2022/02/13 「10 帰ろう:すべてを与えてくださった神様のもとに」に追記しています
2022/03/21 「藤井風 旅路」はいちクリスチャンにはどう聴こえたか を投稿しました
ひとことで言うと、藤井風さんの詞は神様の愛を感じさせてくれます。
そして、正しい生き方をするように人に勧め、誤った場合には立ち戻るように助けてくださいます。
この記事は現時点の個人的な見解です。いずれかの組織・団体によるものではありません。書き足りないところは追記していきます。ご了承ください。
ここでは、詞に注目し、メロディや歌声、そのほかの良さはおいておきます。
もうええわ:より良いもののために、よいものを捨てる
藤井 風 – “もうええわ” Official Video
風さん自身の解説→ “もうええわ”って何なん Kaze talks about “Mo-Eh-Wa”
この地上には善と悪があり、善に導く良心と悪に誘う誘惑があります。良心は神様からの贈り物で、誘惑は悪魔からくるものです。
あなたの良心は、正しいものを教えてくれます。誘惑は、あなたが神様から遠ざかるように誘います。
- 善は神様から、悪は悪魔からくる
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モロナイ書7章12節~13節
12)したがって、善いものはすべて神から出て、悪いものは悪魔から出る。悪魔は神に対する敵であって、絶えず神と戦い、また人を誘い、そそのかして罪を犯させ、いつも悪いことを行わせようとする。
13)しかし見よ、神から出るものはいつも善を行うように誘い、促す。したがって、善を行い、神を愛し、神に仕えるように誘い、促すものはすべて、神の霊感を受けているのである
生きていく中で、人に備わる欲望(食、支配、地位や名誉、虚栄心、所有欲、承認欲求、自己顕示欲、向上心、怠惰、ねたみ・・)を間違った方法で満たそうとする誘惑にかられることもあります。ときには「よいもの」ですら「よりよいもの」から遠ざける誘惑になりえます。
アダムが堕落して、人類が生じました。その際に、人は善悪をわきまえ、自分の好きなものを選ぶ自由を得ました。
善悪の選択は自由ですが、結果はその選択に付随します。棒の一方を持ち上げれば、他方も持ち上がるのと同じです。同じことをしながら別の結果を得ることはできません。より良い結果を得たいなら、より良い選択をする必要があります。
悪を捨て、良い選択は正しいことです。「より良い」選択をするために「良い」ものを捨てる必要があることもあります。
より良い人生を送るための鍵、神様に従って生きるために必要なものは、信仰と希望と愛。そして最も大いなるものは愛です。
- 悪から遠ざかり、よりよいものを選ぶ
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テサロニケ人への第一の手紙5章22節
22)あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。ルカによる福音書10章41節~42節
41)主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
42)しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。コリント人への第一の手紙13章
13)このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
神様の導きを離れ、自分勝手に選んだ結果、神様の祝福を失って、争いが生まれ、人に対する憐れみを失い、心が癒されない、わたしたちはそういう時代に生きています。
多くの人が一次的な快楽に身を寄せ、心からの喜び、互いへの信頼や愛をを失っています。自分の利益のために争いを起こし、ほかの人をないがしろにしています。
そんな中で、私たちは、善なるものを選ぶ努力をして、幸福を求めていく必要があります。
- 苦難の時代に生きる
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テモテ人への第二の手紙3章
1)しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
2)その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3)無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
4)裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
5)信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
神様は、人は誘惑を受けることも、人の力だけで誘惑には勝てないこともご存知でした。そこで神様は、人を助けるための方法を備えてくださいました。
ひとつは上にあげた「良心」、人を導く「聖霊」、そして「イエスキリストの贖い」です。「イエスキリストの贖い」により、人は罪をすてることができ、誘惑に打ち勝つ力や成長する力を得ることができます。
人が自分にできることをするときに、神様は助けてくださいます。罪や自分の弱さから自由になることができます。
- 神様から癒しを受け、自由を得る
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モーサヤ書3章19節
19)生まれながらの人は神の敵であり、アダムの堕落以来そうであって、今後もそうである。また人は、聖なる御霊の勧めに従い、主なるキリストの贖罪により、生まれながらの人を捨てて聖徒となり、子供のように従順で、柔和で、謙遜で、忍耐強く、愛にあふれた者となり、子供が父に従うように、主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従わないかぎり、とこしえにいつまでも神の敵となるであろう。アルマ書13章28節
28)しかし、あなたがたは主の御前にへりくだり、主の聖なる御名を呼び、自分が耐えられないような誘惑を受けないように、目を覚ましていて絶えず祈りなさい。そのようにして、聖なる御霊の導きを得て、謙遜、柔和、従順になり、忍耐強くなり、愛に富み、限りなく寛容になって、
やさしさ:神様の力、イエスキリストの哀れみの現れ
藤井 風 – “優しさ” Official Video
風さん自身の解説→ “優しさ”って何なん Kaze talks about “YASASHISA”
