「藤井風 なんなんw」はいちクリスチャンにはどう聴こえたか

「いつも聖書を読んでいる方に”藤井風”はどんな風に聴こえるのだろう」
という質問をうけましたので、風さんの詞についての私の個人的な解釈と聖典の言葉を書いてみました。

ひとことで言うと、「藤井風 なんなんw」の詞は神様の見守りを感じさせてくれます。

神様はすべての人を愛しておられます。
そして、正しい生き方をするように人に勧め、誤った場合には立ち戻るように助けてくださいます。

この記事は現時点の個人的な見解です。いずれかの組織・団体によるものではありません。
書き足りないところは追記していきます。ご了承ください。

藤井 風 – “何なんw” Official Video(Youtube)

何なんwの歌詞
藤井風 「何なんw」 ソングライター: Fujii Kaze
ここでは、詞に注目し、メロディや歌声、そのほかの良さはおいておきます。

凡例

●詞の断片

私にはどう聴こえたか

対応する聖典の言葉
※量が多いので聖典の言葉は閉じています。
(操作方法)右の「+」付近をクリックすると聖句が広がって出てきます。そのあと、「-」をクリックすると閉じます。

●口にしないほうがいい真実もあるから

口は禍の元 ともいうし、口から出てしまった言葉は消えることがありません。
言わないほうがいいこともある。。言ってはいけないこともあります。

そして、美しい言葉や人を励ましたり、やさしく包んだりする言葉もあります。
言葉はその人の心からあふれてくるもので、その人の人となりを表します。

口から出す言葉にきをつけていれば、その人の言動は人を癒すものになります。

※藤井風さんの詞や話す言葉に、心からの優しさを感じています。

聖典には、言葉の力にふれたものがが多くあります。
言葉には力があり、神様は言葉によって世界を創造されました。

ヨハネによる福音書 1章1節~4節
1)初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2)この言は初めに神と共にあった。
3)すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
4)この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

口から語る言葉がその人を表します。

ルカによる福音書 6章45節
45)善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。

口から出す言葉に気をつけなさい。

マタイによる福音書15章11節
11)口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。

言葉を制御できる人は全身を制御できる完全な人です。

ヤコブの手紙 3章2節~5節
2)わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。
3)馬を御するために、その口にくつわをはめるなら、その全身を引きまわすことができる。
4)また船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。
5)それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。

好ましい言葉で返すように。そして、やさしい言葉を使うようにしなさい。

箴言15章23節
23)人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。

コロサイ人への手紙4章6節
6)いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。

●知らない方が良かったなんて言わないで居て

神様の訓戒(戒め)や聖霊の導きは、窮屈だ、規制だ、知らないほうが自由だった、という時もあり、そういう人もいますけど。。。

●何があっても大好きなのに

神様はどんな人もずっと愛しています。
忍耐強く。たとえ人が神様から離れていっても。
地上のどんな人よりも、神様はあなたを愛し、静かに導こうとしておられます。

神様はすべての人を誰よりも愛しておられ、真実を尽くされます。

イザヤ書49章15節~16節
15)「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。
16)見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。
※たなごころ = 掌 = 手のひら

エレミヤ書31章3節
3)主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに/真実をつくしてきた。

●どんなときもここ(近い場所)にいる

あなたのそばに聖霊や守護天使がいて、あなたを悪から守っています。
そう、藤井 風 – “何なんw” Official Video が示しているのはこれです。

神様から送られる聖霊があなたを導き、真理を教え、公正に判断し、善を行うように促します。

エゼキエル書36章27節
27)わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。

ヨハネによる福音書14章26節
26)しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

ヨハネによる福音書16章13節
13)けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。

教義と聖約11章12節
12)さて、まことに、まことに、わたしはあなたに言う。善を行うように導く、すなわち、公正に行動し、へりくだって歩み、義にかなって裁くように導く御霊を信頼しなさい。これはわたしの御霊である。

モロナイ書7章13節
13)しかし見よ、神から出るものはいつも善を行うように誘い、促す。したがって、善を行い、神を愛し、神に仕えるように誘い、促すものはすべて、神の霊感を受けているのである。

●ムシされて、雨の中一人いくあんた 心の中でささやくのよ そっちへいってはダメと

神様の導き(聖霊や良心のささやき)から離れ、背いて良くないほうへと進む・・
あるあるですね。。

●聞かないフリ続けるあんた 勢いにまかせて 肥溜めへとダイブ

制止するささやきを無視して、どんどん進み、肥溜め(罪)へと飛び込む・・
これもあるあるです。・・

●それは何なん 先がけてワシは言うたが 何で何も聞いてくれんかったん

なんで反対に行ったん? いったらあかんてささやいたやん。そやのに・・
そう思われることを沢山しますよね。人は。

世の中には反対のものがある。それは人を試みるため。
反対のものがないとえらべないためです。
世の初めにサタンはアダムとエバを誘惑し、神様に背かせました。
その子孫を誘惑し続けています。

