勉強会への投稿(2025/9/7-13)

あるライングループの勉強会で指導しておられる方から週替わりで投稿する人の募集がありました。
わたしは3人目として投稿することになりました。

その際の投稿内容をメモとして記録します。

聖典勉強会ライングループへの投稿(2025/9/7-13)

少し前まで少しなおざりにしていましたが、今は、神さまとの約束に心を向け、聖典・聖文・預言者の言葉を学び、研究し、御霊の影響を受けて生活することは、人生を生きる上でとても大切なことだと考えています。

最初に3つの聖句とべトナー長老のお話を紹介します。

アルマ書12章
10 したがって,心をかたくなにする者はわずかな御言葉しか受けないが,心をかたくなにしない者は,さらに多くの御言葉を与えられて,ついに神の奥義が十分に分かるようになるまで,奥義を知ることが許される。

教義と聖約88章
67 また,あなたがたがわたしの栄光にひたすら目を向けるならば,あなたがたの全身は光に満たされ,あなたがたの中に暗さがないであろう。そして,光に満たされるその体はすべてのことを悟る。

教義と聖約93章
28 神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。

アルマ書32章34節から35節と41節
34 ・・略・・あなたがたは,御言葉があなたがたの心を高めたのを知っており,またあなたがたは,それがすでに芽を出し,あなたがたの理解力に光が注がれ,あなたがたの心が広がり始めているのを知っているからである。
35 おお,それならば,このことはほんとうではないだろうか。わたしはあなたがたに言う。確かにほんとうである,と。なぜなら,それは光だからである。光は何であろうと善である。というのは,そのように見分けがつくからであり,こうしてあなたがたは,それが善であることを必ず知るようになる。・・略・・
41 しかし,あなたがたが御言葉に養いを与えようとすれば,つまり,その木が生長を始めるときに,非常な熱意と,忍耐を伴う信仰を働かせてその実を期待しながら養いを与えようとすれば,それは根付くであろう。そして見よ,それは生長して永遠の命をもたらす木になるであろう。

●しかしわたしたちは,彼らのことを気に留めなかった
デビッド・A・ベドナー長老 2022年4月土曜午前
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2022/04/14bednar?lang=jpn

善悪の区別、選択の自由、良心

聖典の物語は天上の大会議から始まります。(モーセ書4章参照)

地を造り、わたしたちに仮の肉体を与え、様々なことを経験する機会を与えてくださったのは、神さまの霊の子どもであるわたしたちが成長し、神さまのみもとに戻って、神さまのようになるまで進歩し続けるためでした。(モーセ書1章39節参照)

わたしたちは、仮の肉体を得るためにこの地に降りてくるときに、前世のこと(つまり天で学んだこと)をすべて忘れます。天の父、天の母、そこで出会った霊たち、永遠の真理、見たり聞いたり行ったりしたこと、地に降りてくる前に決意したこと。

わたしたちは最初の両親であるアダムとエバから、善悪を区別する力とそのどちらをも選択できる力を引き継いでいます。(アルマ書12章31節参照)

わたしたちは様々な経験をする中で、神さまから与えられた「選択の自由」という権利・力を行使して、善と悪を選びます。この世では、誘惑するものが現れ、善ではなく悪を選ぶように誘います。その甘い誘いに乗るか、神さまから与えられた「キリストの光」、良心に従い、神さまとの約束を守って、善を選ぶか、試され、自分が何者であるかを証明するのです。(モーセ書3章17節、第2ニーファイ2章16節~22節、モロナイ書3章16節18節、アブラハム書3章25節、アルマ書34章22節 他参照)

●福音ライブラリー>トピックと質問>キリストの光

キリストの光は人々に良い影響をもたらし,聖霊を受けられるように備えてくれます。その現れの一つは,良心と呼ばれるものです。…

https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/gospel-topics/light-of-christ?lang=jpn

この地上において、自分の選択について責任を負える人はみな、自分の選択についての責任を負うことになります。自分の選択にはもれなく結果がついてきます。

後悔するなら今のうちに
やり直すなら今のうちに
関係を修復するなら今のうちに
気になっているなら今のうちに

自分がいつ現世を離れることになるのかは
わからないから。

選択の自由は前世にもあり、神さまの霊の子どもたちの三分の一が、その力を使って神さまに背きました。(モーセ書4章3節、黙示録12章参照)
このことから、神さまに背くものは、誰であれ、どんなに優秀な方であれ、祝福を失うということがわかります。
神さまは、ご自分の言葉に従われます。約束は守られます。正義のお方だからです。

