「藤井風 旅路」はいちクリスチャンにはどう聴こえたか

神様はあなたの人生の旅路をずっと見守っていてくださいます。悩み苦しみ、失敗や挫折を経験し、それを乗り越える力を与え、間違ってたことに気が付いて戻る力を与え、この人生で何を学び、どう生きるかを教えてくださいます。あなたを豊かに祝福し、あなたを永遠の幸福へと導いておられます。

「いつも聖書を読んでいる方に”藤井風”はどんな風に聴こえるのだろう」という質問をうけましたので、 「藤井風 なんなんw」はいちクリスチャンにはどう聴こえたか や 「藤井風1StアルバムHEHN」はいちクリスチャンにはどう聴こえたか という記事を書きました。今回はその続編です。
藤井風さんの「旅路」の歌詞についての私の個人的な解釈と聖典の言葉を書いてみました。

ひとことで言うと、藤井風さんの詞は神様の愛を感じさせてくれます。

神様はすべての人を愛しておられます。
そして、正しい生き方をするように人に勧め、誤った場合には立ち戻るように助けてくださいます。

この記事は現時点の個人的な見解です。いずれかの組織・団体によるものではありません。書き足りないところは追記していきます。ご了承ください。

ここでは、詞に注目し、メロディや歌声、そのほかの良さはおいておきます。
風さんは曲を邪魔しないように歌詞をつけている、と解説されています。しかし、詞(詩)だけでもその発想力に驚嘆させられます。たとえば、1stアルバム「HEHN」の「特にない」の歌詞に「ご褒美欲しがるからいつも腹が減ってる」という言葉があります。「ご褒美欲しがる」けれど、与えられないので、満たされない、という感覚を「腹が減ってる」という言葉で表現されています。

藤井 風 – “旅路” Official Video(Youtube) へリンク

藤井 風 – “旅路” Behind The Scenes(Youtube) へリンク

帰ろう 歌詞
藤井風 「旅路」 ソングライター: Fujii Kaze

凡例

●詞の断片

私にはどう聴こえたか

対応する聖典の言葉
※量が多いので聖典の言葉は閉じています。
(操作方法)右の「+」付近をクリックすると聖句が広がって出てきます。そのあと、「-」をクリックすると閉じます。

●あの日のことは忘れてね

人を赦すために必要なものはその人への愛です。
そしてそれは自分が平安な気持ちを得るためにも必要なことです。

人を赦すことの最大の方法は、相手がしたことを忘れることです。

相手に悪いことをしたと長い間思い悩んでいたことを話したときに、そんなこと忘れたわ、と言われたことがありました

相手が自分にあたえた痛みや苦しみを忘れ、犯した罪を忘れ、立ち直った人として見ることは、その人への大きな愛の現れです。

神様は、人を赦し、人を愛することを教えています。

神様も、私たちが悔い改め、善の道を歩もうとするなら、罪を赦し、忘れてくださいます

人を赦す・罪を赦す

教義と聖約58章
42)見よ、自分の罪を悔い改めた者は赦され、主なるわたしはもうそれを思い起こさない

マタイによる福音書5章
44)しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ

ルカによる福音書6章
37)人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう

ヨハネの第一の手紙3章
14)わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。
16)主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

創世記
アブラハムの孫にあたる双子の兄弟、エサウとヤコブの物語や、エジプトに売られ、エジプトの宰相となったヨセフとヨセフをねたんで奴隷として売った兄たちの物語も赦すことを教えています。

彷徨う
てんぱる

●彷徨う

ひとはみな自分は何者なのか、何のために生まれてきたのか、善と悪の間で彷徨っています。

悪魔は人をみじめな状態にしようと誘惑しています。
神様は人を導き、正しい道に連れ帰ってくださいます

人は知らずに、また、自分の欲のために、誘惑に負けて、善を離れ罪を犯すこともあります。
神様は、人が悔い改めるときに赦しをあたえ、ただしい道に戻れるように助けてくださいます。

さまよう

第二ニーファイ2章
16)そのようにして、主なる神は思いのままに行動することを人に許された。しかし人は、一方に誘われるか他方に誘われるかでなければ、思いのままに行動することはできなかった。
18)彼(著者注:悪魔)は天から落ちて、とこしえに惨めな状態になったので、全人類もまた惨めな状態にしようとした。(後略)
21)また、人の子らの命は、肉にある間に悔い改めることができるように、神の御心によって引き延ばされた。したがって、彼らの状態は試しの状態となり、彼らの寿命は主なる神が人の子らに与えられた命令で長くされた。主なる神が、すべての人は悔い改めなければならないと命じられたからである。主なる神はすべての人に、先祖の背きのために彼らが道に迷った状態にあることを示されたのである。

