2025年8月19日からの朝の勉強会(啓示・聖餐)で学んだこと

2025年8月19日から23日、毎朝6時から8時頃まで行われた朝の勉強会に参加しました。(19日は不参加)

以下はその時のメモです。(文責は当ブログの管理人)
導いてくださった講師の方のお名前は伏せます。

勉強会メモ(2025年8月19日-23日 朝)

1日目(2025年8月19日火)

不参加のため、当ブログ管理人作成のメモはなし

2日目(2025年8月20日水)

光は輝き、闇は光に立たない。光は暖かい。闇は冷たい。

キリストの光とは心に感じる印象以上のもの。
困っている人を助けたい。善行いたい。そういう動きを促すもの。
従うときに増大し、逆らうときに縮小する。

良い方向良い気持ち。迷わず従う。従わないと弱る。

適切な方法でいろいろな光、良い行いに促される。この世は啓示に満ちている。

願い求めるときに、天からの啓示、霊感が与えられる

信仰とは信じて行いで示すもの。
いろいろな形で従う。
行動すれば教訓を得る。

聖霊は善い行い、行い良い人になるように促す。

身近な人、例えば母が天使となって善を行うように促していることもある。

神さまは私たちを信頼しているので、私たちに任せている。劇的な事は必要ない。

祈りと神さまとの交わりの3つのパターン
1.祈るとすぐに啓示を受け、劇的な方法で与えられる。暗闇に強い光があるようなもの。とても珍しいこと。
2.太陽が地平線から昇るように少しずつ明るくなる。これが一般的。
3.霧に覆われていて、夜ではないが薄暗い。数歩先に行行くのには充分であり、進むことができる。ベトナー長老はこれが自分には普通だと言っておられる。

イエス・キリストは、光
イエス・キリストの模範に従う時、明るくなる。拒む時、孤立する。
自分の力を超えるものが啓示として与えられる。

ラバンの真鍮版を取りに行く時、レーマン・レミエルはつぶやいた。ニーファイは疑わなかった。ニーファイは行動し、真鍮版を得た。

ニーファイは財産を持ってラバンと交渉に行った。結果として、真鍮版は手に入らず、兄達から棒で打ち叩かれた。
願っていた結果からすると失敗であるが、ニーファイは教訓を得た。

この世では利益を得たり、自分の思い通りになったりすることが成功と言うが、信仰においては成果主義ではなく、行動起こすことで教訓を得るのである。
奇跡に先駆ける信仰により行動を起こすのである。

信仰があるからといって、神さまがすべてのことを示してくださるわけではない。

イエスは道を示してくださるが、答えを示してくださるのではない。

御霊はsplit、霊もsplit、悪霊もsplit。区別がつかないので、悪霊にはあだ名としてEvleと名付けられている。

清められた霊のことを聖霊と言う。
主の御霊とは、主に従った霊のことで、生まれる前に神さまに従った霊、正しい人が死んだ後の霊のことである。

自分が行ったことでうまくいかず悩み苦しむこともある。モロナイ7章45節試合の聖句にある耐え忍ぶとは、長く患うことである。それによって自分の視野が広がり、知識が増え、他人にやさしく、親切な人になる。

人間とは善悪の判断をするものである。アダムは善悪を知る木の実を食べた。

良いか悪いかの判断は、人ではなく、神様がするものである。

黒人に神権が与えられなかった時、ブリガムヤング大学のフットボールチームは他の大学から交流試合を拒否されていた。時の大管長は、多くの批判を浴びながらも、黒人に神権が与えられるまでしばらく待つようにとのことを言っていた。

黒人と神権については、協会歴史のインステのテキストや福音のトピックスの論文から学ぶことができる。

3日目(2025年8月21日木)

ジョセフ・スミスは、最初の示現の後、すぐに神様の声を聞いて、教義と聖約に乗せるような啓示を受けるようになったわけではない。
ジョセフ・スミスは長い間訓練を受けてきた。

啓示は疑う人には与えられない。

●ジョセフ・スミスの最初の示現の話から学べること
ジョン・スミスの父と母は違う教会に行っていた。
ジョン・スミスはどちらの教会もしくは他の教会のいずれが正しいのか知りたかった。

