こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書11章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書11章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第二書11章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます
贖い主にまみえた3人の証言
イザヤ、ニーファイ、ニーファイの弟ヤコブは
それぞれ、贖い主にまみえた。
贖い主が実在すること、神さまの言葉が立証されることには
もっと多くの証人による証言がある。
(1-3節)
すべてのものはキリストの予型
キリストが来臨して人々を救う。
モーセの律法も、そのことを証ししている。
神さまが人に与えたすべてのものはキリストの予型である。
神さまの誓約、恵み、公正、力、憐れみにより、人は、キリストのもとに来て救われる。
キリストが来なければ、人に救いはない。
(4-7節)
イザヤの預言を自分に当てはめて喜びを得る
ニーファイはイザヤの言葉が心を高めて喜びを得ることができるものだとして、イザヤの預言を記している。
そのために、自分自身とすべての人に当てはめてみよと。
現在のモルモン書では、次の章からイザヤ書の預言が記されているが、もともとジョセフ・スミスが最初にモルモン書を発行した時には、章や節には分かれていなかったことを付記しておく。
おまけ
ヤコブはその他多くのことを民に語った。
ニーファイは10章に記したことで充分であるとして、イザヤの予言を引用する。
ニーファイ、ヤコブ、イザヤは贖い主を見た。
⇒三人の証人
ニーファイ
イエスキリストの予言を楽しむ。
神が人に示したもうこと。
->キリストのことを示す。
イサヤの予言
->自分たちになぞらえる。
キリストの存在
->神の存在
->万物の存在
->私たちの存在。