聖餐会での話_原稿_20251228

聖餐会の話 2025年12月28日

去年は12月の中頃、今年は年の終わりにお話のアサイメントをいただきました。
少しずつ後ろにずれているので、来年はお話のアサイメントは回ってこないと予想しています。
結果は来年の今頃には判明しているでしょう。

年末になると年の初めに立てた目標を見返したりすることもあるようですが、皆さんは今年の年初に立てた目標を達成されましたか。

わたしは、昨年末から今年の年初はとある感染症で寝込んでいたので、その前の年つまり2024年の目標を見返すことも、2025年の新しい目標を立てることもなく年末年始を過ごしました。

ただ、毎年似たような目標を立てているので、前後の年の日記を見ると「証を得る」と書いてありました。
正直に告白すると、まだ求めている証は得ていないです。

最近では、この10月にん十年ぶりの神殿ワーカに召され、3週間前、神殿奉仕に合わせて、埼玉に住む三男の長男がお遊戯会でダンスするのでそれにも参加して、その子の誕生日会、クリスマス会もいっしょ参加する予定でしたが、直前に、高熱が出てすべてキャンセル。インフルエンザの予防接種は受けてましたが、免疫力が低下しているのか、役に立たずでした。
 
なかなか、計画通りにはいかないものです。

わたしの経験は小さなものですが、人生はだいたい予定通り、計画通りには進まないものです。

今年の日曜学校では教義と聖約と教会歴史を学びました。

ジョセフスミスも、ジョセフスミスの話を信じ、教会に加わったひとも、福音を信じ、擁護しただけで、多くの苦難に遭(あ)います。自分たちでようやく建てた家を何度も失い、何度も財産を奪われ、暴力を受け、苦労して建てた神殿を後に残して西への長い苦労の多い旅に出ることになりました。到着したユタでもたくさんの苦労が待っていました。

新約聖書の時代、イエスさまも弟子たちもたくさんの迫害を受けました。福音がローマ帝国内に広がるとともに皇帝からの迫害が強くなりました。

モルモン書の時代も同様に預言者や救い主を信じる人たちが、親戚でもあるレーマン人や、仲間であったニーファイ人から攻撃を受けます。多くの偽預言も現れます。

来年は旧約聖書から学びます。その時代の聖徒たちの経験した苦しみや悲しみに焦点をあてて研究するのもよいことではないかと考えています。

たとえば、アダムとエバは、多くの子たちが福音から離れていく経験をしました。

アブラハムは実の父によって異教の神に捧げられようとしましたし、その後神さまから、悔い改めた父とともに生まれ故郷を離れるように命じられ、
行った先では、最愛の妻を王さまに取られそうになり、ようやく生まれた跡取りを捧げるように命じられたりもします。

ロトはアブラハムと同じくらい裕福でしたが、ソドムから脱出するときには文字通り着の身着のまま2人の娘だけを連れて逃げることになりました。

イスラエルと呼ばれたヤコブの子孫はエジプトで奴隷となり、苦役を負いました。

モーセは民のために神さまにとりなしをしましたが、その一行はエジプトを離れた際の第一世代の不信仰のために、40年間も荒野を彷徨(さまよ)うことになりました。その間に第一世代のほぼ全ての人は荒野で葬(ほうむ)られました。

ダビデ王によって統一されたイスラエルの国家は、その後の指導者たちの不信仰と偶像崇拝のために、そして、指導者が貧しいものを蔑(ないがし)ろにしたために、分裂し、国を失い、民の多くは異国に連れて行かれました。

願い事をするときに、苦しみや悩みを与えてください、とはわたしは祈りませんし、そのように祈る人は少ないと思いますが、人生に苦しみや悩みはつきものです。

わたしたちは望むものを得た時は喜び感謝します。

望まないものを得た時はどうでしょうか。

古のニーファイは自分の苦難をどう見ていたでしょうか。

1ニーフアイ⒈1 にはことのようにあります。
わたしはこれまでの人生で多くの苦難に遭ったが、生まれてこのかた主の厚い恵みを受け、まことに神の慈しみと奥義を深く知った。

兄たちによって奴隷として売られ、孤独なエジプトの地で様々な苦労を重ねながらも、神さまへの信仰を守り、のちにエジプトの首相となったヨセフが、穀物を買いに来た兄たちに、かつてのことを赦したとき、ヨセフはこう言います。

創世記 45章
4 ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。
5 しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。

ヨセフも自分の経験が神さまからきていることを理解していました。

ヨブの話から、正しい人がなぜ多くの苦しみに遭うのか、それに耐えた後どうなるのか、を学ぶことができます。

今、このワードだけではなく、大きな苦痛や悲しみに遭っても、信仰を固く保っておられる方々がおられます。彼らはわたしの模範です。素晴らしい模範に触れることができて感謝しています。

