末日聖徒イエス・キリスト教会 聖徒の道 1975年7月号 に掲載された「イザヤ書を理解するための10の鍵」末日聖徒イエス・キリスト教会 十二使徒評議員会会員 ブルース・R・マッコンキー 著 を文字起こししました。
英文(エンサイン1973年10月号)はhttps://www.churchofjesuschrist.org/study/ensign/1973/10/ten-keys-to-understanding-isaiahにあります。
- 1 イザヤ書を理解するための10の鍵
- 1.1 導入
- 1.2 1.救いの計画について詳細な知識を得、時の初めから今日に至るまで神が地上の人の子らにどのように働きかけてこられたかを知る。
- 1.3 2.主の永遠の計画の中におけるイスラエルの位置と行く末を知る
- 1.4 3.イザヤが記した主な教義について知る
- 1.5 4.モルモン経を参考にする
- 1.6 5.末日の啓示を使う
- 1.7 6.新約聖書がイザヤ書をどのように解釈しているかを知る
- 1.8 7.イザヤ書を旧約聖書の前後関係から学ぶ
- 1.9 8.イザヤの時代におけるユダヤ人の予言のしかたを知る
- 1.10 9.予言のみたまを待つ
- 1.11 10.誠実な態度で研究に没頭する
- 1.12 章ごとの概要
- 1.13 まとめ
- 2 イザヤ書から何を学びますか
イザヤ書を理解するための10の鍵
導入
私たちの永遠の救いが、イザヤ書をニーファイと同じように深く正確に理解する能力があるか否かにかかっているとすれば、私たちはニーファイと共に主の楽しい法廷の前に立つとき、いったいどうなることだろうか。ニーファイは確かにイザヤ書を深く正確に理解していた。また主はイザヤ書について「まことに偉大なる価値あり」(3ニーファイ23:1)と言っておられる。
しかしレーマンとレミュエルにとって、イザヤの言葉は封じた書物同然であった。若いニーファイのふたりの兄は、イスラエルの偉大な聖見者が書いた文字を読み、理解することはできたが、しかしそこに含まれている本当の予言の意味をくみ取ることはできなかった。未知の言語で記された言葉を読んでいるかのようであったからである。
復活された主は、ニーファイ人と、私たちを含めたイスラエルの全家に向かって、さらにすべての異邦人にもイザヤの言葉を熱心に研究するよう命じられた。主は言われた。
「イザヤは、イスラエルの家に属せるわが民につきて一切のことを語りし故に、イザヤが異邦人にも話しかくるべからざるはもとよりなり。イザヤの予言ことごとくはその通り事実となりたらずとも、将来必ずことごとく事実となるべし。」(3ニーファイ23:1-3)
レーマンとレミュエルは、今日のキリスト教界を象徴する原型である。ふたりは永遠の破滅に通じる下降の道をたどっていたので、霊的な識別の力を欠いていた。そのために、この古代の予言者の難解な教えを理解することが、全くと言ってよいほどできなかったのである。
父のリーハイは、「まことに偉大なことを多く兄弟たちに語ったが、それは人が主に尋ねなければ解りにくいことであった。」そのときふたりの兄は、父の教えに背き、主に頼ることを拒み、父の教えの本当の意味を理解しようとしなかった。ニーファイはふたりに「主に尋ねたか」と聞いている。それに対しふたりは、「主に尋ねてはいない。主はこんなことをわれわれに知らせないからである」と答えている。
そこでニーファイは、主なる神御自身の言葉で、人が啓示された言葉の本当の意味を知るための法則と、事実知ることができるという大きな約束を次のように引用している。
「もし汝らその心をかたくなにせず、答えを受くと信じ、固き信仰を持ち、わが誠命を勤勉に守りてわれに願わば必ずこれらのことを汝らに示さるべし。」(1ニーファイ15:1-11参照)