讃美歌 主はわが飼い手 1番

主はわが飼い手
 われ足れり

緑の野に
 住まわせて

憩う水際に
 連れたもう

さまようときに
 主は生かし

苦しむとき
 救いたもう

詩編23編
3)主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

●この宇宙が教室 学びは続く

神様は人が成長する機会を得ることができるように天地とそこにあるすべてのものを創造されました。
人はこの世で経験を通して学び、成長し、神様の特質を磨き、神様のみもとに帰るように期待されています。

私たちは神様の恵みにより能力を得、成長することができます。

この宇宙が教室 学びは続く

アブラハム書3章
24)そして、彼らの中に神のような者が一人立ち、ともにいた者たちに言った。「あそこに空間があるので、わたしたちは降って行こう。そして、これらの材料を取って、これらの者が住む地を造ろう
25)そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。

(リチャード・エバンズ,Quote Book(1971年),74)
「人に与えることのできるものと,でないものがある。すなわち,自ら手を伸ばしてつかみ取り,進んで代価を支払わなければ獲得できないものがある。勉学,才能の開発,知識の吸収,技術の獲得,人生のあらゆる教訓に,この原則が当てはまる。」

教義と聖約93章
20)あなたがたは、わたしの戒めを守るならば、父の完全を受け、わたしが父によって受けているように、あなたがたはわたしによって栄光を受けるからである。それゆえ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは恵みに恵みを加えられるであろう、と。

●隣同士

神様は自分を愛するように隣人を愛するように訓戒されました。

私たちは、天の御父(神様)の子供として,すべての人は男女を問わず,霊的な意味で兄弟姉妹です。

私たちは、互いに愛を持って助け合うように、との訓戒も受けています。

隣同士、隣人を愛する

マタイによる福音書22章
36)「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
37)イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38)これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39)第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40)これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

ルカによる福音書22章
32)あなたが立ち直ったときには,兄弟たちを力づけてやりなさい

教義と聖約38章
24)それぞれ自分の兄弟を自分自身のように尊ぶようにしなさい,

●果てしないと思えても終わりがくる

世にある形あるものは、どれほど栄えていてもいつか終わりを迎えます。
生は死を迎え、栄華は衰退します。

旧約聖書の時代に、イスラエルを苦しめた、アッスリア・バビロニア・ペルシャ・ギリシャ・ローマはその栄華を保つことができず滅びていきました。
それは、自分の栄華に溺れ、民を顧みなかったためでした。

果てしがないのは神のみ

伝道の書3章
11)神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
14)わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。

19)人の子らに臨むところは獣にも臨むからである。すなわち一様に彼らに臨み、これの死ぬように、彼も死ぬのである。彼らはみな同様の息をもっている。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。
20)みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る

●優しくなれる

神様の訓戒は、互いに人の力の限界を知り、不完全さを認め、互いにゆるし、愛し合い、助けあうようにというものです。
それはつまり、互いに優しくなる、ということです。

力の源は寛容・温厚・柔和・優しさ

教義と聖約98章
40)二度目も、三度目も同様にしなさい。あなたの敵があなたに対して犯した過ちを悔い改める度に、七の七十倍まで、あなたは彼を赦さなければならない

教義と聖約121章
41)いかなる力も影響力も、(中略)ただ、説得により、寛容により、温厚と柔和により、また偽りのない愛により
42)優しさと純粋な知識による。これらは、偽善もなく、偽りもなしに、心を大いに広げるものである。

45)またあなたの心が、すべての人に対して、また信仰の家族に対して、慈愛で満たされるようにしなさい。絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。

●先の長い旅

私たちは、ずっと過去から存在し、ずっと存在し続けます。
この地上での生活は、その間の短い部分にすぎません。
やがてわたしたちこの世に生を受けた人はすべて復活し、生き続けることになります。

この地上で得るものと成し遂げたことは、そのあとのわたしたちにずっと影響を与え続けます

この世で得た知識と英知は持ち続けることができる

教義と聖約130章
18)わたしたちがこの世において得る英知の一切は、復活の時にわたしたちとともによみがえる
19)そこで、もしある人が精励と従順によって、この世でほかの人よりも多くの知識と英知を得るならば、来るべき世でそれだけ有利になる。