一方で、神さまは、天から堕ちて、地上に生を受けたわたしたちが神さまに背く(戒めを破る、善を知りながら行わない)ことをご存じでした。
憐れみ深い、神さまは、先だって、贖い主を備え、自分たちの罪を悔い改め、救い主の教えに従って生きるときに、罪を赦す、という方法を備えてくださいました。

預言者によって福音が世に知らされる

モーセ書には、天地が造られたこと、最初の両親が誘惑にあったこと、モーセ自身も誘惑にあったこと、神さまの敵が存在すること、彼がどのようなものか、について書かれています。

アダムは神さまから受けた命令に忠実でした。地を耕し、野の獣を治め、額に汗してパンを食べました。エバもアダムとともに働きました。アダムは妻エバを知り(関係を深め)、子どもたちを生み、地に増えました。アダムとエバは神さまの声を聴き、その命令に従順に従いましたが、彼らの子どもたちは神さまの敵に従うものとなりました。(モーセ書5章1節~13節参照)

神さまは聖霊によって人々に呼びかけ、悔い改めるように命じられました。御子を信じて悔い改めるものは救われ、信じないで悔い改めないものは罰を受ける、と告げられました。(モーセ書5章14節~15節参照)

初めの両親は神さまに従順に従う人たちでした。福音は時の初めから述べ伝えられ、神さまから遣わされた天使たちや、神さまご自身の声、聖霊の賜物によって人々に告げ知らされました。すべてのことが聖なる儀式によってアダムに確かにされ(all things were confirmed unto Adam, by an holy ordinance)、福音が宣べ伝えられ、福音は世の終わりまで世の中にある、と宣言されました。(布告されました)。

神さまの敵はアダムの子どもたちを誘惑し、闇の業を広めました。
神さまは、彼らが神さまの声に聞き従おうとせず、神さまのひとり子、救い主を信じようとしなかったので、地を呪い、悪人を怒りました。
(モーセ書5章55節~59節)

●悔い改めと改心

悔いる心を持つ人は改心した人であり,改心した人は悔いる心を持つ人なのです。…

2007年4月 ラッセル・M・ネルソン長老
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2007/04/repentance-and-conversion?lang=jpn

救い主の模範と教え

救い主が世に来られた際、いくつかの目的をお持ちだったとわたしは考えています。

ひとつは、アダムの背きの結果である肉体の死を乗り越える道を備え、世の人の罪を贖うことです。
ひとつは、旧約聖書に記載された預言を成就することです。
ひとつは、上記の2つに関連して、世の人に、どのように生きることが神さまの御心に適うかを示す(教える)ことです。

神さまのように成長するとはどうする(どうなる)ことなのか。
救い主は、仮の肉体を得て、具体的に示し、教えられました。

もちろん、過去の預言者や指導者、その後の預言者や指導者もわたしたちに模範を示されました。
その方々が模範とした、そしておそらく啓示や示現を通してご覧になられたであろう救い主の模範がもっともよい模範であることは確かです。

イエスさまは、数々の誘惑にまったく屈することなく、弱い人、貧しい人、苦しむ人、さげすまれている人、病気の人、障害を持つ人に深い憐れみを示され、必要な言葉をかけられ、考え違いをしている指導者たちにははっきりと誤りを指摘されました。

ご自分のことをわきに置いて、ご自分を必要とする人たちのために時間を使い、ご自分の力を使われました。

騒がしく寄ってくる子どもたちをそのまま集めて祝福し、悲しむものとともに悲しみ、涙を流し、離れてしまったイスラエルのために嘆かれました。

ご自分の使命を果たすために、苦しまれ、ご自分の気持ちよりも御父の御心を行うことを優先されました。

ご自分を苦しめる人たちを赦し、彼らのために祈られました。

どの戒めが最も大切なのかを問われたときに、イエスさまは、心と精神と思いを尽くして神さまを愛することと、それと同様に、自分のように隣人を愛することだ、とお答えになりました。

イエスさまが生をうけてなされたこと、そして、その前もそのあとも、永遠から永遠にわたって、ずっとされていることを教えてくださったのです。

Matthew 22:36-39
36 Master, which is the great commandment in the law?
37 Jesus said unto him, Thou shalt love the Lord thy God with all thy heart, and with all thy soul, and with all thy mind.
38 This is the first and great commandment.
39 And the second is like unto it, Thou shalt love thy neighbour as thyself.