ニーファイはまたこうも言っている。「私の心はまことにイザヤの言葉を喜ぶ。」(2ニーファイ25:5)個人的な気持を述べるなら、私もイザヤとその言葉に対して、ニーフアイと同じように喜びを感じている。しかしニーファイやイザヤの到達していた地点に達するためには、私も彼らの言葉を語り、彼らと同じ思いを抱き、彼らと同じ知識を持たなければならない。また彼らが信じ教えたことを、私も信じ教え、彼らと同じように生活しなければならない。
事実私の救いは(またあなたがたの救いも)、イザヤ書をニーファイと同じように深く正しく理解する能力があるか否かにかかっていると思われる。
ところでニーファイやイザヤの知っていたことが、私たちに知らされないということがあるだろうか。人を片寄り見ることをされない神は、すべての子らに同じような機会を与えられるのではないだろうか。彼らに啓示された事柄を私たちにも示すための原則と、その原則の要求する条件を神は宣言し、その条件を満たせば啓示を与えようと約束されたのではなかったか。
主エホバはイザヤに、「おとめがみこもって男の子を産む」と啓示された。(イザヤ7:14)その名前は、「神われらと共にいます」という意味である。この「子」は「大能の神、とこしえの父」となって、「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく」続くのであった(イザヤ9:6,7)。また「自分を、とがの供え物」となし、「その墓は悪しき者と共に設けられる」のであった(イザヤ53:9,10)。イザヤは全人類に対する瞭罪の約束をこう述べている。「あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる」(イザヤ26:19)。この神は終りの日にイスラエルを集め、「主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、敷うたいつつ、シオンに来る」(イザヤ35:10)。そして主の民は、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るであろう。(イザヤ52:8)もし以上のことや他の数多くの輝かしい真理がイザヤやニーファイに知らされていたのなら、どっして私たちに知らされないのだろうか。このふたりの予言者が私たちの知らないことを知っていなければならない理由が何かあるのだろうか。主エホバは私たちの神でもあるのではなかろうか。
しかし、多くの人がイザヤ書を難解な書と考えていることは事実である。今日の諸教会は、イザヤの言葉をほとんど理解できないでいる。「イザヤが言った言葉の中には、私の民の多くの者に解りにくいことが少くない」(liニーファイ25:1)とニーファイは言っている。この真実の教会の中にも、聖霊の賜によって啓発されているはずであるのに、モルモン経のイザヤの引用の部分をとばして読む者がいる。このような人はイザヤの言葉を封じられた書物の曾葉のように見なしているのである。そして事実、彼らにっては封じられた言葉なのである。もし多くの人が考えているように、イザヤ書が最も難解な書物のひとつに数えられるとするなら、同時に彼の言葉は私たちが精通し、熟慮すべき最も重要なものと考えなければならない。一部の末日聖徒は、イザヤの手になる予言的な言葉の封印を解き、その意味を一べつしようと試みているが、この貴重な宝に関する限り、聖徒の間においてもまだかすかなろうそくの光しかともっていないようである。
しかし聖見者イザヤの見た示現は、枡の下に隠しておく必要はない。イザヤの予言の言葉は、すべての教会員の心に明るい光をともすものである。もし人が救いの計画と、末日のイスラエルに働きかける主のみ手についてよく理解し、知識を得たいと心から願うなら一この態度はイザヤの言葉を熱心に調べよという主の戒め(3ニーファイ23:1)に沿うものである私はその人々に、ひとつの鍵を差し上げたい。その鍵を用いれば、キリストのその律法を証するこの証人の筆からほと走り出る光と知識の宝庫の扉を開けることができるのである。いろいろな意味でイザヤはイスラエルの最も偉大な予言者であった。ではイザヤを理解するための10の鍵を掲げよう。
