バビロン捕囚、エルサレムへの帰還、キリストの誕生、ローマによる国の滅亡、民の散乱、集合、キリストの再降臨、平和の確立、とその背景や理由が明らかにされています。
神様の戒め(訓戒)に従う時に救いを得ること、戒めに従うとは形式を守ることではなく、心を神様に近づけることであると記されています。
人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書のイザヤ書は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
イザヤ書から学べる4つのことをご紹介します。
イザヤ書から学べる4つのこと:悔い改めて、キリストを信じ、従うなら救いを得ます
1.悔い改めて、キリストを信じ、神様の戒め(訓戒)に従うなら、救い(平安)を得、神の御許(みもと)に戻れます
2.神様はイスラエルを懲らしめるために隣国を利用されました
3.神様の平和は、悪にとっては敵になります
イザヤ書1章から66章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、参考聖句などです。
イザヤ書は時代順でもなく、テーマ別でもありません。時代も混在し、取り上げるテーマも混在しています。
(私たちが手にしている聖書そのものが、時代順に並んでいません)
周囲の対立する国々の名称も、用いられる言葉も、直接それを指していることもあれば、象徴として用いられている場合もあります。
現在からみて、過去に起きたことも、これから起きることのひな形になる場合もあります。
拡大解釈することが読み解くカギになります。
つまり、聖句ひとつひとつを読む際に、これはいつのことを言っているか、これはなんのことを指しているか、を想像(創造)すると内容が理解(推測)しやすくなります。
0.イザヤ書の時代背景とイザヤが受けた啓示の時代
イザヤ書を理解するためには、イザヤ書が書かれた時代背景とイザヤが受けた啓示はいつのことを示すのかを把握しておく必要があります。
イザヤの意味
「イザヤ」とは「エホバは救いたもう」という意味
イザヤは、ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、エルサレムに住んでいた預言者
- ウジヤ王は若いころは神様に忠実でした
- ヨタム王自身は神様に従う人でしたが、民は悪を行っていました
- アハズ王は偶像礼拝をおこない、主の加護を失いました
- ヒゼキヤ王は神様に忠実でした
それぞれの王様がどのようなことをしたかのまとめは旧約聖書・歴代志下の物語(ユダ王国の歴代の王様と国の状態)から学べること:神様に頼り、従うときに祝福を得る
(https://oosamu.blog/old-2-chr-001-1570.html)を参照
イザヤ以後のユダ王国とイスラエルについての啓示
イザヤはイザヤの死後に何が起きるかの啓示を受けました。
- イスラエルを苦しめたアッスリアが滅びる
- ユダ王国がバビロニアに敗北し、民がバビロンに捕囚される
- バビロニアが滅びる
- クロス王によってユダの中の残ったものがエルサレムに帰還し、神殿を再建することが許される
- イエス・キリストが民の中に生まれ、福音を伝え、民を癒し、罪の贖いとして捧げられる
- ユダ王国がローマ帝国によって滅ぼされ、ユダもイスラエルも四方に散乱する
- イエス・キリストの福音が世の隅々にまでいきわたる
- 散乱したイスラエル(ヤコブの子孫)が四方から集合する
- イエス・キリストが再臨される
- イエス・キリストがヤコブの子孫(イスラエル)を守られる
- 平和が確立され、争いがなくなる
(A)が実際に起きたのであれば、(B)もこれからor現在、起きるということです。
1.悔い改めて、キリストを信じ、神様の戒め(訓戒)に従うなら、救い(平安)を得、神の御許(みもと)に戻れます
聖書全体で伝えているテーマであり、イザヤ書でもメインのテーマです。
エルサレム(イスラエルの民・指導者)を、神様との契約を口実に高潔を装う偽善者として非難しています。
イスラエルの民・指導者は自分たちの罪を認めず、悔い改めることなく、言い逃れによって、自分たちを義人だと誇っていました。
イスラエルは形式的・外形的に戒めや儀式を守ることが神様の聖約に従うことだと思い違いをしました。
しかし、形式的・外形的に戒めや儀式を守ることが大切なのではなくて、内面的な、神様への愛と感謝、隣人への愛とあわれみこそが重要なのです。
神様への愛と隣人への愛を動機として、困っている人や貧しい人を世話することが神様の求めていることです。
そして、罪を犯したとしても、悔い改め、神様に従う努力を続けるなら、赦されて、救いを得ることができます。
神様は、私たちが悔い改めて神様のもとに戻ることを助けてくださいます。
神様の救いの手は、ヤコブ(イスラエル)の子孫でなくても、蔑まれてきた人にも及びます。
全人類は、救い主を信じ、従うことで救いを得ます。
※罪とは神の戒めに故意に従わないこと。つまり、正しいと知っていて、行わないこと。間違いと知っていてしてしまうこと。
17)人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。
(新約聖書 ヤコブの手紙 4章17節)
2.神様はイスラエルを懲らしめるために隣国を利用されました
イスラエル(ユダを含む)がイスラエルの神様に背を向けて神様の守りや導きを遠ざけてしまいました。
イスラエルは不正な裁きをし、この世の栄華を追い求め、貧しい人をないがしろにし、偶像を拝むようになりました。
神様は、イスラエルが悔い改めて、神様のもとに戻るように、隣国の力を利用されました。
隣国にイスラエルを責めさせることで、イスラエルを守るのは神様であることを思い出させようとされました。
しかし、イスラエルの指導者と民は偶像に頼り、神様に頼ることをしませんでした。
そのため、イスラエルから指導する人が取り去られ、兵士が戦いで倒れ、民はきびしい飢えや渇きを経験しました。
道具である国々が自分の力を誇り高ぶると、力を失って滅びていきました。
悪は悪によって滅びていったのです。
アッスリアもバビロニアもペルシャもエジプトもそのほかの国々も
世の中の楽しみと権力と栄華を求め、誇り、罪を犯し、偶像礼拝、暴政、腐敗に浸っていました。
そのために、神様の守りを受けられなかったのです。
3.神様の平和は、悪にとっては敵になります
- 神様の怒りは悪に向かって燃えます
- 神様の怒りは神様を待ち望む者には及びません
- 悪人は火で滅ぼされ、義人は守られます
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