人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書の創世記6章から9章にノアの洪水の物語があります。
この短い物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
ノアとその家族だけが神様を信仰し、ノアたちの努力にもかかわらず、ほかの人たちは神様を信じず、邪悪から離れませんでした。
神様は、人類を洪水で滅ぼし、ノアの家族と新たな契約を結ばれました。
ノアの洪水の物語にから学べる7つのことをご紹介します。
ノアの洪水の物語から学べる7つのこと(創世記6章から9章)
2.ノアは神様の言葉にゆるぎない信仰を持っていました
3.ノアは人を恐れない勇敢な人でした
4.ノアは働き者でした
5.ノアは孤独に耐えました
6.地球は水によるバプテスマを受けました
7.神様は反抗するものをも愛しておられます
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は、あなたが義を求めて正しく生きるように望んでおられます
神様は「あなた」が義を求めて正しく生きる、言い換えると、世の罪から離れるように望んでおられます。
これが創世記のノアの洪水の物語から学べることのひとつです。
神様は、ノアに、人々に神様に立ち返るように勧めさせました。
しかし、その時代の人々はノアの話を聞かず、いつも悪いことばかりを考えていました。
もし、人々が心をあらため、ノアの言葉に耳を傾けていたら、ノアとともに救われたでしょう。
もしくは、洪水はおきなかったかもしれません。
2.ノアは神様の言葉にゆるぎない信仰を持っていました
洪水が起きたのはノアが箱舟に入ったときでした。
雨が降り始めたのは、ノアが船を完成させ、動物を船に乗せたあとです。
晴れた日が続く中、森の中で、いつ来るかもしれない洪水の日に備えて、「巨大で四角の水に浮く箱」を作っていたのです。
信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
(ヘブル人への手紙11章7節)
3.ノアは人を恐れない勇敢な人でした
ノアは、ほかの預言者がそうしたように、神様に立ち返るように人々に伝えました。
自分の話に耳を傾けず、あざ笑う人々にむかって、悪から離れないと洪水がおきて滅ぼされると伝え続けたのです。
中にはノアの話に怒りを覚え、ノアを滅ぼそうとした人もいたでしょう。
それでもひるまず、ノアは人々に神様に立ち返ってほしいと願い、神様のことを延べ伝えました。
4.ノアは働き者でした
ノアは何日もかけてこつこつと巨大な箱舟を作りました。重労働でしたが手を抜きませんでした。
その船は、雨が降り、洪水が起ったあと、長い期間、多くの動物を載せたまま、海の上をさまようのに耐えました。
5.ノアは孤独に耐えました
また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
(ペテロの第二の手紙2章5節)
人々に洪水の警告を述べましたが、箱舟に乗った人は、ノアとその妻、3人の息子とそれぞれの妻の8人だけでした。
他にはノアの言葉を信じる人はおらず、ノアは孤独の中で箱舟に乗り込んだのです。
洪水のあと、アダムからはじまった人類はノアの家族以外はいなくなっていました。
ノアは神様と契約し、人類はノアの家族からやり直すことになりました。ノアは孤独の中で子どもたちを導いたのです。
6.地球は水によるバプテスマを受けました
この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。
(ペテロ第一の手紙 3章21節)
人と同じように、やがて来る復活の時にそなえて、地球もバプテスマを受けたのです。
7.神様は反抗するものをも愛しておられました
神様はノアの家族を除くすべての人を滅ぼされました。
この話に驚かれるかもしれません。
神様は、新しい命が暴虐の中で生まれることをよしとされませんでした。
生きている人たちがこれ以上罪を重ねることもよしとされませんでした。
とはいえ、滅ぼす以外の方法はなかったのか、と思われるかもしれません。
人は人の命の償いをすることはできません。
死んだために地上でできなくなったことを取り戻すことは人にはできないのです。
しかし、神様は、失ったものを与えることができます。
洪水で滅びた人たちはこの世を離れたのち、神様の教えを聞き、従う道が備えらました。
生きている間はまわりから誤った教えを受けたために道をそれていたかもしれません。
正しく育てられていれば神様に従ったかもしれません。そのような人にも機会があたえられるのです。
18)キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。
19)こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。
20)これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。
(ペテロ第一の手紙 3章18節ー20節)
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