1.救いの計画について詳細な知識を得、時の初めから今日に至るまで神が地上の人の子らにどのように働きかけてこられたかを知る。
イザヤ書は他の書、例えばモルモン経のニーファイ第二書やモロナイ書のように、救いの教義を詳しく説明した書ではない。イザヤ書はすでに知識を得ている人々、中でも、イエスが主であってその貝費いの血によって救いがもたらされることと、天父の王国に受け継ぎを得るには、信仰、悔改め、バプテスマ、聖霊の賜、そして義にかなった業が必要であることを知っている人々に向けて書かれたものである。一例をあげるなら、イザヤ書14章に出てくるルシフェルとその軍勢が肉体を得ることなく地に投げ落とされる話を理解するには、前世のことと天上の戦いの知識を前もって得ていなくてはならない。
2.主の永遠の計画の中におけるイスラエルの位置と行く末を知る
イザヤはイスラエルをこよなく愛し、彼の関心も選民の上に集中していた。彼は末日にヤコブの子孫が勝利をおさめ、栄光を得ることを詳細にわたって予言し、多くのページを費やしている。彼は特に回復について多くを語った予言者である。
この地が始まって以来すべての聖い予言者が予言したように注の計画は匝函を必要としていた・この万物の更新とは、これまでのいずれかの時代の人々が所有していたすべての真理、教義、力、神権、賜、恵み、奇跡、儀式、力弓蚕い業が再び現われることである。アダムが享受した福音は、偉大な福千年の時代にアダムの子らの心に宿るであろう。主が選び、愛された民イスラエルは、再び王国を所有し、再び受け継ぎの地に住むであろう。そして地球も楽園の状態に戻り、エノクの市の平安と完全な状態が千年間地上に見られるであろう。
イザヤが書いたのはこういった事柄である。数多くいる古代の予言者の中でも、イザヤは、私たちに回復のよきおとずれと福音の回復、.そして永遠の誓約が再び確立されること、王国がイスラエルに回復されること、さらに主が勝利のうちに戻ってこられ、千年の間栄光のうちに統治されることを記録して残してくれた予言者である。
3.イザヤが記した主な教義について知る
イザヤが記した主な教義は7つに分類することができる。
(1)末日にジョセブ・スミスを通して福音が回復されること、
(2)末日にイスラエルが集合し、最後の勝利と栄光を得ること、
(3)モルモン経がキリストの新しい証人として登場し、教義上の理解を最終的には根底から改革すること、
(4)末日における国々の背教的な状態、
(5)主の最初の来臨に関する予言、
(6)キリストの再臨と福千年の統治、
(7)イザヤ在世当時の歴史上の出来事と当時にかかわる予言。
この7つの中でも、回復の日と、過去、現在。未来のイスラエルの集合が特に強調されている。
教会員の間には、怠惰な研究態度と狭い視野のために、福音の回復はすでに過去のものとなったと見る傾向がある。私たちは、イスラエルの集合は今も進行中であるとはいえ、その大部分はすでに終了したと考えがちである。御父の王国で完全な祝福を得るために必要な教義と神権と鍵を所有しているという点で、私たちが永遠の福音を完全な姿で持っているのは事実である。またイスラエルの残りの者が集められ、エフライムとマナセ(そして他の部族)のごく一部が教会に加入し、贈い主を再び知るに至ったことも確かである。
しかし、アズム、エノク、ノア、アブラハムに知られていた数々の真理の回復は、まだ始まったばかりである。モルモン経の封じられた部分もまだこれから翻訳されなければならない。すべてのことが新たに啓示されるのは、主が来臨されるまで待たなければならない。回復の時代の最盛期はまだ先なのである。そしてイスラエルについて言えば、彼らに対する約束が実現するのは、福千年に入ってからのことである。「国と主権と全天下の国々の権威.とが「いと高き者の聖徒たる民に与えられる」(ダニエル7:27) 輝かしい日はまだ先のことである。私たちは今その端緒を開こうとしている。しかし、私たちに示されようとしている。理解を越えた栄光と驚くべき事柄は、なお将来に待たなければならない。回復の予言者イザヤが語ったことの多くは、まだこれから成就するのである。
