こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書10章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書10章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第二書10章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます
義に適った枝とは
ニーファイ人の子孫の中には不信仰のために現世では滅びるものが多い。
それでも、神さまは多くの者に憐れみをかけられる。
子孫は元に戻され、自分たちの贖い主について真実の知識を得る。
贖い主、救い主、キリストは、エルサレム、つまり、ユダヤ人の中に来られるが、ユダヤ人は救い主を十字架につける。
ヤコブの家(子孫)であるユダヤ人は神さまと誓約を交わしていたが、神さまの教えを曲げ、聖約に反して罪悪を行っていたので、心がかたくなになっていたからである。
もしも、救い主が示された奇跡が他の国で示されたなら、その民は悔い改め、自分たちの神さまであることがわかる。
その結果、ヤコブの家(子孫)、ユダヤ人は罪悪のために苦しみを受け、散らされる。
しかし、そののち、イエスを救い主と信じ、従うようになると、地の四方から約束の地に戻される。
しかも、その過程で、彼らを助ける異邦人も、アブラハムの子孫となり、神さまの祝福を受けることができるようになる。
(1-9節)
キリストは十字架につけられることが必要であった
人の罪を贖うために救い主は来られて、ご自分を人々の罪の代価として捧げられた。
人々の思いのままにまかせることで、裁きのときに、人々を思いのままに裁かれる。
エバが悪魔の誘惑によって禁じられた実を食べ、アダムも一緒に食べたことで人類が生じたように。
神の御子は、人類の救い主となられるために、人々によって十字架にかけられ、犠牲となられたのである。
しかし、それでも、罪悪を犯した人の罪が軽くなるわけではない。
神さまは人の心をご存知で、そこに至った経緯もすべてご存知である。
神さまは、すべてをご存知で、そのうえで、裁きをされる。
約束の地は異邦人にとって自由の地になる
もといた場所では、様々に束縛されていた異邦人が、約束の地に来て、過去の束縛から解放され、自由となる。
神さまは、約束の地を守られる。
(10-12節,18-19節)
神さまに従う人たちと戦うものは滅びる
神さまと神さまの教えに敵対する(味方でない)人や組織は滅びる。
神さまは、隠れた闇の業、殺人、忌まわしい行いを絶やされる。
神さまは約束を果たされる。
善を行うのものを迫害したり、人のものを奪ったり、権限を得るために殺人をするのものは滅びる
(13-17節)
海の島々に住む人たちに対する主の約束
神さまは、これまでに、ヤコブの家(子孫)から人を各地に連れ出された。
海も道をされたので、海の島々にも、ヤコブの家(子孫)がいる。
神さまは、どこに連れ出したかをご存知である。
(20-22節)
人はみな自分で選ぶことができる
人は与えらえた範囲で思うとおりに行動することができる。
人は、誰も強いられることなく、善も悪も自由に選ぶことができる。
善悪は自分の心が知っている。
永遠の死の道を選ぶことも、永遠の命の道を選ぶこともできる。
神さまは、あなたのために命を捨てられた、その大きな愛で、あなたを善へと導く。
神さまの意志に一致するよう努めるなら、神さまの恵みによって救いを得る。
自力で救いを得ることはできない。
(23-24節)
神さまの恵みにより救われる
神さまの贖いの力によって、霊の死から救われて、神さまのみもとに帰ることができる。
罪を赦された義人は神さまの永遠の王国に迎え入れられる。
神さまの恵みを得て、神さまを褒めたたえる。
最高の祝福・恵み。
(25節)
おまけ
義しい枝について話す。
ユダヤ人は祭司の偽善売教(2Ne26:29;アルマ1:12)によって、キリストを十字架につける。みこころ。
イエスをキリストと認めるとき、集合の業がはじまる。
米・英はイスラエル建設のとき、多額の出資をした。
米に王のないこと。シオンに向かって戦う者は滅びる。
約束の地のこと。
イスラエルを連れだされた人々のこと。
神の憐れみを思って、罪を捨てるべきであること。
自由意思について。2Ne2