こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書10章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書10章の要約と感想
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義に適った枝とは
ニーファイ人の子孫の中には不信仰のために現世では滅びるものが多い。
それでも、神さまは多くの者に憐れみをかけられる。
子孫は元に戻され、自分たちの贖い主について真実の知識を得る。
贖い主、救い主、キリストは、エルサレム、つまり、ユダヤ人の中に来られるが、ユダヤ人は救い主を十字架につける。
イスラエルと呼ばれたヤコブの家(子孫)であるユダヤ人は神さまと誓約を交わしていたが、神さまの教えを曲げ、聖約に反して罪悪を行っていたので、心がかたくなになっていたからである。
もしも、救い主が示された奇跡が他の国で示されたなら、その民は悔い改め、自分たちの神さまであることがわかる。
ユダヤ人は自分たちを神さまに選ばれた民と考えていた。しかし、聖約を交わした民がそれに従わないとき、自分たちの救い主に対して心をかたくなにしたとき、世の人々の中で最も邪悪な者と呼ばれた。
イスラエルの家(子孫)、ユダヤ人は罪悪のために、御霊の守りを失い、鞭で打たれ、苦しみを受け、散らされる。
そののち、悔い改めて、イエスを救い主と信じ、従うようになると、地の四方から約束の地に戻される。
その過程で、彼らがイスラエルが戻るのを助ける異邦人も、アブラハムの子孫となり、神さまの祝福を受けることができるようになる。
神さまと聖約を交わした異邦人は、異邦人の王、王妃と呼ばれ、イスラエルの子孫を福音のもとに来るように助け導くので、彼らの養父となり養母と呼ばれている。
(1-9節,18節)
キリストは十字架につけられることが必要であった
人の罪を贖うために救い主は来られて、ご自分を人々の罪の代価として捧げられた。
人々の思いのままにまかせることで、裁きのときに、人々を思いのままに裁かれる。
エバが悪魔の誘惑によって禁じられた実を食べ、アダムも一緒に食べたことで人類が生じたように。
神の御子は、人類の救い主となられるために、人々によって十字架にかけられ、犠牲となられたのである。
しかし、それでも、罪悪を犯した人の罪が軽くなるわけではない。
神さまは人の心をご存知で、そこに至った経緯もすべてご存知である。
神さまは、すべてをご存知で、そのうえで、裁きをされる。
(3節)
約束の地は異邦人にとって自由の地になる
もといた場所では、様々に束縛されていた異邦人が、約束の地に来て、過去の束縛から解放され、自由となる。
神さまは、他のすべての国民に対して、約束の地を守られる。
この地 = ニーファイ人がいる地 = 約束の地 = USA
(ヨセフの子孫である)リーハイの子孫と、同様になる人たちに、受け継ぎの地として約束された。
えり抜きの地に住むすべての者が真実の神さまを礼拝することを望まれている。
そこに住む人たちが、その約束を守る限り、神さまの守りを受ける。
(10-12節,19節)
神さまに従う人たちと戦うものは滅びる
シオン = 神さまの民 を神さまは守られる。
神さまであり、天の王である方が、神さまの民の王となる。
神さまの言葉を聞く人たちにとって、神さまは永遠に道を照らす光である。
神さまに逆らって、別に「王(彼らを支配し、導く者)」を立てるものは滅びる。
神さまと神さまの教えに敵対する(味方でない)人や組織は滅びる。
この人たちや組織を、ニーファイは「全地の淫婦」「大きな教会」と呼んだ。
(1NE13:4-5参照)
神さまは、隠れた闇の業、殺人、忌まわしい行いを絶やされる。
神さまは約束を果たされる。
善を行うのものを迫害したり、人のものを奪ったり、権限を得るために殺人をするのものは滅びる
(13-17節)
海の島々に住む人たちに対する主の約束
神さまは、これまでに、イスラエルの家(子孫)から人を各地に連れ出された。
海も道をされたので、海の島々にも、イスラエルの家(子孫)がいる。
神さまは、どこに連れ出したかをご存知である。
ニーファイの弟ヤコブは、ニーファイ人に対して
- 神さまから多くの知識を得ているので、罪を捨てよう
- エルサレムを追い出されたことは神さまから捨てられたわけではないので、うなだれるのはやめよう
- 自分たちはよい地に導かれたのであるから、心を喜ばせよう
と励ます
(20-22節)
人はみな自分で選ぶことができる
人は与えらえた範囲で思うとおりに行動することができる。
人は、誰も強いられることなく、善も悪も自由に選ぶことができる。
善悪は自分の心が知っている。
永遠の死の道を選ぶことも、永遠の命の道を選ぶこともできる。
神さまは、あなたのために命を捨てられた、その大きな愛で、あなたを善へと導く。
神さまの意志に一致するよう努めるなら、神さまの恵みによって救いを得る。
自力で救いを得ることはできない。
(23-24節)
神さまの恵みにより救われる
神さまの贖いの力によって、霊の死から救われて、神さまのみもとに帰ることができる。
罪を赦された義人は神さまの永遠の王国に迎え入れられる。
神さまの恵みを得て、神さまを褒めたたえる。
最高の祝福・恵み。
(25節)
神さまと和解する
24節の「和解する」は、「諦めて従う」ではなく、「自分の意志を、神さまの愛に満ちた計画と完全に調和させる(一致させる)」という意味。
- 自分の「わがまま」を手放し、神さまを信頼する:
- 「自分の思い通りの人生にしたい」「なぜ思い通りにいかないのか」との葛藤は「神さまの思い」と「肉体の意志」とぶつかっている状態
- 「神さまの御心と和解する」とは、「神さまは私よりも私のことをよく知っており、最高の計画を用意してくれている」と信頼して、自分の意地やこだわりをそっと手放すこと
- 神さまと対立せずパートナーになる:
- 「和解」は、仲違いいしていた二者が仲直りするときに使う言葉
- 神さまと仲直りするとは、神さまと戦う(御心に反発する)のをやめて、神さまと同じ方向を向き、手を取り合って歩む関係になる。神さまの望まれることが、自分の望みにもなっていく
- (23節) 自由意志(選択の自由)を使って神さまに従う:
- 人には思う通りに行動する「自由」が与えられていて、神さまは人に信仰(永遠の命を選ぶ)を強制なさらない
- 「和解する」とは、与えられた選択の自由を使って、自らの意思で「神さまに従うこと」を選ぶこと。
- 盲従ではなく、主体的で前向きな態度・決断
- (25節)「神の恵みと慈しみによってのみ、あなたがたは救われる」:
- 「神の御心と和解する」とは、自分の力だけで救いを得ようと努力することではなく、自分の弱さを認め、神さまの恵み、つまり、神さまの愛とイエス・キリストの贖いの力に頼って、自分にできることを行うこと
私たちが神さまの御心と調和するとき、心に深い平安が訪れる。
おまけ
義しい枝について話す。
ユダヤ人は祭司の偽善売教(2Ne26:29;アルマ1:12)によって、キリストを十字架につける。みこころ。
イエスをキリストと認めるとき、集合の業がはじまる。
米・英はイスラエル建設のとき、多額の出資をした。
米に王のないこと。シオンに向かって戦う者は滅びる。
約束の地のこと。
イスラエルを連れだされた人々のこと。
神の憐れみを思って、罪を捨てるべきであること。
自由意思について。2Ne2