第二ニーファイ書2章16節、27節
16)そのようにして、主なる神は思いのままに行動することを人に許された。しかし人は、一方に誘われるか他方に誘われるかでなければ、思いのままに行動することはできなかった。
27)そのため、人は肉においては自由であり、人のために必要なものはすべて与えられる。そして人は、すべての人の偉大な仲保者を通じて自由と永遠の命を選ぶことも、あるいは悪魔の束縛と力に応じて束縛と死を選ぶことも自由である。悪魔は、すべての人が自分のように惨めになることを求めているからである。

●花咲く町の角誓った あの時の笑顔は

人は善を行う時、悪から遠ざかる決断をするとき、喜びを感じます。
聖霊はあなたを善へと導き、それにこたえるときに、私たちも喜びを感じます。

善へと立ち返るときに感じる喜びは天から来るものです。

教義と聖約18章13節
13)人が悔い改めるとき、主の喜びはいかに大きいことか。

ルカによる福音書15章7節
7)よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。

●大胆に攻めたら良い

必要な時には、勇気をもって、恐れずに向かっていくことも大切です。
聖典にも多くの例が載っています。ここではいくつか紹介します。

モーセはエジプトの王パロに大胆に語り、イスラエルの何十万の人を率いて紅海を渡りました。

出エジプト記5章1節
1)その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。

出エジプト記14章21~22節
21)モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。
22)イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。

少年ダビデは戦場に出たことはなかったが、巨人ゴリアテに向かいました。

サムエル記上17章33節、37節
33)サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。
37)ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたcIを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。

エステルは、自分の命を顧みず、同胞を守るために、王の前に立ちました。

エステル記4章8節、16節
8)また彼らを滅ぼさせるために、スサで発布された詔書の写しを彼にわたし、それをエステルに見せ、かつ説きあかし、彼女が王のもとへ行ってその民のために王のあわれみを請い、王の前に願い求めるように・・言った。
16)「わたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。

●慎重に歩めば良い

傲慢ではなく、慎重に、謙遜になることが大切です。

謙遜、神様の前にへりくだることは人の強さを示します。

箴言15章33節
33)主を恐れることは知恵の教訓である、謙遜は、栄誉に先だつ。

●真実はとっくのとうに知っていることしらないだけ

私たちは、みな、神様から、善悪を見分ける力をもらっています。

世の光、真理を知ることはすべての人に許されています。

ヨハネによる福音書1章9節
9) すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

ヨハネによる福音書14章6節
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

教義と聖約84章45節46節
45)主の言葉は真理であり、また真理であるものはすべて光であり、光であるものはすべて御霊、すなわちイエス・キリストの御霊だからである。
46)御霊は世に来るすべての人に光を与え、また御霊はその声を聴く全世界のすべての人を照らす。

●あれほど刻んだ後悔も くり返す毎日の中で かき消されていくのね

人は忘れて、安易な方向に進みやすいので、再び、同じ過ち(罪)を繰り返すこともあります。

一度清められても、すぐに善から離れ、以前よりも悪くなることもあります。

ルカによる福音書11章24節~26節
24)汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25)帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26)そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」

●神様助けて

神様に助けを願うのは人の常です。説明不要ですよね。
謙遜にへりくだって神様の助けを求めるのは、自分の力の限界を超えるために必要なことです。

信仰をもって祈り求めます。

マルコによる福音書11章24節
24)そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

●足元照らして

ずっと向こうまで、ゴールまでの道のりは見えなくてもいいです。
この足元の1歩を照らしてください。そうすれば私は進むことができます。

私は、藤井風さんがこのフレーズを歌うのを聞いて、沼に落ちました。
私の大好きな讃美歌と同じことを歌っていたからです。

神様の導きを求める。

詩編43章3節
3)あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、あなたの聖なる山と、あなたの住まわれる所にわたしをいたらせてください。

私が集う教会の讃美歌、私の大好きな讃美歌に以下の詞があります。

取り巻く闇の中を

取り巻く闇やみの中を導き
闇やみを遠く来きしわれ助けたまえ
足もとを守りたまえ はるかまでとは願わず

かつて主の導きを祈らず
おのが道を選び,高ぶりし
そのとき,主は在いまさず されど今導きたまえ

●目を閉じてみて、心の耳すまして、やさしい気持ちで

目を閉じてみて、心の耳すまして、やさしい気持ちになるとき
聖霊の影響を受けます。

聖霊の影響を受けると、人は優しい気持ちになります。

神様は静かな声で私たちを導き、神様の導きを受けるとき
私たちは平安で優しい気持ちになります。
神様の声(聖霊のささやき)は、静かに耳を澄ませるときに聞こえます。

ガラテヤの人への手紙5章22節23節
22)しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
23)柔和、自制である

列王記上19章11節~12節
11)主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。
12)地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。

神様は決してあなたを見捨てず、あなたの永遠の幸福を望んでおられます。
そのために、あなたを豊かに祝福し、あなたを幸福へと導いておられます。
しかし、人は時として、神様から離れることもあります。
そんなときでも神様はずっとあなたのことを見守っていてくださいます。
あなたが、神様のほうにもどってくることを願っておられます。助けてくださいます。
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藤井風
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