ジョン・スミスは疑問ではなく質問があった。
それはどの宗派が正しいかと言う質問である。

ジョセフ・スミスは聖句(ヤコブ5章)を読んで感じて実行しようとした。
しかしすぐにではなく、祈る場所を見つけ、声に出して祈ろうとした。

・重要なポイントは
・疑わない
・静かで、人目を避けた場所で
・声に出して祈る。

祈りの最中で、ジョセフ・スミスは滅ぼされそうになった後、栄光を持つ人が現れた。

そこで質問をした

ジョセフ・スミスの内側の質問はどこかに正しい教会があり、それを教えて欲しいというものだった。

しかし、神さまの答えは、ジョセフ・スミスの想定外であった。
外側からの答えは自分の想定外、思いもしないものであることもある。
神さまの答えは、その時代に、正しい教会はなく、ジョセフ・スミスがこれから組織することになるとのことであった。

祈りは買い物リストのようにしてはいけない。
あれが欲しい。これが欲しいと求めることを並べるような祈りではなく
質問をするということである。

疑問と質問は違う。

ジョセフ・スミスは光が柱のように置いてきたと言っている。私たちは一筋の光を受けることができる。

しかしジョセフ・スミスは最初の見神の後、神さまの教えに完全には従っていない。
その後、自分の行いを振り返り、夜ベッドの横で自分の弱さを感じて、悔い改めの祈りをした。
そこに天使モロナイが現れ、ジョセフ・スミスが翻訳する古代の金版について話をした。

しかし、金版を得るためにはまだ4年間待つ必要があった。

その理由はジョセフ・スミスが受けた富に対する誘惑である。
ジョセフ・スミスは富に対する誘惑に打ち勝つ準備ができていなかったのである。
金版には金銭的な価値がないといわれても、自分の家族を金銭的に助けることができるのではないかと考えていた。

Q)金銭的な誘惑にどう打ち勝つか

什分の一の律法(収入の10分の1をささげる)
第3ニーファイ13章にもあるように、什分の一は、天に宝を蓄えるということである。それは行いや奉仕も含まれる。
マラキ書3章10節には什分の一で神さまを試み、天の窓を開くとある。
→収入を得て10分の1を収め、神様に祈って結果を観察することである。

什分の一は電気代の支払いとは違う。支払って終わりではない。
10分の9で10分の10を持っている以上の富が与えられるかどうか観察することが許されている。

富とはお金だけではない。溢れる祝福を得ることができる。
神の恵みは人を通してやってくる。
多くの人が自律的に働いて、私たちに益を与えてくださる。

教会が什分の一をどう使うのかも知ると良い。

■意思と実際の行動
無意識で行動なし。
有意識で行動なし
有意識で行動あり、
無意識で行動あり。
ここまで行くと意識せずとも御心を行うことができるようになる。

意志を行動にする:心に感じたことを行動に移す

そのためには受けた印象を書き留めたりすぐに行動したりする必要がある。
そうしないと忘れる。薄れていく。

■人間関係を第一に考える。
正直で誠実に付き合う。
ジョセフ・スミスは教会の設立の際に妨げとなる人との関係を立つように言われた。

Q)自分の人間関係について考える
障害となる人必要となる人、
SNSから離れることも必要。そのための啓示(総大会の話)もある。

■怠惰を避ける
スミスの怠惰なことを叱られた。
Q)自分はどんなことに怠惰か

練習し、訓練を受ける。備える方法

■真理は、覆いによって隠されています。
啓示を通して知ることができる。
真理を知ることが大切。
真理の一つは、イエスがキリストであることを知ること。

・ウザが契約の箱に触れて、即座に死んだ。
今私たちが戒めを破ってもすぐに死なない。今は執行猶予中。

■よいと思ったことを行動して、教訓を得る。
まずは、戒めを守り
永遠の観点から見て良いか悪いかはこの世の生涯だけではわからない。

■啓示は象徴として受け取る

■聖霊は真理を伝える

■賜物とはギフトである
御霊の影響力である
御霊はいろいろなスキルを与える

■御霊、聖霊、スピリット
御霊があり悪霊がある。
前世の霊、死後の霊。
肉体を持つ霊=それが現世の私たち

4日目(2025年8月22日金)

啓示4日目

聖文から掲示を受ける。
啓示の源泉とは何か
聖文は既に聞こえた啓示、
前もって記録された啓示
感じる気持ちを持って研究する。
考えと印象。
心に浮かんだこと、気持ちを大切にする。
心に感じたことが掲示
思いがここ頭に浮かぶ。