先の質問を尋ねた律法学者がさらに質問してくださったことに感謝しています。

イエスさまが「よきサマリヤ人のたとえ」として知られる答えをされたからです。

ルカによる福音書10章
29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
・・・中略・・・
36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

イエスさまは、よき隣人として、傷ついたわたしたちを介護してくださいます。
そしてわたしたちにも、傷ついた人に慈悲深くあるように勧めておられます。

●大切な第二の戒め

ネルソン大管長は,隣人を愛するようにという大切な第二の戒めを,教会とその会員が人道支援を通じていかに守っているかについて…

2019年10月総大会
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2019/10/46nelson.p11?lang=jpn#p11

●「救い主はわたしたちの良いサマリヤ人であり,『心のいためる者をいや』すために遣わされたのです〔 ルカ4:18 (英文参照)。 イザヤ61:1 も参照〕。ほかの人たちが通り過ぎる中,わたしたちのもとに来て,思いやりをもって傷口に癒しの香油を塗って包帯を巻き,わたしたちを運び,世話をしてくださるのです。」(ニール・L・アンダーセン「傷を負った人」『リアホナ』2018年11月号,85参照)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/liahona/2018/11/sunday-morning-session/wounded?lang=jpn&id=p24#p24

息子アルマは、ゼラヘムラの民に、神さまの面影をうけているか、と尋ねました。

Alma 5:14
14 And now behold, I ask of you, my brethren of the church, have ye spiritually been born of God? Have ye received his image in your countenances? Have ye experienced this mighty change in your hearts?

聖典に登場するリーダーたちは、霊的に神さまから生まれ、神さまの面影(image)を持った人たちです。彼らからも救い主の模範を見ることができます。

アンモンの民は追い出されたゾーラム人を受け入れ、助け、食べ物、着るもの、土地など必要なものを分け与えました。(アルマ書35章9節)
アンモンの民も、かつて、ニーファイ人に土地を譲り受け、守りを与えてもらっていました。(アルマ書27章22節参照)

モーサヤ書2章
17 そして見よ,わたしがこれらのことを語るのは,あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち,あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。

救い主の模範と教え(その2)

イエスさまは、多くのたとえ話を語られました。
そのすべてにおいて、神さまの愛を感じ、自分たちがなすべきことがわかります。

マタイによる福音書25章には、末の日の裁きについて語られた3つのたとえ話が残されています。

思慮深い乙女とそうではない乙女のたとえ

花婿の到来を待っていた乙女のうち5人はあかりと油を持っていました。
そのほかの5人はあかりは持っていましたが油は持っていませんでした。

花婿の到来が遅れた時、全員が眠っていました。

夜中に花婿が来たという知らせを受けて、迎えに出ようと、あかりを整えようとしたとき、あかりが消えかかっていることに気が付きました。

油を持っていない乙女が油を持っている乙女に油を分けてくれるように頼みました、断られました。
油を持っている乙女は、花婿が到着したときに一緒に婚宴の部屋に入ることができましたが、そのあと、油を持っていなかった乙女が来た時には、入れてもらえませんでした。

べトナー長老は、10人の乙女は末日聖徒イエスキリスト教会の会員を示している、と話されました。
わたしは、5人はお休み会員ではないと考えています。
全員が花婿を待っていましたし、到着するよ、と聞いて準備し始めました。
また、「ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される」、という聖句もあります。(マタイによる福音書24章40-41節参照)
わたしの考えでは、同じことをしていても、違った結果になるということだと。
では、その違いは何か。

花婿は、あなた方はわたしを知らない(強い結びつきがない)と言われました。
花婿を知る、とは、どういうことでしょうか。

ヨハネによる福音書17章3節
3 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

教義と聖約45章56節57節
56 わたしが栄光のうちに来るその日に、わたしが十人のおとめについて語ったたとえは成就するであろう。
57 賢くて、真理を受け入れ、自分の導き手として聖なる御霊を受け、そして欺かれなかった者、すなわち、まことにわたしはあなたがたに言うが、彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれることなく、その日に堪えるであろう。

教義と聖約63章54節
そのときまで、賢いおとめたちの中に愚かなおとめがいるであろう。そしてそのときに、義人と悪人の完全な分離がある。その日に、わたしは、わたしの天使たちを遣わし、悪人を抜き取って、消すことのできない火の中に投げ込もう。

●これによって彼らを試し

ベドナー長老は,わたしたちがイエス・キリストへの信仰を抱き,備えて力強く前進するなら逆境を乗り越えられると教えています。…

2020年10月総大会
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2020/10/12bednar?lang=jpn

