聖餐会のメインは会の名前の通り、聖餐を受けることです。ですので、その後に続く話はおまけ・付録ということになります。
しかし、昔から、グリコはおまけのために買いましたし、学研の科学と学習、小学N年生やなかよしも付録を楽しみに買いましたので、おまけにも大事な価値があり、引き付ける魅力が必要だと思います。
さて、モルモン書にもおまけがついています。なにかご存知でしょうか。
本日わたしに与えられたテーマは、「私に従って来なさい」の12月2日-12月8日(モロナイ1-6章)から学んで分かったこと、感じたこと、経験から得た証など です。
モロナイ1章は、モルモン書8章の続きです。
モルモン書8章1節を読みます。
「見よ,わたしモロナイは父モルモンの記録を書き上げる。見よ,わたしが書く事柄はわずかであり,それは父から指示されたものである。」
ということで、モロナイは父モルモンから自分たちニーファイ人の記録とヤレド人の記録をまとめることを指示され、それはモルモン書9章と、エテル書で終わります。
当時、モロナイはその地にたった一人残ったキリストを信じるニーファイ人として、明日をもしれない命を守るために金版や他の記録を守りつつ点々と隠れ場所を捜していました。
モロナイはエテル書を書き終えた後、一つのことに気が付きます。
モロナイ1章1節にはこうあります。
「さて,わたしモロナイはヤレドの民の話を短くまとめ終えた後,もうこれ以上は書き記さないと思ったが,わたしはまだ命を失っていない。」
命を失っていないことについて、モロナイは、まだ書きのこしたことがあるから生かされている、ということだと理解したようです。
4節にこうあります。
「さて,わたしは以前の思いとは違って,もう少し書き記すことにする。わたしはもう書き記さないと思っていたが,主の御心のままに,将来いつかわたしの同胞であるレーマン人のために価値をもたらすと思われることを,もう少し書き記すことにする。」
つまり、モロナイにとって、モロナイ書はおまけです。おまけなので、価値をもたらすことを厳選して書くことにしたようです。
モロナイはどんなことが価値あると判断したのでしょうか。
ヒントは、モルモン書9章30節にあります。モルモン9章30節を読みます。
「見よ,わたしは今,死者の中から語っているかのようにあなたがたに述べている。わたしはあなたがたが将来,わたしの言葉を手に入れることを知っているからである。」
モロナイは、将来、モロナイの言葉を読む人たち、つまり、現代のわたしたちを見ています。
ちょっと奇妙に聞こえますが、今から1600年ほど前、モロナイがまだ金版に文字を刻んでいるときに、西暦1830年、つまり今からだいたい200年前に出版されたモルモン書が読まれていることを見ているのです。
リーハイもニーファイもわたしたちを見ていました。歴代の預言者もモルモンもわたしたちを見ていました。
そしてわたしたちに必要なことを書き残しました。
モロナイも同じです。
モルモン書は預言の書です。そして手引書です。
モロナイは、もちろん、神さまの導きを願い求め、霊感を受け、特に福音が回復された初期に改宗した人たち、福音を伝えるべく旅をする宣教師に必要なのは、ごく基本的な手引書だと判断したようです。
2章から6章には以下のことが記されています。
聖霊を与える方法
祭司と教師を召す方法
聖餐の方法
バプテスマの条件と方法
会員資格の守り方
集会の進め方
ジョセフスミスが1830年4月6日に教会を設立するまえ、その後、モルモン書を使って伝道活動をしたとき、今、わたしたちが見ているような手引書は有りません。
教義と聖約は1833年にそれまでに受けた多くの啓示が「戒めの書」として出版されますが、モルモン書のほうが広く行き渡っています。
わたしはいまでも、家や旅行先で聖餐をする際には、モロナイ書を使っています。
聖餐の祝福で、パンの祝福と水の祝福には違いがあります。水の祝福では、「御子を覚えていること」のみが繰り返されます。
この儀式で最も大切なことがイエスキリストを覚えておくことであるからだと思います。
また、モロナイは自分を殺そうと狙っているレーマン人の、その子孫のために、記録を残そう、守ろうと努力しています。
モロナイは、自分が置かれている世代だけではなく、ずっと将来の世代の人たちにも目を向け、今自分を殺そうとしているレーマン人の子孫、つまり、自分がレーマン人の手に落ちないように守っている記録を読むことで救い主のもとに来ることになる子孫の人たちに向けて、努力をしているのです。
わたしたちも、今、自分が目の前で見ている人たちだけではなくて、近い将来、多くの人がこの福音を良いものと理解し、改宗する姿を思い浮かべ、神さまの救いを得る姿を思い浮かべ、自分もそこにいる姿をおもいうかべることができます。
モロナイは、その地・その時代に、救い主を信じ、信仰を保って生きた人としては、たった一人ですが、神さまへの祈りと聖文を読むことで、聖霊の訪れを受け、救い主や3人のニーファイ人からも教えを受け、強められたはずです。
わたしたちも、神さまへの祈り、聖文研究によって、力を得ることができます。
最後になりますが、12月号のリアホナ デジタル版に、「バプテスマの後」モロナイ6章4節の詳細な研究 という記事がありますので、ぜひ読んでください。
モルモン書の最後にモロナイ書が付け加えられたことは大きな価値があり、わたしたちへの神さまの愛を感じます。もちろん、歴代の預言者もわたしたちを愛して記録を残してくださいました。
モルモン書が手元にあり、日本語で読めることに感謝しています。
この書物は単なる過去の歴史だけではなく、これから起きることを教えてくれる書物でもあります。
これから起きることにわたしたちがどう対処すればよいかを教えてくれる書物でもあります。
ジョセフスミスを通して福音が回復されたこと、今も生ける預言者を与えてくださり、わたしたちに進むべき指針を与えてくださることを感謝しています。
イエスキリストさまの御名によってこれらの感謝と証しをします。アーメン。