わたしの考え、
心は霊ではないか
脳は頭にあるが、心は体にはないから。

質問に答えていただくためにテーマを持って調べて学ぶ。

毎日15分から30分時間を決めて学んだことを書いてまとめておく。
それをファミリーツリーに貼るとか、

みんなで研究すると新たな気づきがある子供からも気づきを得る
神様に会う
救い主に近づく救い主を知る。

研究計画を立てる決まった時間に研究する。

順次聖典学習法とテーマに絞った研究・学習法がある
テーマで学ぶと学びが大きい。

タルムードは口頭で伝えられてきた。
誰かの話を聞いて、これは大切だと感じられたこと。

祈ると神様はそれを成し遂げるための準備をされる

手と足と頭はどっちに向いているか

旧約聖書は救い主が来ることの余計。
主がこんな方だと言う教え

新約聖書は救い主がこられたこと、なされたことの記録。
予言の成就。影。

モルモン書は末日のための聖典。
モルモン書に書いてあることと、末日の世を比較して、
今起きていること、これから起こることがわかる。
私たちはイエス・キリストを信じるためであり、
末日に生きている。

言葉の意味を調べることも重要。
新約聖書のイエス様の誕生と旧約聖書のアブラハムの試練の物語を対比させて、
それぞれの役割にあたるものは誰かを考える。
また山に登っていくことが何を示しているかを考える。

アブラハムとサラは歳をとってからイサクを産んだ。これは奇跡である。
ヨセフの妻となるマリアは独身の時にイエスを身に宿った。これも奇跡である。

イサクと言う名は笑わせてくださったという意味である。
モリヤの山に登っていくのは、救い主がゴルゴダの丘に登っていく象徴である。
モリヤという意味は神が備えてくださるということである。

アブラムは息子イサクを捧げたので、天父の役割を果たしている。
イサクは父によって犠牲とされるようになったので、御子の役割を果たしている。
しかし神さまはアブラハムを止め、そこに代理のいけにえとして羊が置かれていた。
この羊は救い主を表す。神さまは救い主を備え、イサクを守った。

サラはイサクの母である。サラはそこにはいなかったが、イサクをが犠牲になると知っていただろう。
全てを見ておられる天の母は私たちのことをどのように見ておられるだろうか。

羊によって身代わりとなったことで救われたイサク。
私たちは救い主の犠牲によって幸福を得る。まさに笑うということである。
私たちが笑うためにイエス様がいるのである。

ベツレヘムの意味はパンの家。
そして古代イスラエルにおいてパンと肉は同じ意味である。
なので、パンの家であるとともに、肉の家でもある。
また実り豊かという意味や、神殿という意味もある。
飼い葉おけはマージャと言う。マージャは仮庵という意味でもある。
救い主は肉の幕屋に生まれ、それは仮で一時的なもの。

聖餐はイスラエルの3つの祭りをまとめたもので、私たちはそれを毎週行っている。

新約聖書と旧約聖書からイエス・キリストの象徴を見つけ、モルモン書から現代の掲示を見る。
イエスとはどういう意味か
キリストとはどういう意味か

言葉の選択は重要である。

善悪の判断ができるので、悪を行って良いと言うわけではないが、神様は善しか行われない。
善悪の外におられる。私たちも善のみに身を置くことで自由になる

モーサヤ書 27章3節から、優れていると考えてはならないとあり、王がいるのは良いことであるともある。
これは肉体を持っている人で上に見てはならないし、自分と比較して上だと思わないようにと言う意味である。
ちょうど福沢諭吉が電話人の上に人を作らずと言ったことと同じ

正しい王がいたらというのは、役割を人は担っているのであって、人に役割がある。
私たちは一人一人重要な役割を担っているということである。

予型と成就。
成就のあとで生まれるもの。
イエス・キリストの贖いの後に影が生まれる

良いと思ってやっても失敗することもある。
教訓を得るためである。
結果は永遠の観点からしか良し悪しはわからない。

聖文は象徴である。
主の律法は必ず行われる。
神は言われたことを必ず実行される。
ウザのことからはそれらがわかる。

教義と聖約64章9節から10節:互いに許し合う。許すことが求められている。許すことが難しいときにはどうすれば良いか
エテル書12章27節
人に弱さを与えるのは謙遜にするためであるとある。
人は自分だけではなく、他の人も指す指す。
自分の弱さだけではなく、他の人の弱さも自分が謙遜になるための道具である。

ちりを見て自分の針を見ない。
人の事は小さく受け取り、自分に集中することが大切。
人を許せば大きな祝福がある。

自分が謙遜になるために、他の人の弱さがある。

5日目(2025年8月23日土)