タラントのたとえ

1タラントをもらった僕の気持ちを推測してみました。

ご主人は、他のしもべには5タラントや2タラントを与えたのに、ぼくにはたった1タラントだけだ。
ご主人は、ぼくのことが嫌いなんだ。ぼくなんかどうでもいいと思っているんだ。
こんな1タラントを増やしたところで、他のしもべにはかないっこないんだ。
そもそもぼくにはタラントが少ないのだから、これを増やしても仕方ない。
どうせ、ぼくは何をやってもうまくいきっこないし、間違ったことをしたり、騙されたり、盗まれたりして、この1タラントを失ってしまうんだ。
そうなったら、ご主人に怒られるから、失わないように隠しておいたほうがマシだ。

主人はしもべたちがいくら増やしたかではなく、増やすためにどれだけ努力したか、どれだけ働いたか、を気にしておられたのです。
うまくいかないことを含めて、さまざまな経験が教訓となり、タラントが増えていくようにされたのです。

残念なことに、1タラントを受け取ったしもべは、そのことに気が付かず、自分のタラントを使うこともなく、したがって、苦しい経験も楽しい経験もせず、何も教訓を得ず、タラントを増やすこともありませんでした。
怠惰なしもべのタラントは取り上げられ、外の暗闇に出されることになりました。

羊を右にヤギを左に置く

どんな人が、右に分けられ、どんな人が左に分けられたのか、この聖句で明確に示されています。

父アルマが、悔い改めた後で、モルモンの泉に集まった民に語った言葉(モーサヤ書18章8節~9節、23章7節、15節参照)などとも共通します。

そもそも古代イスラエルの民が神さまに叱られたのは、信仰が形式的になっていたことと、主に指導者たちが貧しい人、助けを必要とする人、苦しむ人をないがしろにし、彼らを苦しめたためでした。

このたとえ話で、印象に残るのは、どちら側に振り分けられた人たちも、振り分けられた理由がわからなかったことです。

右に分けられた人たちは、裁きの時に右に行きたくて、それらのことをしたわけではなく、だれに対してもそうしていたのです。
つまり、救い主と同じような人格を築いていたのです。その結果、右に分けられたのです。

今、マタイによる福音書25章に書かれた3つのたとえ話を知っていることは、知らずに裁きを迎えるよりもずっといいことだと、わたしは考えています。

今生きている私たちには、まだ、猶予期間が残っています。

わたしたちがキリストの光に従って、善を行うように努力すれば、それが自然なこととなり、人格になると希望を持っています。

そして、思いを清める(悪い思いを持たない)ために、讃美歌を歌うことはとても効果があると気が付きました。

神さまが私たちに求めておられること

いくつか聖句と預言者たちの言葉をを示します。

3Ne27章
21 まことに,まことに,あなたがたに言う。以上がわたしの福音である。あなたがたは,わたしの教会で行わなければならないことを知っている。わたしがするのを見たその行いを,あなたがたもしなさい。わたしが行うのを見たそのとおりのことを,あなたがたも行いなさい。
22 あなたがたは,これらのことを行うならば,幸いである。終わりの日に高く上げられるからである。
27 あなたがたが知っているように,将来あなたがたは,わたしがあなたがたに与える公正な判断力によって,この民を裁く者となるであろう。したがって,あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに,あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。

●あなたがたはどのような人物であるべきか(リン・G・ロビンズ長老 2011年4月)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2011/04/what-manner-of-men-and-women-ought-ye-to-be?lang=jpn

●わたしたちの完全な模範(ヘンリー・B・アイリング管長 2009年10月)
https://media.ldscdn.org/pdf/magazines/liahona-JPN-2000-2009/2009-11-00-liahona-jpn.pdf#page=72

●「キリストの模範に忠実に従って生きる人こそ,偉大な人であり,最高の祝福と喜びを受ける人です。それはこの世的な富,権力,名声などとは無縁のものです。人間の偉大さや喜びを測る唯一の正しい尺度は,どれだけ主イエス・キリストに近づくことができるかということです。イエス・キリストは正しい道を示し,また完全な真理,豊かな命を持っておられる御方です。」(エズラ・タフト・ベンソン大管長「イエス・キリスト-賜物とわたしたちへの期待」『聖徒の道』1987年12月号,3)
https://catalog.churchofjesuschrist.org/assets/0bb16e31-ea5f-450f-a08d-26bbe9194ee7/0/4

