旧約聖書・ヨブ記から学べる4つのこと:義人も神様に近づくために苦難に遭う

義人ヨブは、たとえ、財産を失い、家族を失っても、重い病にかかっても、親しい友人から慰めではなく辛辣な言葉をかけられても、神様への信仰を持ちづづけました。

ヨブは神様に自分が苦難に遭う理由を尋ね続けました。長い沈黙のあと神様はヨブに答えてくださいます。その答えにヨブは言葉を失い、すべてを神様に委ねることを学んだのです。

ヨブ記には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。

人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

旧約聖書のヨブ記1章から42章に義人ヨブが受けた苦難の物語があります。
この物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

義人ヨブが神様に信仰を示し、神様の訓戒に従うのは、そうすることで、ヨブが利益を得るからか。利益を得るから神様に従うのか。
ヨブは、
財産を失い、子どもたちを失い、重い病にかかり、蔑まれてきた人やこれまで助けてきた人たちや、親戚や親しい友人からも辛辣な言葉を浴びせられたら、
神様に信仰を示すことや、神様の訓戒に従うことに、疑問を持ち、神様から離れるだろうか。
ヨブはそのチャレンジに立ち向かい、打ち勝ちました。
ヨブは、
苦難を受けても、神様への信仰を持ちづづけました。

神様に自分が苦難に遭う理由を尋ね続けました。

長い沈黙のあと神様はヨブに答えてくださいます。

神様の答えにヨブは言葉を失いました。

ヨブは体験を通してすべてを神様に委ねることを学びました。

ヨブ記から学べる4つのことをご紹介します。

ヨブ記から学べる4つのこと:義人も神様に近づくために苦難に遭う

1.神様は「あなた」が祝福を失い、苦難の中にあっても神様への信仰を保ち続けることを望んでおられます
2.理由もわからず、苦しみに耐え続けなくてはならないこともあります
3.蔑まれてきた人や助けた人から蔑まれ、親しい友人から辛辣な言葉を聞くこともあります
4.人は神様の思いを知ることはできません。神様にすべてをゆだねるのが信仰です

旧約聖書のヨブ記1章から42章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、参考聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。

ひとつひとつ簡単に解説します。

1.神様は「あなた」が祝福を失い、苦難の中にあっても神様への信仰を保ち続けることを望んでおられます

欲を満たしたり、この世の富や地位を得るために、神様を信じ、神様の訓戒に従おうとするなら、すぐに失意を味わうでしょう。
神様の預言者や神様を信じ従う人は、世の中の人に受け入れられない教えを伝えて迫害を受けたり、謙遜であるために世の中の人に責められたりしてきたことが聖典に記されています。
災害に見舞われたり、商売に失敗することもあり、身近な人の死に直面することもあります。
それは現在も同じです。

そのような状況下にあって、神様を信じ、神様の訓戒に従い続けるには毎日継続して信仰を築くという努力が必要です。

古代イスラエルの歴史が示しているように、豊かになっても貧しくなっても、神様への信仰から離れる人はいます。

神様は「あなた」が祝福を失い、苦難の中にあっても神様への信仰を保ち続けることを望んでおられます。
これがヨブ記から学べることのひとつです。

21)「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。
22)すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。
(ヨブ記1章21節22節)

2.理由もわからず、苦しみに耐え続けなくてはならないこともあります

ヨブは寝ることもできないほどの苦痛に悩まされ、神様に理由を問いますが、答えを受けません。

ヨブは理由もわからないまま、ただ苦しみに耐えました。

5)わたしの肉はうじと土くれとをまとい、/わたしの皮は固まっては、またくずれる。
14)あなたは夢をもってわたしを驚かし、/幻をもってわたしを恐れさせられる。
(ヨブ記7章5節14節)

17)夜はわたしの骨を激しく悩まし、/わたしをかむ苦しみは、やむことがない。
30)わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、/わたしの骨は熱さによって燃え、
(ヨブ記30章17節30節)

20)ただわたしに二つの事を許してください。そうすれば、わたしはあなたの顔をさけて/隠れることはないでしょう。
21)あなたの手をわたしから離してください。あなたの恐るべき事をもって/わたしを恐れさせないでください。
22)そしてお呼びください、わたしは答えます。わたしに物を言わせて、/あなたご自身、わたしにお答えください。
23)わたしのよこしまと、わたしの罪がどれほどあるか。わたしのとがと罪とをわたしに知らせてください。
24)なにゆえ、あなたはみ顔をかくし、/わたしをあなたの敵とされるのか。
(ヨブ記13章20節~24節)

3.蔑まれてきた人や助けた人から蔑まれ、親しい友人から辛辣な言葉を聞くこともあります

ヨブは蔑まれてきた人や助けた人から蔑まれました。

3)見よ、あなた(ヨブ)は多くの人を教えさとし、/衰えた手を強くした。
4)あなた(ヨブ)の言葉はつまずく者をたすけ起し、/かよわいひざを強くした。
(ヨブ記4章3節4節)