聖餐について

聖餐はイエスキリストが弟子たちに対面で教えられた。
聖餐の祝福の言葉を研究する。

モロナイ書4章及び教義と聖約20章

心に迫るキーワードを書き留め、自分にとって大切と思ったら線を引く。これは宝物になる。

書き留めた言葉の定義を別の言語で調べることで深い洞察が得られることがある。

イエス・キリストの名前の意味
「イエス」とは「神の救い」という意味。
「キリスト」とは油注がれたものと言う意味。
エホバは救ってくださるということで、救世主と言うことになる。

●聖餐の祝福の聖句解説
永遠の父なる神
私たちは御子の御名によって願い求め
願い求める=ask である
求めれば与えられる:ask とrecieve

御子の御名を受ける

エンダーメントは象徴である
永遠の父なる神はエロヒムと呼ばれる。
エルは神格を表す。
永遠の父なる神の高貴な称号としても使われる。

ヤハウェ
油注がれた方の名前は神聖なので、イスラエルの民は、この世界を作られた方を呼ぶ名称として
口にするのも恐れ多いと考えた。そのためイスラエルの民はこの方の名前を呼ぶ呼ぶことがなかった。
なので、別の名前を使ったりして、本当の名前を隠した。
4文字示されるYHWHもしくはJHVH。本当の名前は今も不明のまま。

主はご自分についてI am Who I am と言われた。これはI am what I will be とも言える。

この4文字の言葉ですら口にするには恐れ多いので、Lordとかadnaiを使った。
このLordとはパン(肉)を守るものの意味。肉体を守っている人という意味になる。
ギリシャ語やヘブライ語の言葉を調べる価値はある。

人々
英語ではSoul。アブラム5章7節に生きるもの(Living Soul)。これは人と訳されている。
つまりSoulとは日本語の「魂」ではなくて、現世にいて肉体がある人々を指す。

体の記念
私たちが仮の肉体に住んでいること、そしてイエスさまも同じであったことを思い起こさせる。
パンを裂く事はイエスさまが私たちのために犠牲になった。
つまり裂かれたと言うことを思い出させる。
イエス様が亡くなられるとき、神殿の幕が裂かれた、

進んで
英語ではwilling to。これは喜んで何々する。自発的に行う、という意味。

take upon 義務を負う。預かる、責任を負う、という意味。

自分が救われるために、そして他の人を救うために、何を喜んで自発的にできるのか。
それを考える。

ゲッセマネ:オリーブの油絞り。
ゲッセマネで行われたあがない。
イエスさまは、そこでご自分の肉体的な思いよりも、天父の御心を優先され、苦い杯を飲まれた。
それは苦しみを経験されたということである。

水を取るとは杯を飲むこと。私たちのために流された血。ゲッセマネの苦しみを思い出すこと。

聖典を研究するとはそこに書かれていることを自分の生活に応用することである。

覚える
リメンバー
新たにとか再びという意味である。ずっと覚えておくと言う意味にもなる。

戒めを守る
より良い方法を探すということ。

戒め:commandments(命令)が使われている。
主の命令に従い、戒めを実行するときに祝福を得る。

選択の自由を行使する。
選択の自由の語源:Agency:代理店をさす言葉。
代理店は本店からの指示を受けその通りに行う。

善悪:Good/evil。
私たちは主の命令に従う。
私たちはサタンの命令には従わない。

何を行動したいと思ったかを記録する。

あなたに証明して
witness unto thee
私たちが証人なることを神さま(と人々)に証明する。

第一の戒めは神を愛するである。
Thou shalt love the Lord thy God with all thy heart, and with all thy soul, and with all thy mind.
第二の戒めは隣人を愛するである。
神を愛するのと同様に隣人を愛するという言葉である。
And the second is like unto it, Thou shalt love thy neighbour as thyself.
自分と同じように隣人、つまり他の人を愛する
他の人も神の子である
他の人々を集めれば神さまとなる
神様のために証人になるという事は、他の人に証明するということにもなる。

やりたくないことや苦しいことを喜んで自発的に行う時、救いをもたらす。

おまけ

なりたい人のメンターを見つけるときには、SNS SNSでなりたい人フォローするのではなく、その人にメンターになってほしいと依頼する。

霊の時間軸と肉体を持つ私たち(地球上)の時間軸は違うかもしれない。
神さまには過去も未来も全ては目の前にある。

勉強会メモ ここまで



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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