●「主は山上の垂訓において,御自身の完全な属性について幾らかの啓示をわたしたちに与え,……そうすることによってわたしたち自身の生活の青写真を与えてくださったのです。」(『歴代大管長の教え-ハロルド・B・リー』206)
https://jp.churchofjesuschrist.org/acp/bc/cp/Japan/gospel-library/manuals/teaching-of-prophets/of-the-church/harold-b-lee.pdf

●「イエスは,肉においても霊においても御自分を御父の御心に従わせることによって,御父と完全に一致しておられました。イエスは,弱められたり悩まされたりする心の乱れとはまったく無縁でいらしたので,その生涯は,常に一つのことに焦点が定まっていました。イエスは天の御父に関して触れ,このように語られました。『わたしは,いつも神のみこころにかなうことをしている……。』(ヨハネ8:29)……(D・トッド・クリストファーソン長老「キリストを生活の中心にするには」)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/liahona/2016/10/youth/how-to-make-christ-the-center-of-our-lives?lang=jpn&id=p4#p4

●確かに,わたしたちは神とキリストの御心と関心事を自分たちの最大の望みとしないかぎり,御二方と一つになることはできません。そのような従順は一日で達成できるものではありません。しかも,もしわたしたちが望むのであれば,御父が主の内におられるように,主がわたしたちの内にもおられると,間違いなく言えるようになるまで,主は聖なる御霊を通してわたしたちを導いてくださいます。」(D・トッド・クリストファーソン長老「彼らをもわたしたちのうちにおらせるため」『リアホナ』2002年11月号,71-73参照)
https://catalog.churchofjesuschrist.org/assets/d297b9cd-9c75-4d6d-94b8-31b68aa7d005/0/72

●「わたしたちの救い主は、わたしたちが歩むべき道を示してくださった、神聖な模範です。」(ラッセル・M・ネルソン大管長「神の愛と法則」) 
https://speeches.byu.edu/talks/russell-m-nelson/love-laws-god/

●「選択の自由を義にかなって使うなら,光が闇やみを払いのけ,人は……喜びと幸福のうちに生き……ることができ……ます。」(ロバート・D・ヘイルズ長老 2006年4月総大会 「思いのままに行動する―選択の自由という賜物 と祝福」)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2006/04/to-act-for-ourselves-the-gift-and-blessings-of-agency?lang=jpn

●祈りをさらに意義深いものとするために,すべての行いについて主と相談し,心からの感謝を述べ,人のために祈りましょう(デビッド・A・ベドナー長老 2008年10月総大会 常に祈りなさい)
https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2008/10/pray-always?lang=jpn

エホバの役割と聖餐の意義

エホバの役割

天の御父と私たちの間の仲保者としてのエホバ
天の御父の代理人としてのエホバ
他にもあるかもしれませんし、このふたつは同じことなのかもしれません。

アダムが堕落したので、現世の肉体を持つ私たちは天父と直接まみえる事はできなくなりました。
そこで、天父はエホバを代理人として、わたしたちに語りかけておられます。
※天父はエホバを証する必要がある時のみ、現世の肉体を持つ人に声や姿を現わされます。
※天父は聖霊によっても、わたしたちたちを導いておられ、聖霊はわたしたちに真理を証し、わたしたちを聖めてくださいます。

天の父はエホバに指示を与え、その結果の報告を受けておられます。
※このことはわたしたちのひな型でもあります。

天上の大会議で、天父が救いの計画が示されたとき、人は与えられた選択の自由を使い、誘惑を受けて、誤ったことをしてしまうために、救い主が必要であることも示されました。

その役割を果たすものを求められたとき、エホバは見返りは何もいらない、ただ、御父の御心が行われ、わたしたちが天に戻ることができるために、その役割を行いたいです。とお答えになりました。

人を救うために血を流されるほどの苦しみを心身に負い、自分が救おうとしている人たちからあざけりと苦しみを受ける責任を進んで受けられたのです。

天父への愛と、わたしたちへの愛と憐れみによって。

聖餐の意義

昨年(2024年12月ごろ)長男が、聖餐式の大切さについて教えてくれました。
その時、わたしは何気なく習慣でその儀式に参加していることに気が付きました。

聖餐式では、救い主の贖いを記念して、祝福されたパンと水を取ります。
そこで、何を考え、何に感謝し、何を決意するか。
神さまに近づく機会とするか、単に時間を過ごすだけになるか。

