ニーファイの弟ヤコブが民への話の中で、神さまの聖約について伝えるために引用している。
イザヤは神さまに召されて警告の声をあげた。そのために民に辱められても、神さまがイザヤを守った。
神さまの教えに従っているふりをしながらその実は自分の考えを優先するならば、神さまの祝福を失うことになる。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書7章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書7章の要約と感想
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この章はすべて、ニーファイの弟ヤコブが民に語った、イザヤ書(50章)からの引用となっている。
イスラエルの家(子孫)は自分で自分を売り渡した
神さまが、イスラエルの家(子孫)を見捨てたのではない。
イスラエルの家(子孫)が、聖約を破り、罪を犯し、神さまの祝福を失うことになったのである。
神さまがイスラエルの家(子孫)を導こうとしたとき、神さまの呼びかけに答える人(神さまに従う人)はいなかった。
神さまは、イスラエルを救う力をお持ちで、イスラエルを救うために、多くの僕を送ってこられた。
アッスリアに滅ぼされ、離散させられた北王国(イスラエル)の民、バビロンに征服され捕囚された南王国(ユダ)の民。
捕囚からエルサレムに戻り、救い主を貼り付けにしたあと、ローマによって滅ぼされ、流浪の民となったユダの民。
彼らは、主の福音を異邦人の間にもたらしたが、福音を拒絶し、断ち切られた。
海を叱って干上がらせる
川を荒野にする
水が乾く
その中の魚は悪臭を放し、渇きのために死ぬ
イスラエルの子孫に神さまがかつて海を陸に変えたことを思い出させる。
(出エジプト記14章)
そして、海も川も、イスラエルを鞭打つものを象徴している。
水は命の水、福音を象徴している。
聖約の呪いのために、滅びる人たちの象徴でもある。
天を暗黒で覆う
粗布を天の覆いとする
これは神さまの力を象徴している。
実際に起きたこと、起きることを示してもいるし、象徴でもある。
イスラエルの民にとっては、エジプトを襲った10の災いの9番目。エジプト全土を、三日間の間、暗闇が臨んだことを思い起こさせる。
(出エジプト記10章21節〜29節)
末の日にも悪人の上に暗闇が覆う。
- 宇宙すべてを支配する神さまの圧倒的な権力
- 神さまが悲しみや怒りによって「天(宇宙)そのものに喪服を着せる(暗闇で覆う)ことができる
- 神さまは自然界や宇宙すらも完全に制御・支配できる、神さまは圧倒的な救出の力をお持ちである
- 太陽や星の光が遮られ、天そのものが真っ黒な喪服(あるいは嵐の暗雲)をまとったかのように暗くなる
- 天が悲しみ(喪服)をまとうのは、人間の罪や不信仰のせいで、神との関係が引き裂かれているから
- 天を暗黒で覆う、とは、天からの導き、啓示や言葉が止むこと(霊的な飢え)も示している。
- 光 ≒ 神さまの言葉・啓示、神さまの臨在 (ミカ書3章6節、詩編119編105節、アモス書8章11節 参照)
(1-3節:主がイザヤに語られた言葉)
聖書における「粗布」の2つの意味
聖書(特に旧約聖書)において、粗くて黒っぽいヤギの毛などで作られた「粗布」を身にまとうことには、大きく分けて2つの意味があります。
イザヤ書50章3節の文脈では、どちらかというと後者の「悲しみ・喪(も)に服すこと」、あるいは「神の怒りによる裁き(暗闇)」のイメージが強く押し出されています。
神さまの警告の声
神さまがイザヤに言葉を与えることが記されている。
3節からの続きとして、預言者に啓示が与えられている間に、その言葉に耳を傾けるように、と勧告している。
神さまは預言者イザヤを召して、知恵を与え、ヤコブの家(子孫)に語るべき時と、語る言葉がわかるようにされた。
ヤコブの家(子孫)が神さまに仕えることに疲れ、偶像を拝み、戒めをおそろかにした時、神さまは彼らの目を覚ますために、言葉(警告)を与えられた。
イザヤは警告の声をためらわずにヤコブの家(子孫)に伝えた。
疲れた者に目覚めさせる言葉:主を待ち望む者は力を得る。
彼らは疲れている。神さまの言葉が彼らを目覚めさせる。
しかし、神さまからの勧めや啓示に対して、反抗し、退くものがいる
イザヤは、神さまの言葉を受け入れることを勧めている。
(4-5節)
神さまが強めてくださるので何事も耐えることができる
イザヤは背を打たれにまかせ、髭を抜かれるにまかせた。
侮辱されても、つばきをかけられても、避けなかった。
神さまの僕は、痛い目に合わないのではない。
何度も何度も、訴えられ、辱められ、飢え、渇き、痛い目にあう。
それでも、神さまに対する信頼を保ち続けることで、神さまに強めていただける。
神さまが近くで弁護してくださる。
だから、耐えることができる。
敵は表に出ることなく、陰で僕を貶めようとする。
敵は政治的権威や宗教的権威の中にいる。
敵は、神さまの僕を罪に定めようとするが、彼らは食い尽くされる。
神さまはイザヤに力を与え、義とされるので、イザヤは敵を討つことができる。
(6-9節)
神さまに対する態度
神さまを畏れ、神さまの僕の声に従い、神さまの言葉の中を歩む者。暗闇(敵の影響力)から救い出される者。
神さまを畏れず、神さまの僕の声に従わず、暗闇(敵の影響)の中を歩いて光(神さまの言葉)を持たない者。
自分の火(自分で作りだした光)をともし、火の粉(小さな光)で自分を囲む者は苦悶の中で横たわる。
神さまの教えを聞いていながら、自分の考えに固執し優先して、神さまの教えから離れ、自分勝手に歩む。
その結果、得られるはずだった神さまの祝福を失ってしまう。
そして、神さまの左手(敵:アッシリア)によって契約の呪いを受ける。
古代イスラエルも、現代のわたしたちも気をつけるべき勧告。
へりくだることはいつも善である。
自分の考えに固執して、神さまの教えを批判することの恐ろしさ。
(10-11節)