あらゆる人を癒し、高ぶるものを低くする「やさしさの力」は、神様の力であり、イエスキリストの哀れみ、寛容、愛の深さの現れです。
イエス様は、傷ついた心を癒し、弱いものを助け、悲しむものとともに悲しみ、高ぶるものを戒められます。わたしたちの過ちを赦し、なぐさめ、力づけ、もう過ちを犯さないように励ましてくださいます。
貧しい人を助け、ともに重荷を負い、悲しむものとともに悲しみ、慰めを必要とする人を慰め、憐れみを示す方です。
福音書を含む聖典には随所にイエス様のやさしさが記録されています。
- 優しさは力
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マタイによる福音書9章
13)『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。エペソ人への手紙4章
32)互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。イザヤ書63章
9)彼らのすべての悩みのとき、主も悩まれて、そのみ前の使をもって彼らを救い、その愛とあわれみとによって彼らをあがない、いにしえの日、つねに彼らをもたげ、彼らを携えられた。ヨハネによる福音書8章
7)彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
8)そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
9)これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
10)そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
11)女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
キリがないから:「今・ここ」に集中し最善をつくす
藤井 風 – “キリがないから” Official Video
風さん自身の解説→ “キリがないから”って何なん Kaze talks about “Cause It’s Endless”
人生は旅。目的はよりよい人格を築くこと。いまここで、目の前のできごとに、最善を尽くすこと。
そのことを知ったら、自分の未来は自分で築こう。神様はあなたを助けてくださいます。
- 神様の目的・人生の目的
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モーセ書1章39節
39)見よ、人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である。アブラハム書3章25節
25)そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。
過去や未来を考えるときりがない。思い煩っていてもよいことはおこらない。今日、今目の前にあることに集中しよう。明日のことは明日の自分に任せましょう。
- その日のことだけに集中する
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マタイによる福音書6章
33)まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
34)だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
罪の香り:誘惑の陰が見えたら立ち止まって
「もうええわ」で記載していることを繰り返します。
誘惑は、あなたが神様から遠ざかるように誘います。生きていく中で、人に備わる欲望(食、支配、地位や名誉、虚栄心、所有欲、承認欲求、自己顕示欲、向上心、怠惰、ねたみ・・)を間違った方法で満たそうとする誘惑にかられることもあります。誘惑はあなたをとらえて離そうとしません。しかし、誘惑に負けると、あとで気が付いたときにつらい後悔をします。
ハート(良心・理性)はそれを知っているので、誘惑に負けないように訴えかけます。誘惑が兆したときに、それに気が付いて、避けるように努力すれば、負けない力を得ることができます。しかし、一度だけではなく、繰り返し、繰り返し、誘惑に負けない努力は続けなくてはなりません。
誘惑に負けそうになったとき、負けてしまったときは、イエスキリストの贖いに頼って、やり直すことができます。あきらめずに努力を続ける人を神様は助けてくださいます。
神様を味方につけて、誘惑に打ち勝つ力を得たらもう怖いものはありません。
- 罪を認め、神様からのゆるしを得る
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ヨハネの第一の手紙1章7節~10節
7)しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8)もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9)もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10)もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。
調子のっちゃって:常にへりくだって、すべてに感謝する
あなたをほめ、自分の力を自慢するように、人の言葉に耳を傾けないように、誘惑する声はあなたを甘やかし、あなたの成長を止め、間違った方向へと向かわせます。
人はへつらいの言葉に弱い。ちやほやされて、自分を見失う。そして誘惑に負けてしまいます。
自分の力の限界を知り、謙遜になり、神様が与えてくださったものに感謝し、神様の力に頼り、正しい人の勧告に耳を傾け、誘惑から離れるときに、本当の力を得ることができます。
- 慢心を離れ、人に仕える
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箴言16章
18)高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。マラキ書4章
1)万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。ヤコブの手紙4章
6)しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