イザヤはメシヤの来臨を予告した予言者として広く知られている・それは彼が主の最初の来臨を豊富に・美しくかつ完全な言葉で予言しているからである。これは正にその通りである。霊感された言葉が今日まで伝えられている旧世界の予言者の中で、この点に関して、イザヤに匹敵する人物はいない。このメシヤの最初の来臨は、すでに過去の事柄である。従って霊的な洞察力に欠ける人でも、主の誕生、伝道、死に関してイザヤの予言が成就したことを知ることができる。
しかし私たちが本当にイザヤの書き残したものを理解することができれば、彼が実際に回復の予言者であって、ヤコブの子孫の力強い聖見者であるという明白な事実を、いくら強調しても強調しすぎるといっことはないであろう。イザヤは私たちの時代を先見し、霊的に弱く、落胆している当時のイスラエル人を力づけ、子孫に約束された栄光と勝利を保証したのであった。彼は末日にイスラエルの子孫が主に立ち帰り、真理と正義のうちに主に仕えることを知っていた。
4.モルモン経を参考にする
イザヤ書は、66章1,292節から成っている。彼の書きのこしたものは、聖書よりも真ちゅう版に完全な姿で保存されていた。ニーファイ人の預言者たちはこの聖書から414節引用し、少なくとも他の34節に注釈を加えている。(同じ節が2度にわたって引用されたり、注釈を加えられたりしている所が、5,6ヵ所ある。)言い換えれば、イザヤ書の3分の1(正確には32パーセント)がモルモン経に引用され、それ以外に約3パーセントに注釈が加えられている、ということである。
ここで次の事実に注意を払い、その意義を考えていただきたい。それは、モルモン経の予言者たちが自分の用いた引用部分に解釈を加えているということである。その結果、この末日の聖典は、この旧約の予言の書を証する証書となり、そこに含まれた真理を明らかにするものとなったのである。モルモン経ザヤ書の世界で最も優れた注解書である。
人は大胆な宣言だと思うかも知れないが、神がニーファイ人の証人を通して啓示されたことをまず学び、信じないかぎり、この時代のは誰ひとりイザヤの書いたものを理解することはできないと断言したい。イザヤ書について数多くの真理がこの聖典に記されている。主御自身このモルモン経について「汝の主、汝の神の生きたもうが如く真実なり」(教義と聖約17:6)と確認しておられる。パウロが言ったように、神は「ご自分より上のものがないので、ご自分をさして誓われるのである(ヘブル6:13)。主は、モルモン経が、従ってその中に記録されているイザヤの言葉が、御自身のみこころであり、声であると、御自身の名前によって宣言しておられる。そのことから神の聖徒は、イザヤ書が複数の著者によって書かれたとする数々の学説は、例によって教会内外で知者を自称する人々が自信をもって提出している移り変りの激しい学説のひとつにすぎないことを知るのである。
5.末日の啓示を使う
主はこの時代に、直接の啓示によってイザヤの言葉を解釈し、承認し、明らかにし、また強調された。あの聖なる使いモロナイは、1823年9月21日にジョセブ・スミスを訪れたとき、「イザヤ書第11章を引用してこの予言がまさに成就しようとしている」(ジョセブ・スミス2:40)と言った。教義と聖約第113章には、イザヤ書11章と52章の数節の啓示された解釈が記されている。また101章はこの古代の予言者の書第65章を理解するためめ鍵を含んでおり、第133章に記された主の言葉から同じく第35,51,63,64各章の理解が開けるのである。教義と聖約の脚注が示すように、末日の啓示がイザヤの言葉を引用、注釈、解釈している所が100所前後ある。このように教義と聖約には、約2500年前にイザヤに働きかけた聖きみたまの感化がそのまま伝えられているのである。
