ニーファイの弟ヤコブが民への話の中で、神さまの聖約について伝えるために引用している。
イザヤは神さまに召されて警告の声をあげた。そのために民に辱められても、神さまがイザヤを守った。
神さまの教えに従っているふりをしながらその実は自分の考えを優先するならば、神さまの祝福を失うことになる。
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モルモン書のニーファイ第二書7章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書7章の要約と感想
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ヤコブの家(子孫)は自分で自分を売り渡した
神さまが、ヤコブの家(子孫)を見捨てたのではない。
ヤコブの家(子孫)が、聖約を破り、罪を犯し、神さまの祝福を失うことになったのである。
神さまがヤコブの家(子孫)を導こうとしたとき、神さまの呼びかけに答える人(神さまに従う人)はいなかった。
神さまは海や川、天をも従わせることがおできになる。
海や川、天は神さまの言葉に従う。
それなのに、ヤコブの家(子孫)は、神さまの言葉に従わない。
(1-3節)
神さまの警告の声
神さまは預言者イザヤを召して、知恵を与え、ヤコブの家(子孫)に語るべき時と、語る言葉がわかるようにされた。
ヤコブの家(子孫)が神さまに仕えることに疲れ、偶像を拝み、戒めをおそろかにした時、神さまは彼らの目を覚ますために、言葉(警告)を与えられた。
イザヤは警告の声をためらわずにヤコブの家(子孫)に伝えた。
(4-5節)
神さまが強めてくださるので何事も耐えることができる
イザヤは背を打たれにまかせ、髭を抜かれるにまかせた。
侮辱されても、つばきをかけられても、避けなかった。
痛い目に合わないのではない。
神さまに強めていただけるので耐えることができる。
神さまはイザヤに力を与え、義とされるので、イザヤは敵を討つことができる。
(5-9節)
ふた心を抱く者は祝福を失う
神さまを畏れ(るさまで)、神さまの教えを聞いていながら、
自分の考えに固執し優先して、神さまの教えから離れ、自分勝手に歩む。
その結果、得られるはずだった神さまの祝福を失ってしまう。
古代イスラエルも、現代のわたしたちも気をつけるべき勧告。
へりくだることはいつも善である。
自分の考えに固執して、神さまの教えを批判することの恐ろしさ。
(10-11節)