7)そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
10)主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。ヨハネの第一の手紙2章
15)世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
16)すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
17)世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
特にない:いろんな執着から離れて豊かに
モーセの十戒の10番目「むさぼってはならない」とあります。むさぼりはあらゆる罪の根源となるものです。
むさぼりとは単に欲しがることではありません。しきりに、はなはだしく、罪深く欲することです。
そして人からの見返りをもとめて善を行うとすると、それは得ても一時的なものです。
神様は隠れた良い行いを賞賛されます。自分を忘れて人に仕えるときに天に宝を持つことになります。
- むさぼりを慎む・隠れた行い
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ルカによる福音書12章
15)それから人々にむかって言われた、「あらゆる・欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。マタイによる福音書6章
1)自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
2)だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
3)あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
4)それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。モーサヤ書4章
22)あなたがたの持ち物はあなたがたのものではなく、神のものであり、命もまた神のものである。
26)自分の持っている分に応じて、それぞれ持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい。例えば、飢えている人に食べさせ、着る物のない人に着せ、病人を見舞い、各々の入り用に応じて霊的にも物質的にも助けを与えることである。
神様は人を愛しておられます。人に必要なものを与えたいと望んでおられます。与えられているものに目を向けることで満たされていることに気が付くことができます。
- 神様は必要なものを与えてくださる
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マタイによる福音書6章
26)空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
28)また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
死ぬのがいいわ:永遠の愛を与えてくれる神様から離れずに
変わることの無い愛を下さるのは神様です。あなたのために命を捨てるほど愛してくださっています。
神様の愛を知り、それを失わないように生きることができれば、幸福な人生を送ることができます。
人はときどき(しょっちゅう?)神様から離れてしまいます。
日々、悔い改め、改善するように努力して、私たちは神様に近づくことができます。神様はいつも両手をひろげてわたしたちに近づき、わたしたちを待っていてくださいます。
- 神様の愛
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ヨハネによる福音書3章
16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネによる福音書10章
15)わたしは羊のために命を捨てるのである。
風よ:人の栄華は移ろいやすい、正しい場所へ導きを求め
ひとの心は移ろいやすく、押し流されていれば、いつの間にか知らないところへと行きつくことになります。
栄華を誇った国も、慢心を募らせ、民の重荷になるとき、自分を滅ぼすものが現れます。
- 人もこの世の富も移ろいやすい
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イザヤ書13章
19)国々の誉であり、カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは、神に滅ぼされたソドム、ゴモラのようになる。
20)ここにはながく住む者が絶え、世々にいたるまで住みつく者がなく、アラビヤびともそこに天幕を張らず、羊飼もそこに群れを伏させることがない。
21)ただ、野の獣がそこに伏し、ほえる獣がその家に満ち、だちょうがそこに住み、鬼神がそこに踊る。
22)ハイエナはその城の中で鳴き、山犬は楽しい宮殿でほえる。その時の来るのは近い、その日は延びることがない。ヨハネによる黙示録14章
8)また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。
正しい場所に行きつくには、神様の助け・導きが必要です。祈り求め、導きに従い、その御手に身をゆだねて。
- 神様はあなたを導き永遠に豊かにしてくださる
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詩編23
1)主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
2)主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
3)主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
さよならべいべ:振り向かずに前に
自分を愛するからこそ、古い自分をすてて新しい自分になりましょう。歩みだしたら、振り向かず前に進みましょう。
わたしたちは、天の家を出て、ここへやってきました。
- やりはじめたら前に進もう・わたしたちは天から来た
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ルカによる福音書9章
62)イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。エレミヤ書1章