またジョセブ・スミスや、この神権時代におけるその他の霊感された教師の説教には、この偉大な聖見者の言葉に言及したり、説明したりしているものが数多くある。予言者の書のある節の中に、いつ、どこで、何について書かれたものであるかを明らかにする予言的な宣言がひとつでもあれば、その章節全体、あるいは関連ある章節の本当の意味がよく理解できることがままある。
啓示を理解するには確かに啓示が必要である。古代に真理を啓示した主エホバが、今日同じ永遠の真理を啓示し、古代の言葉と今日の言葉を照合されることは、きわめて自然なことである。主がそうされるのは、私たちがあらゆる時代を通じて語られた主の言葉を知って、祝福を得るためである。
6.新約聖書がイザヤ書をどのように解釈しているかを知る
イザヤは予言者が預言者と仰ぐ人物である。彼の言葉は聖典の著者となった人々の心の中に生きており、新約聖書で少なくとも57回引用されている。パウロはイザヤの言葉によく言及し、数多くの書簡の中で20回ほど引用している。ペテロはイザヤの言葉を権威あるものとして7回引用している。またマタイも7回、マルコ、ルカは福音書で5回引用し、使徒行伝、ヨハネの福音書、黙示録にも各4回引用されている。以上の引用の一部は重複しており、一部はメシヤの来臨の予言であり、そのすべてがイザヤ書本文の啓示された意味を確認している。
7.イザヤ書を旧約聖書の前後関係から学ぶ
旧約聖書の他の予言者も、イザヤが述べたと同じ教義を説き、同じ望みをイスラエルに与えている。イザヤの言っだ意味を十分理解するためには、彼と相前後して活躍した旧約の予言者が同じような状況にあって同じ主題について何と言っているかを知ることが大切である。例えば、イザヤ書2:2-4はミカ書4:1-3に引用されている。イザヤは、すべての国民が、末日に集合したイスラエルによって建てられた神殿に流れ込んでくる様を、上記の有名な句で予言したあと、この集合に続いて起こる福千年のある出来事を描写している。ミカは大体において同じことを語っているが、福千年に起こる別の出来事を列挙していて、私たちの理解を広めてくれる。復活された主は、3ニーファイ20,21章を見ればわかるように、ミカ書第4,5章を引用されているので、私たちはこのことについて確信を得ることができる。
8.イザヤの時代におけるユダヤ人の予言のしかたを知る
ニーファイ人の多くがイザヤの言葉を理解できなかった理由のひとつは、彼らが「ユダヤ人の予言のしかた」(2ニーファイ25:1)を知らなかったことであった。同じことが今日のいわゆるすべてのキリスト教徒についても言えるし、多くの末日聖徒についても言える。
ニーファイは、わかりやすい簡単な言葉で予言する方法を選んでいる。しかし、彼の郷里のヘブル人の予言者たちにとっては、必ずしもそうなることが賢明な方法ではなかった。民が邪悪なため、イザヤや他の預言者は、比喩的表現や型、象徴を使って語ることがよくあった。彼らが言おうとすることは、事実上たとえ話の中に隠されていたのである。(2二一ファイ25:1-8)。
例えば、処女降誕の予言は、地方の史実を歌う吟唱の中に埋没し、霊的に暗い者にとっては約700年後に肉体に宿った主エホバの誕生とは何の関係もない、何か過去の未知の出来事と解されたのであった(イザヤ第7章)。同様に、末日の背教とキリストの再臨を扱った数多くの章は、古代の諸国と関連づけて書かれている。しかしこの諸国の滅亡は、主の大いなる恐るべき日が最後に来たときに、すべての諸国にふりかかる滅亡の象徴であり、型、影なのである。第13,14章はその典型的な例である。私たちがこの書き方を知り、モルモン経に出ている解釈の鍵を使えば、また末日の啓示を活用すれば、イザヤの言葉は私たちの眼前に開けてくるであろう。
9.予言のみたまを待つ
