モルモン書・ニーファイ第二書6章の要約と感想

ニーファイ第二書6章には、ニーファイの弟ヤコブが、ヤコブの家(子孫)にこれから起きることを語ったことが記録されている。
ヤコブの家(子孫)はかたくなになり、自分たちの神さま・救い主を十字架にかけてしまい、神さまの裁きを受けて、散乱し苦しみを受けるが、神さまの憐れみにより、再び、約束の地に集められる。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書6章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第二書6章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・ニーファイ第二書6章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書6章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第二書6章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

ニーファイの弟ヤコブが民に語る

ニーファイの弟ヤコブは、神権を受け、ニーファイを支援する責任を受けていた。

その責任により、民の幸いを願って何度も話をしてきた。
ヤコブは、民の状況を見て、とても心配していた。

ヤコブはここで、イザヤの言葉を引いて、イザヤの言葉を述べている。
それはニーファイの望みであり、民が神さまの御名を覚えてあがめるようになるためである。
(1-4節)

イザヤの言葉はヤコブの家(子孫)について語っている

アブラハム・イサク・ヤコブの子孫である、イスラエルの民

イザヤは、散乱したヤコブの家(子孫)がやがて集められることを預言している。
(5節)

イザヤの預言の解説(過去・現在とこれからおきること)

  • サマリヤ(北イスラエル王国)はアッスリアに滅ぼされる。
  • エルサレム(南イスラエル王国:ユダ王国)はバビロンに滅ぼされ、民の多くはバビロンに捕囚される。
  • バビロンに捕囚された民のうちから、エルサレムに帰還するものがいる。
  • 父なる神さまの御子、主なる神さま、救い主、贖い主が、肉体を得て、ヤコブの家(子孫)に姿を現される。
  • ヤコブの家(子孫)は、救い主に対して心をかたくなにし、鞭打って、十字架につけてしまう。
  • 主なる神さまの裁きが、ヤコブの家(子孫)に降り、彼らは嫌われ、打たれ、苦しめられ、追い立てられる。
  • 忠実な者の祈りがあるので、ヤコブの家(子孫)が滅びてしまうことはない。
  • 主なる神さまの憐れみによって、ヤコブの家(子孫)が贖い主を知るようになるとき、再び、約束の地、受け継ぎの地に集められる。
  • 異邦人であっても、主なる神さま、救い主に反抗せず、悔い改めるものは救いを得る
  • 神さまと聖約を交わして、従うものは守られ、神さまと聖約を交わしたものと戦う者たちは倒される。
  • 彼らが救い主を信じる日が来ると、救い主は、ヤコブの家(子孫)やご自分を信じる異邦人に、ご自身を現わされ、彼らを助け出して、守り、敵を滅ぼされる。
  • 救い主にやその民に敵対する者も、イスラエルの神さま、父なる神の御子、救い主、贖い主を知るようになる。

(6-18節)

ヤコブの家

アツスリアとバビロンに滅ぼされ、
ペルシャによって帰還を許され、
やがて救い主・キリストがおいでになるが、
十字架につけてしまう。

義人の祈りに守られながらも、
人々に蔑まれ苦しみを味わう。

やがて
救い主の憐れみにより、
救い主を思い出す。

救い主により助け出され、
捕らわれた子どもや友や家族とともに、
神さまのもとに連れ戻される。
(8-17節)

おまけ

20代のころに書いたメモ

ヤコブが語った言葉。ヤコブはイザヤの言葉を引いて。
 ニーファイに按手聖任され、祭司となっている。(6:2;5:26)
  熱心に召しを果たしている。「さいわい」を与えるため。
ニーファイがヤコブにイザヤの予言を読むように望む。
 イスラエルの家に縁がある者のために。

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モルモン書・ニーファイ第二書6章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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