わたしの今の願いは清くなること。
神さまの贖いによって清くしていただくことです。

神さまは、貧しいもの、乏しいものの味方で。彼らを助けることが神さまの御心に叶うことだと知りました。

これまでのわたしは
 いやなことはできるだけ避け
 できるだけ楽な方
 多少の不正直をしても得になる方
を選ぶようにしてきましたし

 戒めを自分に都合よく解釈したり
 助けを必要とする人がいたら反対側を歩くようにしたり
ということを選んてきました。

今年の後半に、このままでは、終わりの日に火で焼かれることになる、他の人に顔向けできなくなる、と気がつき、今、贖いの力で清めてくださるように祈り、悔い改めようとしています。今、悔い改めの段階をたどっているところです。

まだ、「あなたの罪は赦された」という声は聞こえてこないので、聞こえるまで、続けようと思っています。

一方で、聖典の中に記された、苦難を、これからわたしたちも経験することになると考えています。

少しだけ聖句を読みます。

ゼカリヤ13章9節
わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『彼らはわが民である』と言い、彼らは『主はわが神である』と言う」。

1ペテロ1章7節
こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。

1ニーフアイ20章10節
見よ、わたしはあなたを精錬し、苦難の炉の中であなたを選んだからである。

精錬されることには痛みが伴うことで、痛みを望んでいるわけではありませんが、神さまに選んでもらえるようになりたいと願っています。

神さまに選んでいただくためには、神さまの御心、救い主の御心を知る必要があります。
その方法には、聖典、つまり、預言者の言葉を研究すること、同じ選択をすることがあります。

ニーファイの二人の兄たちも、過去の出来事が実際にあったことは知っています。
しかし、それを自分に当てはめることはできていません。

わからないことを神さまに尋ねるようなことはしません。

神さまのはからいは知りませんし、知ろうともしません。

ニーフアイに神さまの教えを教えられたら厳しいと怒りだします。

自分は長男である、という理由だけで、弟ニーファイには絶えず腹を立てます。何度も殺そうとします。

自分たちが持っていても役に立てることはなかったであろう、ラバンの真鍮版や、不思議な指示器を、使いこなせるニーファイが持って行ってしまった、と怒り、自分の子孫にニーファイの子孫に復讐するように教えます。

神さまはわたしたちが望まない結果を得た時にどのような反応をすることを望んでおられるでしょうか。

(アブラハム書3章25節)には
25そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。
とあります。

わたしは前世で神さまとどのような約束をしたでしょうか。どんな志(こころざし)をもって、天を離れ、地にやってきたのでしょうか。

子どものころに学んだ「ふるさと」という歌に、このような歌詞があります。
「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」

わたしもみなさんとともに、こころざしをはたして、天のふるさとに戻ることを望んでいます。

最後にもう一つ聖句を読んで終わりにします。

モーサヤ3章19節
生まれながらの人は神の敵であり、アダムの堕落以来そうであって、今後もそうである。また人は、聖なる御霊の勧めに従い、主なるキリストの贖罪により、生まれながらの人を捨てて聖徒となり、子供のように従順で、柔和で、謙遜で、忍耐強く、愛にあふれた者となり、子供が父に従うように、主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従わないかぎり、とこしえにいつまでも神の敵となるであろう。

神さまの敵にならないように、ベニヤミン王の勧告に従いたいと願っています。

証:
神さまは、わたしたちを成長させるためにこの地上に送る際、わたしたちが間違いをすることをご存じでした。それでも、わたしたちが自分で選んで経験によって学ぶように、その間違いを贖う方法を備えてくださいました。
その方法には、救い主が必要でした。救い主には、すべてのひとの弱さを担い、罪の重荷を背負い、その代価を支払う、という責任がありました。その責任を果たすことはすべての毛穴から血を流すほどにつらい経験をするものでした。
しかし、神さまのひとり子は、見返りを何も求めず、ただ、御父と私たちを愛する気持ちだけで、その責任を引き受け、実際にその責任を全うされました。
御父も、わたちたちのためになることを用意し、わたしたちの祈りを絶えず聞き届け、必要なものを与えてくださっています。

わたしには、自分の罪の代価を支払うことはできません。命じられたことすらできない、むしろ反対のことをしてしまうふつつかなものです。それでも、神さまはわたしに豊かな祝福を与えてくださっています。
その大きな愛に感謝しています。

預言者の言葉、聖典を研究することで、神さまに近づくことができることを証します。


この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神さまの子で、神さまのみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神さまはあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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