最後にいかなる聖句であろうと例外なく、聖句を理解するためには、その真理を述べた人が受けた同じ予言のみたまを持たなければならない。これ以外に方法はない。聖典は聖霊の力によって神から与えられるのである。人が創り出すものではない。聖典の意味するところは、聖霊が意図した意味なのである。聖句を解釈するには、聖きみたまの力によって啓発されなければならない(2ペテロ1:20,21)。予言者を理解するには予言者が必要である。すべての忠実な教会員は、「イエスのあかし」すなわち「予言の霊」(黙示19:10)を持たなければならない。ニーファイはこう言っている「イザヤの言葉は、……およそ『予言のみたま』に満たされる人々には明瞭である。」(2ニーファイ25:4)主のみこころを知ることに関する限り、これがあらゆる事柄の本質をなし、すべての論争にとどめをさすものである。
10.誠実な態度で研究に没頭する
節ごとに、ひとつの教えごとに、段落、章ごとに精読し、熟慮し、祈る。イザヤが自問している通りである。「彼はだれに知識を教えようとするのか。だれにおとずれを説きあかそうとするのか。」そしてイザヤはこう答えている。「乳をやめ、乳ぶさを離れた者に……それは教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則。ここにも少し、そこにも少し教えるのだ。」(イザヤ28:9,10)
章ごとの概要
イザヤはイエスのことを証したためふたつに割き殺されたと言い伝えられているが、ここで彼が書いた全66章を概観し、さらに詳細な分析を加えるための手引きとしたい。
◇◇
「イザヤの言葉は、まことに偉大なる価値あり」とニーファイは書いている。
多くの人がイザヤの予言を理解できないでいるが、イザヤの「予言の言葉は明るく光輝を放っている。」
◇◇
章 | 内容 |
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1 | 古代イスラエルにおける背教と反抗。悔改めを呼びかける。回復の約束とそれに続く悪人の滅亡の予告。 |
2-14 | ニーファイ、2ニーファイ12-24に引用。全般的な解釈が2ニーファイ11,19,25,26章に出ている。 |
2 | 2ニーファイ12章。末日にイスラエルが神殿に集合すること。末日におけるイスラエルの状態。福千年の状態とキリストの再臨。ミカ4,5。3ニーファイ20,21。 |
3 | 2ニーファイ13。散乱し背信した再臨前のイスラエルの状態。 |
4 | 2ニーファイ14。福千年。 |
5 | 2ニーファイ15。イスラエルの散乱と背教。イスラエルの悲惨な状態。回復と集合。 |
6 | 2ニーファイ16章。イザヤ、示現を見、召しを受ける。9,10節はメシヤに関連したもの。 |
7 | 2ニーファイ17。10-16節を除く節はユダ王国とその近辺の歴史。上記7節はメシヤに関連したもの。2ニーファイ11。 |
8 | 2ニーファイ18。ユダ王国近辺の戦争と歴史。真実の宗教を見定めるための勧告。13-17節はメシヤに関連したもの。 |
9-10 | 2ニーファイ19-20。パレスチナおよび近辺の歴史。不義のイスラエルがアッシリヤによって滅ぼされる記述は、再臨のときにすべての邪悪な国民が滅ぼされることを象徴している。9:1-7はメシヤに関連したもの。 |
11 | 2ニーファイ21章。回復。イスラエルの集合。福千年。ジョセブ・スミスの著2:40。教義と聖約101:26、113:1-6。1-5節はメシヤに関連したもので、再臨にも適用される。2ニーファイ30:9-15。 |
12 | 2ニーファイ22。福千年。 |
13 | 2ニーファイ23。再臨を象徴するバビロンの滅亡。教義と聖約29,45。 |
14 | 2ニーファイ24。福千年におけるイスラエルの集合。翻戦いに敗れ落ちたルシフェノ妬酷に先立つ」 |