御子の贖いがなければ、わたしたちに救いはなく、たとえどんなによいことをしていても、他のすべての願い事がかなったとしても、わたしの友だちがよく言っていた「死んだら終わり」の状態になります。

神さまはわたしたちたち一人一人を(天より下の)地に送り、わたしたちが天に戻れるように、わたしたちを引き上げようと、これ以上ないほどの助けを与えてくださっています。
神さまは、文字通り、限りない愛でわたしたちを見ておられます。助けようとされています。
(ヤコブ書5章41節、ニーファイ第二書24節参照)

神さまの救いの業は損なわれることもなく、遅れることも変更されることもない。
(教義と聖約76章2節3節参照)

そのことを聖典や預言者の教え、いろいろな方の働き、身の回りの出来事を通して知ることができます。
肉体の目で見えるものだけではなく、儀式や経験を与えてくださった方に心の目を向けたいと感じています。

この勉強会もそのひとつだと感じています。
ここで学べることを神さまに感謝しています。

ヤコブ書5章41節、
41 そこで,果樹園の主人は涙を流し,僕に言った。「わたしの果樹園のために,これ以上何ができたであろうか。

ニーファイ第二書24節
24 主は,世のためになることでなければ何事もなさらない。すべての人をみもとに引き寄せるために御自分の命を捨てるほど,主は世を愛しておられるからである。したがって主は,御自分の救いにあずかってはならないと,だれにも命じられることはない。

教義と聖約76章2節3節
2 主の知恵は偉大であり、主の道は驚くべきものであって、主の行われることの広大さをだれも知り尽くすことはできない。
3 主の目的が達せられないことはなく、主の手をとどめることのできる者はだれもいない。

おまけ

追加の投稿

2025/9/8

教義と聖約90章を読んでいて、すでに二番煎じになっているかもしれないことかもしれないと思いつつ、単なる福音を世界に伝える、という意味だと思っていた聖句について、ふと気が付いて、投稿

注意書き:「」で用語の説明をしていますが、それを含めて、以下の聖句をそう理解しているという意味です。文責は私個人です。決して鵜呑みにしないでください。

4 さらに,あなたを通じて,神託は別の者,すなわち教会員に与えられるであろう。
5 また,神託を受け入れるすべての者に,それらが軽々しいものと見なされることのないように,またそれによって彼らが罪の宣告の下に置かれ,嵐が襲い,風が吹きつけ,雨が降って彼らの家に打ちつけるときにつまずいて倒れることのないように,それらをどのように扱うか気をつけさせなさい。

「あなた」とはジョセフスミス。つまりその時代の預言者。今の時代の預言者はネルソン大管長をはじめとする12使徒、教会幹部。
「神託」とは、預言者が神さまから民に伝えるように命じられた言葉、つまり預言。


預言者が警告の声を上げるとき、その呼びかけにどう応えるかに気を付けるように、ということ。
「軽々し」く扱うことのないように、つまり、しっかり受け止めて、自分が何をするべきかを考え、実行すること。
そうするときに、躓くことがなくなる。
(教義と聖約1章14節も参照)

9 また,あなたがたの働きによって彼らが御言葉を受け,彼らの働きによって御言葉が地の果てまで,すなわちまず異邦人のもとに出て行き,それから,見よ,見よ,彼らがユダヤ人に向かうためである。
10 その後,もろもろの国民,すなわち異教の諸国民,およびヨセフの家に,彼らの救いの福音を確信させるため,主の腕が力をもって現される日が来る。
11 その日には,イエス・キリストを啓示するために注がれる慰め主の働きによって,この力を有する職に聖任される者たちを通じて,すべての人が自分の言葉と自分の言語で完全な福音を聞くであろう。

9節:
「あなたがた」・・大管長会を含む教会指導者
「彼ら」・・・当時から今に至る教会員
「異邦人」・・イスラエルの血をわずかでも持ち、もしくは、聖約によってイスラエルとなる人たち
「ユダヤ人」・・自分たちをユダヤ人と認めている人たち
⇒教会員がまずユダヤ人以外の元イスラエル、もしくはイスラエルとなる人たちにみ言葉が伝えられ、その後、ユダヤ人にみ言葉が伝えられる
現在、すでに多くのユダヤ人の方が末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗していると聞いていますので、この聖句の成就はかなり進んでいる。
(教義と聖約133章8節他参照)