●誰かを愛したり、すべてを愛すだろう

神は愛であり、わたしたちがこの地上で伸ばすべき特質で最も大切なものは純粋な愛(哀れみ、理解、忍耐・・)です。

私たちの多くは、純粋な愛に巡り合う時に感動し、安らぎを見出します。
純粋な愛を人に分かち合う時に、喜びに満たされます

愛の特質

コリント人への第一の手紙13章
1)たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい応鉢と同じである。
2)たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
3)たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4)愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5)不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
6)不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7)そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
13)このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である

鍵が見つかり扉があいた
鍵が見つかり扉があいた

●この日さえも懐かしんで

苦しい経験ですら、私たちの成長のためにあります。
苦しい経験が忍耐力を伸ばし、信仰と希望の力を育ててくれます。
才能が花開いたとき、それまでの苦しい経験が通るべき道だったと理解することができます。

スポーツや芸術や、そのほかあらゆる分野で、私たちはこのことを知ることができます。

苦しい経験は益になる

教義と聖約122章
7)また、たとえあなたが穴の中に投げ込まれたり、殺人者の手に渡されたりして、死刑の宣告が下されても、たとえあなたが深みに投げ込まれても、たとえ寄せて来る大波があなたを巻き込もうとしても、たとえ暴風があなたの敵となっても、たとえ天が暗黒を集め、すべての元素が結束して道をふさいでも、また何にも増して、たとえ地獄の入り口が大口を開けてあなたをのみ込もうとしても、息子よ、あなたはこのことを知りなさい。すなわち、これらのことはすべて、あなたに経験を与え、あなたの益となるであろう。

第二ニーファイ2章
2)しかしながら、荒れ野で最初に生まれたわたしの子ヤコブよ、あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して、あなたの益としてくださる

振りかぶって
振りかぶって一芸

●青春、少年

少年から青年へ、人は成長していきます。
若々しさを感じる町は、これから成長すると感じる人は、短期間で大きく成長していきます。

神様は、少年や青年の心(柔らかい心)を持つ人を召して多くの人を救い出されます。

預言者サムエルは幼い時に神様の声を聴きました。ダビデ王は少年の時に巨人ゴリアテと戦いました。

神様は年若いものを召される

サムエル記上3章
6)主はまたかさねて「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとへ行って言った、「あなたがお呼びになりました。わたしは、ここにおります」。エリは言った、「子よ、わたしは呼ばない。もう一度寝なさい」。

サムエル記上17章
4)時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。
42)ペリシテびとは見まわしてダビデを見、これを侮った。まだ若くて血色がよく、姿が美しかったからである。

●走ってます

目標にむかって走ることで結果を得ることができます。
賞を得る人は、ほかの参加者よりもよく準備をして臨みます。

神様は、信仰を最後まで保ち続けることを、賞にむかって走り続ける競技者にたとえられています。
よく準備して競技に臨み、途中であきらめず、最後まで自分の力を出し切る、という意味で。

信仰を競争にたとえる

コリントの人への第一の手紙9章
24)あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
25)しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。

テモテ第二の手紙4章
7)わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
8)今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

●永遠を求めています

「永遠」とは神様のことです。(別名という意味です)
私たち人類にとっては、神様は、始めなく(わたしたちより前に存在し)、終わりなく(ずっと存在されていて)、人の感じる時間とは無関係に存在するお方です。

わたしたちには、神様から良心が与えられており、聖霊の導きを感じ、神様やその祝福、臨在を求める気持ちが心に宿っています。

私たちが善を選び行う時に、平安を感じるのはそのためです。

神様は永遠の命(神様のLife)をあたえてくださる

ヨハネによる福音書3章
16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

神様ははじめでありおわりである
第三ニーファイ9章

出エジプト記3章
14)神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者(I AM THAT I AM)」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る(I AM)」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

第三ニーファイ9章
18)わたしは世の光であり命である。わたしはアルパでありオメガであり、初めであり終わりである。

教義と聖約19章
1)わたしはアルパでありオメガであり、主なるキリストである。すなわち、わたしは初めであり終わりである者、世の贖い主である。

●果てしないと思ってたものがここには無い

過去の人々が懸命に努力して得ようとしてきたあらゆるものが,今日,わたしたちのまわりにはあふれています。
本当に価値あるものはその中にあるでしょうか。そういう疑問に出会うことは本当に大切なものを見出すためにはよいことです。

永遠に価値あるもので、この世で培うことができるものは、家族とのつながり、人とのつながり、人の人格です。
私たちは、それを育てるために、この世で経験をしているのです。

失ってはならないもの

マルコによる福音書8章
35)自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
36)人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
37)また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