15-17 | パレスチナ地方の予言と歴史。回復の時代にイスラエルに敵対する者の最後。16:4,5はメシヤに関連したもの。 |
18 | 回復。イスラエルの集合。アメリカから宣教師が派遣されること。 |
19 | 近隣諸国に起こること。回復の時代におけるエジプトの救い。 |
20 | 近隣諸国に起こること。 |
21-22 | 近隣諸国に起こること。しかし再臨を象徴している。22:21-25はメシヤに関連したもの。 |
23 | 近隣の町、民に対する宣告。 |
24 | 末日の背教と再臨。教義と聖約1。 |
25 | 再臨。8節はメシヤに関連したもの。 |
26 | 再臨。復活。福千年。 |
27 | 福千年におけるイスラエルの勝利。 |
28 | 再臨に先立つ滅び。16節はメシヤに関連したもの。 |
29 | 2ニーファイ26:14-20,27。ニーファイ人。最後の日。背教。モルモン経。回復。このモルモン経について述べた部分は難解な章が霊感によって解釈された典型的な例である。 |
30 | 反抗的で世俗の欲にふけっているイスラエルが回復の日に救われること。背教。回復。それに伴う祝福。再臨。 |
31 | この世と再臨。 |
32 | 回復のときまで続くイスラエルの背教。1-4節はメシヤに関連したもの。 |
33 | 背教に続く回復。 |
34 | 再臨とそれに伴う荒廃。教義と聖約1,133。 |
35 | 回復。集合。再降臨。教義と聖約133。 |
36-39 | 霊感によって美しく描かれたユダ、アッシリヤ、バビロンの歴史。 |
40 | 再臨。1-11節はメシヤに関連したもの。 |
41 | 神、古代のイスラエルと近代のイスラエルに議論し、回復の時代について語られる。27節はメシヤに関連したもの。 |
42 | 1一8,16節はメシヤに関連したもの。他の節は、神への賛美と、イスラエルの災難についての嘆き。 |
43 | 回復と集合。 |
44 | 回復と集合。 |
45 | イスラエルは集められ、救われる。救いはキ・リストによること。20-25節はメシヤに関連したもの。 |
46 | 偶像対真の神。この対決は古代にも近代にも見られる。 |
47 | 今日の世界の象徴であるバビロン。 |
48-49 | 1ニーファイ20,21。イスラエルの散乱と集合。1ニーファイ22,2ニーファイ6。 |
50-51 | 2ニーファイ7、8。散乱、集合、回復、再臨。2ニーファイ9:1-3,10章。50:5、6はメシヤに関連したもの。 |
52 | 回復と集合。モ一サヤ12:20-25,15:13-18,3ニーファイ16,20,21、モロナイ10:30,31、教義と聖約113:7-10。13-15節はメシヤに関連したもの。 |
53 | モーサヤ14。これは旧約聖書中メシヤの出現を預言した部分でもおそらく最も重要なものであろう。モーサヤ15,16 |
54 | 回復と集合。福千年。3ニーファイ22,23:1-6,14章。 |
55-62 | 背教。回復。集合。末日のシオンの栄光。61:1-3はメシヤに関連したもの。 |
63-64 | 再臨。教義と聖約133。 |
65 | イスラエルと末日における誤った宗教家。福千年。教義と聖約101:22-38 |
66 | 回復と再臨 |
まとめ
聖見者、回復の予言者、メシヤの降臨を予告した予言者イザヤについて説明してきたが、あとはただふたつのことを加えれば十分である。
1.聖典を理解し、救いの教義について深い洞察を得ても、それが人の生活を変え、完成される方向に向かわせるものでなければ、何の価値もない。知っている人の心の中に生きていなければならないのである。
2.イザヤの書いたことは真理である。イザヤは当時神の代弁者であった。彼が私たちの時代に見られると約束した栄光と驚くべき事柄は必ず実現するであろう。そしてもし私たちが真実かつ忠実であれば、生存中であろうと死後であろうとその事柄に参与するに違いない。これが私の証である。