。
ー 広告 ー

広告