10節:
「主の腕」・・・
「力」・・・神権の力
「異教」・・キリスト教やユダヤ教以外。イスラム教?仏教?などなどの国々
「ヨセフの家」・・ヨセフの家系(直系?)
⇒異邦人やユダヤ人にみ言葉が伝えられた後、主の腕が力をあらわし、異教の諸国民、ヨセフの家系に救いの福音を確信させる
これはまだ成就していない。このことを聞くようになったら、次の節の成就は近い。

11節
「その日」・・・
⇒「その日」聖霊の働きで「この力を有する職に聖任される人たち」によって、すべての人が完全な福音を聞く

 主の腕は聖任されるんだ。

という思いを持ちました。

2025/9/9

アルマ書45章あたりを読んでいました。

ニーファイ人から別れたゾーラム人がレーマン人と合流してニーファイ人を攻める。
その激しい戦争が終わり、アルマの息子アルマから、その長男のヒラマンの時代に変わる。

この場の皆さんに説明は不要と思いますが、その後のあらすじ。

ヒラマンたちの努力にも関わらず、豊かさから高慢になる人たちがいて、神さまの言葉に怒りはじめる。
その首謀者アマリキヤはニーファイ人(同胞)を殺そうと決意し、その王になろうとして失敗した後、指令長官モロナイとの戦いに敗れ、レーマン人(敵)のところに行き、やがてレーマン人の王となる。
アマリキヤはレーマン人の王となって、ニーファイ人との戦いを避けようとする人々を煽り立てることに成功し、大軍を派遣してニーファイ人を打ちまかそうとする。
一方、指令長官モロナイは辺境の守りを固め、自分たちの自由を守る戦いに備える。

長い長い、四半世紀にも及ぶ戦いが始まる。
富への執着、権力への執着、神さまに対する反抗心は、2つの民を争わせ、多くの生命を犠牲にした。
モロナイの兵は困窮に耐え、不平も言わずに、民の自由のために戦った。

その間に、自分の国が攻められているにも関わらず、国の中央でそれを喜び、敵国が勝つことを望む者が後から後から現れる。

外側の敵、内側の敵。
どんなに守りを固めても、援軍がないと守れない。

そんな時に、2000人の勇者が現れてニーファイ人を守る。
彼らの親はかつてニーファイ人の敵であったが奇跡的な改宗をし、今や、命よりも神さまに仕えることを大切にしている人たち。

ニーファイ人の指令長官モロナイたちや総督パホーランの働きによってようやく戦いが終わる。
その後、ヒラマンは亡くなり、モロナイは隠居する。

――あらすじはここまでーー

いつもこのあたりに差し掛かると、わたしはこの戦い記録から何を学ぶのだろう、モルモンは何を伝えたかったんだろう、神さまは何を知ってほしいんだろう、わたしがどんな決意をすることを望んでおられるんだろう、と考えます。

なぜ、モルモン書、特に、アルマ書には戦いの話が多いのだろう。
なぜ、モロナイは最初の戦いで、アマリキヤを逃がしてしまったのだろう。
なぜ、神さまは、アマリキヤをとらえさせ、殺させなかったのだろう。
なぜ、モロナイは殺伐とした戦いに明け暮れながら、自分を制御できたのだろう。

同じようなことが再び起きるのだろうか。
すでに起きた戦争を示しているのだろうか。
これからおきるのだろうか。

などなどなど。

2025/09/10

アルマ書42章10節「生まれながらの人」に気をひかれました。
自分がそうだからでしょう。
今回は聖句の引用が中心です。

――
注意書き:以下の聖句をわたしがそう理解しているということです。文責はわたしです。決して鵜呑みにしないでください。
――

「生まれながらの人」といえば、すぐに思い出されるのは

(モーサヤ書3章)
19 生まれながらの人は神の敵であり,アダムの堕落以来そうであって,今後もそうである。また人は,・・(中略)・・,とこしえにいつまでも神の敵となるであろう。

ですね。
⇒アダムの堕落によって、生まれながらの人は神さまの敵になりました。

(アルマ書12章)
24 そして,わたしたちの知っているように,現在,死が人類に及んでいる。まことに,アミュレクが語った死,つまり肉体の死が及んでいる(後略)。

(アルマ書42章)
7 さて,これによって分かるように,わたしたちの始祖は,肉体的にも霊的にも主の御前から絶たれてしまった。このようにして,わたしたちが知っているように,彼らは自分の意志に従う者となったのである。
14 このようにして,わたしたちが知っているように,全人類は堕落した状態になり,正義の支配下に入った。まことに,この正義は神の正義であり,全人類がとこしえに神の御前から絶たれることになったのである。