●全てに意味はある

この世に来た目的は、きずなを深め、愛を学ぶことです。

今、苦しい経験をし、つらい思いを抱いているとしても、
私たちは、神様がどんな意図をもって、この経験を与えてくださっているのかを知ることはできません。
ただ、万事をご存知の神様が、この経験を良いものとしてくださることを信じて、神様やほかの人の力を借りて、乗り越えることができるだけです。
この経験によってしか、学べないことがあるんだと信じることです。

神様の思いは異なる

イザヤ書55章
8)わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。
9)天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い

訓練として受け入れる

ヘブル人への手紙12章
5)また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、/「わたしの子よ、/主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
6)主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。
7)あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
10) 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
11)すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

テモテへの第一の手紙4章
8)からだの訓練は少しは益するところがあるが、信心は、今のいのちと後の世のいのちとが約束されてあるので、万事に益となる。

いろんな愛を受け取って
いろんな愛を受け取って

●いろんな愛を受け取って

生きている限り、生まれてから死ぬまで、神様やほかの人の助けなしに生きることはできません。

毎日食べているものは自分で作り出したものではありません。
農作物は太陽と水と土の中の栄養分がないと育ちません。
青草を食べて育つ家畜は、人の努力だけで成長するものではありません。
スーパーに並んでいるものは、それを作り出し、届けてくれる方々がいなければそこに並ぶことはありません。
道路はいつの間にかそこにあるのではなく、いろいろな人の労働によって作り出されるのです。

神様や、つながりのある人たちや知らない人たちからの優しい言葉かけや、奉仕、学びの分かち合い、助け合い、

気が付かないだけで、気にしていないだけで、沢山の愛を日々受けています

愛は神様からくる恵みです。

神様の愛

ヨハネによる福音書3章
16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

●あなたに返す

ある人から受けた愛をその人やほかの人に返す
神様から受けた愛を神様に返す。
神様に愛を返すとは、神様に従い、ほかの人に愛を示すことです。

そうするときに、私たちの愛はより強くなり、ほかの人を助けたい気持ちが強くなります

神様に従うことで神様に愛を示す

ヨハネの第一の手紙5章
1)すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。
2)神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
3)神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。
4)なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
5)世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。

人を愛することで神様に愛を示す

モーサヤ書2章
16)見よ、わたしはあなたがたに言う。わたしは自分の生涯をあなたがたのための務めに費やしてきたと言ったが、それは自慢したくて言ったのではない。わたしは神のために務めてきたにすぎないからである。
17)そして見よ、わたしがこれらのことを語るのは、あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち、あなたがたが同胞のために務めるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。
18)見よ、あなたがたは、わたしのことを王と呼んできた。あなたがたが王と呼んでいるわたしでさえも、あなたがたのために務めているとすれば、ましてあなたがたは、互いに務め合うようにすべきではないだろうか。
19)また見よ、あなたがたから王と呼ばれ、生涯をあなたがたのための務めに費やし、それによって神に仕えてきたわたしが、あなたがたから幾らかでも感謝を受ける値打ちがあるとすれば、おお、あなたがたはどれほど天の王に感謝すべきであろうか。

●永久なる光

「永久なる光」とは「神様の光」「キリストの光」
世を照らす光。神様と人々の愛

すべての人を照らす光

ヨハネによる福音書1章
9)すべての人を照すまことの光があって、世にきた

教義と聖約84章
46)御霊は世に来るすべての人に光を与え、また御霊はその声を聴く全世界のすべての人を照らす

マタイによる福音書5章
14)あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
15)また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
16)そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

●すべてを愛す

説明不要ですよね。

わたしの好きな聖句

アルマ書7章
23)さて、わたしはあなたがたが謙遜であり、従順で素直であり、容易に勧告に従い、忍耐と寛容に富み、すべてのことについて自制し、いつも熱心に神の戒めを守るように、また霊的にも物質的にも、必要としているものは何でも求め、与えられるものについては何であろうといつも神に感謝するように願っている。

神様はあなたの人生の旅路をずっと見守っていてくださいます。
悩み苦しみ、失敗や挫折を経験し、それを乗り越える力を与え、
間違ってたことに気が付いて戻る力を与え、
この人生で何を学び、どう生きるかを教えてくださいます。

あなたを豊かに祝福し、あなたを永遠の幸福へと導いておられます。

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画像の利用について気になる方のために補足

Fujii Kaze Staffさんから
「本人・スタッフアカウントが発信したものを、アイコンや皆様のSNS等で使用することは藤井 風に関しては問題ございません。(スクショなどを含む)」とあります。



当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

あなたは聖典から何を学びますか

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖句を見て、どんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。
当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。

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