5)「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」
帰ろう:すべてを与えてくださった神様のもとに
藤井 風 – “帰ろう” Official Video
風さん自身の解説→ “帰ろう”って何なん Kaze talks about “Kaerou”
人が住むようにこの地が、この世界が作られました。
人は裸でこの地上に来て、裸でこの世を去るのです。手に何も持たずに来て、何も持たずに去るのです。
天を離れ、地上に来た時に肉体を得て、自分を養い育てる人々に守られ、成長に必要なものを与えられ、いろんな学びのあと、この世を去り、また天に戻るのです。
この世界にあるものは神様が作られたものです。人が自分で得たと思っていても、与えられたものです。天に戻るときに持って帰れるのは人格とつながりだけです。他はすべてここに残していくことになります。
- 世界が作られ、裸できて、裸で帰る
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コロサイ人への手紙1章
16)万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
17)彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。モーサヤ書2章
20)あなたがたを造り、あなたがたを守り、あなたがたに喜びを得させ、互いに平和に暮らせるようにしてくださった神
23)神はあなたがたを造り、あなたがたに命を与えられた。モーサヤ書4章
22)あなたがたの持ち物はあなたがたのものではなく、神のものであり、命もまた神のものである。ヨブ記1章
21)そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。伝道の書12章
7)ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
–2022/02/13追記 ここから–
神様・御子イエスキリスト・聖霊は「光」。世を照らす光。福音は私たちを光へと導き、わたしたちをも世の光としてくださいます。わたしたちは光(善)を求め、世の人の前に善の光を輝かすことを求められています。
- 世の光
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ヨハネによる福音書8章
12)イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。マタイによる福音書5章
16)そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
赦しはキリストの教えの根幹の教えです。赦しは愛につながります。わたしたちは不完全で過ちをするものです。幼い子供とイエスキリストをのぞいて、地上に生を受けた人で人を傷つけたりあやまちをしなかった人はいません。人を裁くのは神様の役割であり、人は互いにゆるしあうように求められています。人を赦すとき神様はあなたを赦してくださいます。
- 人を赦す
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マタイによる福音書5章
7)あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
44)しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
45)こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。マタイによる福音書6章
14)もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。教義と聖約64章
9)あなたがたは互いに赦し合うべきである。
10)主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。
- 神様の愛、わたしたちの愛
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ヨハネによる福音書3章
16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。マタイによる福音書22章
37)イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38)これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39)第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。コリント人への第一の手紙8章
3)しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。ガラテヤ人への手紙6章
2)互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。ギリシアの劇作家ソフォクレス
「人生のあらゆる重荷と苦痛から解放する一つの言葉がある。その言葉とは愛である。」
Oedipus at Colonus,The Oedipus Cycle に収録
わたしたちが地上に生まれてきたのは、よりよい人格を築き、神様に近づくための選択をするためです。
神様に近づくならば、幸福な人生と最大の祝福を手にすることができます。
–2022/02/13追記 ここまで–
そのために、あなたを豊かに祝福し、あなたを幸福へと導いておられます。
しかし、人は時として、神様から離れることもあります。
そんなときでも神様はずっとあなたのことを見守っていてくださいます。
あなたが、神様のほうにもどってくることを願っておられます。助けてくださいます。
「いつも聖書を読んでいる方に"藤井風"はどんな風に聴こえるのだろう」 という質問をうけましたので、風さんの詞についての私の個人的な解釈と聖典の言葉を書いてみました。 ひとことで言うと、「藤井風 なんなんw」の詞は神様の見守りを感じさせて[…]
神様はあなたの人生の旅路をずっと見守っていてくださいます。悩み苦しみ、失敗や挫折を経験し、それを乗り越える力を与え、間違ってたことに気が付いて戻る力を与え、この人生で何を学び、どう生きるかを教えてくださいます。あなたを豊かに祝福し、あな[…]