⇒アダムはエデンの園にいたときに神さまの命令を「ひとつ」守らず、神さまの言葉の通りに堕落したので、神さまと顔と顔を見合わせて話すことができなくなりました。その後は、神さまから、直接、教えを受けることができなくなり、自分で善悪を判断し、自分の行動を決めるようになりました。しかも、不完全な肉体は生き続けることができず、霊は肉体から離れる死を迎えることになりました。

(アルマ書42章)
10 人類は生まれながらの本性のために,肉欲や官能におぼれ,悪魔に従う者となった(後略)。

(モーサヤ書16章)
5 自分自身の肉の性質の中にとどまり,罪の道と神に背く道を進む者は,その堕落した状態にとどまって,悪魔がその者を支配するすべての力を持つということを忘れるな。だから,その者は神の敵であって,あたかも贖いがなかったかのようである。悪魔もまた神の敵なのである。

(アルマ書7章)
21 また,神は清くない宮には住まわれない。そればかりでなく,汚れや清くないものは神の王国に受け入れられない。したがって,わたしはあなたがたに言う。汚れている者が,その汚れの中にとどまる時が来る。それは終わりの日である。

⇒「生まれながらの本性」「肉の性質」はその内にある霊を罪に導くもののようです。罪を持ち続けることは悪魔の支配下にはいることです。そのままでは、神さまの元に戻ることはできません。

⇒ここまででは「生まれながらの人」には希望が無いように思えますが、アルマ書42章は、「生まれながらの人」に希望を与えようとしてくれます。

(アルマ書42章)
4 このことから分かるように,人が悔い改めることを許された期間があった。まことに,それは試しの時期であり,悔い改めて神に仕える時期である。

(アルマ書42章)
10 (前略)この試しの状態は彼らが用意をする状態となった。すなわち,準備の状態となったのである。

(アルマ書12章)
24 (前略)にもかかわらず,人が悔い改めることができるように,猶予期間が与えられた。したがって,この世の生涯は試しの状態,すなわち神にお会いする用意をする時期,わたしたちが前に語った死者の復活後に訪れるあの無窮の状態に対して用意をする時期となった。

⇒現世は「試し」の時期。「お試し期間」「準備期間」「猶予期間」であり、「神さまにお会いする用意をする時期」です。
「生まれながらの人」にも、少し希望の光が見えてきました。

(アルマ書42章)
30 おお,わが子よ,あなたはこれからはもう,神の正義を否定しないようにしてもらいたい。神の正義を否定することによって,どんなささいなことでも罪の言い訳をしようとしてはならない。(後略)

⇒正義とは、どんな小さな罪にでも罰をくだすという、ルールです。それを否定したり、罪を言い訳で覆い隠そうとしても、その神さまルールは執行されます。
そうであれば、罪を犯し続ける「生まれながらの人」は何をすればよいのでしょうか。

(モーサヤ書3章)
19 (前略)また人は,聖なる御霊の勧めに従い,主なるキリストの贖罪により,生まれながらの人を捨てて聖徒となり,子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,子供が父に従うように,主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで従(後略)「う」

(アルマ書7章)
22 さて,わたしの愛する同胞よ,これらのことをあなたがたに語ってきたのは,神への義務感をあなたがたに自覚させ,あなたがたが神の御前を罪のない状態で歩めるように,またあなたがたが,かつてそれによって受け入れられた神の聖なる位に従って歩めるようにするためである。
23 さて,わたしはあなたがたが謙遜であり,従順で素直であり,容易に勧告に従い,忍耐と寛容に富み,すべてのことについて自制し,いつも熱心に神の戒めを守るように,また霊的にも物質的にも,必要としているものは何でも求め,与えられるものについては何であろうといつも神に感謝するように願っている。

(アルマ書42章)
30 (前略)神の正義と憐れみと寛容があなたの心の中で存分に力を振るえるようにし,そのためにへりくだって地にひれ伏すことができるようにしなさい。

⇒神さまの憐れみが心の中で力をふるえるようにし、これらの聖句にある通りに生き方を変えようとする(悔い改める)ことが「生まれながらの人」を捨てて、「聖徒」となる鍵であると思います。

「悔い改め」の段階(罪を認める,罪を悲しむ,罪を捨てる,罪を告白する,罪を償う,罪を赦す,神の戒めを守る)には、恥ずかしいことやつらいこともあるかもしれませんが、それだけの価値があると思います。⇒自分に言い聞かせています。。


この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神さまの子で、神さまのみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神さまはあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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