1)しかし今はわたしよりも年若い者が、/かえってわたしをあざ笑う。彼らの父はわたしが卑しめて、/群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。
(ヨブ記30章1節節)

本来なら、自分の苦しみを聞いて、慰めの言葉でいたわるはずの親しい友人から辛辣な言葉を浴びました。

13)彼はわたしの兄弟たちを/わたしから遠く離れさせられた。わたしを知る人々は全くわたしに疎遠になった。
14)わたしの親類および親しい友はわたしを見捨て、
15)わたしの家に宿る者はわたしを忘れ、/わたしのはしためらはわたしを他人のように思い、/わたしは彼らの目に他国人となった。
16)わたしがしもべを呼んでも、彼は答えず、/わたしは口をもって彼に請わなければならない。
17)わたしの息はわが妻にいとわれ、/わたしは同じ腹の子たちにきらわれる。
18)わらべたちさえもわたしを侮り、/わたしが起き上がれば、わたしをあざける。
19)親しい人々は皆わたしをいみきらい、/わたしの愛した人々はわたしにそむいた。
20)わたしの骨は皮と肉につき、/わたしはわずかに歯の皮をもってのがれた。
21)わが友よ、わたしをあわれめ、わたしをあわれめ、/神のみ手がわたしを打ったからである。
22)あなたがたは、なにゆえ神のようにわたしを責め、/わたしの肉をもって満足しないのか。
(ヨブ記19章13節~22節)

友人たちは、口々に、ヨブに罪があるからこうなったのだ。罪を認めて悔い改めよ、と迫ります。

7)考えてみよ、だれが罪のないのに、/滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか。
(ヨブ記4章3節4節)

ヨブはそれに対し、どんな罪があるのか教えてほしい、自分はできる限り清い生活をし、常に燔祭を捧げてきており、罪はない、と主張します。

6)わたしは堅くわが義を保って捨てない。わたしは今まで一日も心に責められた事がない。
(ヨブ記27章6節)

友人たちは、それはヨブの高ぶりであり、悔い改めが必要な罪を認めていない証拠だと反論します。

ヨブはその状況の中にあっても、怒りを示すことなく、あきらめることなく、神様に頼り続けました。

25)わたしは知る、/わたしをあがなう者は生きておられる、/後の日に彼は必ず地の上に立たれる。
(ヨブ記19章25節)

4.人は神様の思いを知ることはできません。神様にすべてをゆだねるのが信仰です

神様はヨブの問いに答えられました。

地の基を据えた時、人はどこにいたか。
地を組織し、海を組織したのはだれか。
人は、世のことわりをすべて把握しているのか。
人は、世のすみずみまで把握しているか。
人は、生きるすべてのものを把握しているか。
すべての生き物を生かしているのはだれか。
(ヨブ記38章~41章参照)

ヨブは答えます。

2)「わたしは知ります、/あなたはすべての事をなすことができ、/またいかなるおぼしめしでも、/あなたにできないことはないことを。
3)『無知をもって神の計りごとをおおう/この者はだれか』。それゆえ、わたしはみずから悟らない事を言い、/みずから知らない、測り難い事を述べました。
4)『聞け、わたしは語ろう、/わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ』。
5)わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、/今はわたしの目であなたを拝見いたします。
6)それでわたしはみずから恨み、/ちり灰の中で悔います」。
(ヨブ記42章2節~6節)

ヨブは知識として知っていたことを体験として知ることができました。

  • 神様はすべてのことをご存知で、されようとしたことはどんなことでもできること
  • 人は神様のすべての思いを知ることができず、人は何事を受けても、神様に頼るしかないこと

神様はヨブの友だちを叱責されます。

7)主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、/「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。
8)それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである」。
9)そこでテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルは行って、主が彼らに命じられたようにしたので、主はヨブの祈を受けいれられた。
(ヨブ記42章7節~9節)

おまけの考察 寄り添うことの大切さ

※2022/7/31追記

ヨブ記のもうひとつの側面は、見舞いに来た友だちがヨブを責め、それによって、ヨブがさらに苦しむ、というところです。

友だちは、ヨブが苦難を味わっているのは、ヨブの罪の故であり、罪を認め、悔い改めよとヨブに迫ります。

ヨブは自分はイスラエルの律法に従って罪祭を捧げており、罪は赦されているはずだ、なぜこうなったのかわからない、神様に問うても返事がない、と返します。

友だちはさらにヨブを責め、ヨブの心は弱っていきます。

苦難のときには、そばにいて、その話をきいて理解してもらうことが、助けになります。
自分の苦痛や悩みを聞いてもらうだけで十分なときがあります。

人から与えられるアドバイスは痛みにしかならないときもあるのです。

※2022/7/31追記 ここまで

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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