こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書9章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書9章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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アダムの堕落により人は死すべきものとなり、人はそれぞれ善悪の選びにより、行く末が決まる。
悪魔は絶えず人を誘惑し、神さまは自らの贖いにより、みもとに来るものを助け導く。
神さまの聖約と愛の偉大さを覚えて善を選ぶ人は
神さまがヤコブの家(子孫)と交わされた聖約
神さまがヤコブの家(子孫)と交わされた聖約。
古代から預言者たちによって語られてきた通り、
神さまのまことのあつまりに回復され、
受け継ぎの地に集められる。
これを語っているヤコブにとって、
ヤコブの家(子孫)がエジプトを逃れ、
アブラハムに約束されたカナンの地に入り
そこに定住したのは過去のこと。
なので、ヤコブが話しているのは
これからおきること。
古代からの預言者も、
サマリアの北王国の民が散乱し、
エルサレムのユダヤ人がバビロンに捕囚されたのち
再びエルサレムに戻ることや、
そののち、エルサレムを訪れた救い主を十字架にかけ、
世界中に散乱するが、
末の日に、同じ祝福(回復と集合)があると預言している。
(1-3節)
死後の復活
民は将来におきることを知ろうと努力した。
その結果、死後(霊と肉体が離れた後)に
再び肉体を得て、神さまにあうということを知った。
(4節)
神さまの憐れみの計画
子なる神さま、救い主、贖い主が世に来られて
人のなすがままにまかせられ、
すべての人のために命を捨てる。
生きるものすべてにふたつの死がもたらされた。ひとつは肉体の死。霊と肉体が離れることを指す。
もうひとつは霊の死。神さまから離れてしまうことを指す。
ひとは神さまから離れ、神さまのことを忘れて、現世に来る。
現世で生きる中で、道徳的な善と悪のいずれを選ぶかを自分で選ぶ。
良心に従って善を選んだり、ひとりよがりな欲望に従って悪を選んだりする。
そしてやがて、肉体の死を経験する。
復活とは、霊が再び肉体を得て、二度と離れないことを指す。
救い主の贖いがなければ、わたしたちは、再び、肉体を持つことはできず、
霊の状態のまま永遠に過ごすことになる。
これは、天で神さまに反抗したために、神さまの前から追い出され
肉体を得る機会を失ってしまい、今は悪魔となった霊たちと
おなじように惨めな状態である。
復活により、私たちは完全な知識を持つようになる。
義人は義とされ、汚れているものはけがれた状態に置かれる。
救い主の贖いにより、
罪を赦され、清められ、救い出されて、
神さまのみもとに帰って神さまの王国でともに住み、永遠の祝福を得る。
つまり、霊の死からも救い出される。
汚れているものは自分の良心の呵責の攻めを受け、永遠の炎に包まれる。
(5-20節)
神さまはわたしたちを救うために苦しみを受けられた
アダムの背きのために、堕落して死すべき状態になったわたしたちに
わたしたちを救い、完全な栄光、すなわち、神さまの栄光を与えるため。
父なる神さまと、子なる神さまの全き愛。
(21-22節)
救いを得る条件
ひとが神さまの王国に救われるためには
- 救い主を信じ
- 悔い改め
- 神さまの御名によってバプテスマを受け
- 聖霊の賜物を受け
- 最後まで耐え忍ばなければならない。
そうしなければ、神さまの王国に入ることはできないという罰を受ける。
(23-24節)
福音を知らずにいるひとたちへの救い
神さまの永遠の祝福を与えるために律法があたえられた。
しかし、律法を破り、神さまに反抗するものは祝福を取り上げられる。
律法を知らずにいる人は、律法に逆らったという罰も罪もない。
彼らも、救い主の憐れみにより、救われる。
救い主の愛を知って生きる喜びは永遠に続く。
(26-28)
悪魔の誘惑に打ち勝つ
悪魔の誘惑は、人の虚栄、意思の弱さ、愚かさに付け込む。
悪魔は人の欲や弱さにつけ込んで誘惑はするけれど、行動を決定するのは人。
罪を抱いたまま死ぬ人、つまり、以下のようなひとは、神さまのみもとに帰って御顔を仰ぐが、罪からは離れない。
- 神さまの勧告に従うならば、学識があるのはよいことであるが、人は学識があると、自分のほうが賢いと判断して、神さまの勧告に従わないようになる。自分ひとりでわかると思って、神さまの勧告を無視する。そのひとの知識、知恵は、役にたたず、そのひとは滅びる。
- この世のものを豊かにもつ富者が、貧しいものをさげすみ、柔和なものを迫害するならば、つまり、彼らはこの世の富をなによりも大切にし、富のためならなんでもするようになるなら、滅びてしまう。
- 神さまの勧告を聞こうとしない人、正しく見ようとしない人、自分の罪悪をわかろうとしない人、自分の欲のために偽りを言う人、故意に人を殺す人、みだらな行いをする人、偶像を礼拝する人、も神さまの前で罪のあるものとされる。
※「偶像を礼拝する」とは、人、富、車、名誉、地位、など、神さま以外のものを神さまよりも大切にすることも指す。
人を蔑んだり、話をきかなかつたり、見ようとしなかったり、しなかったか、今日の自分を振り返ってみてほしい。
神さまに逆らう、狡猾なものの誘惑に打ち勝ってほしい。
神さまのみもとに帰る道は人の前にある。
その門を守るものは、救い主、贖い主であり、この門を通る以外に道はない。
(28-43節)
人の罪悪はその人の責任である
自分が責任を負っている人が罪悪を犯しているのを知りながら、何も忠告しないとき、その責任を負う。
正しく教え導いたうえで、その人が罪悪を犯すなら、その人の責任である。
その人の行動を決定するのはその人である。
(44節)
神さまの救いは無料
渇いているものは水を与えられ
飢えているものは食べ物を与えられる。
本当に価値のあるもの、本当に満足を得られるものだけに、お金や労力を使うようにしてほしい。
- 救い主のみもとに来て、豊かなものを得てほしい。
- 絶えず神さまに祈り、神さまに感謝して、心を喜ばせてほしい。
- 神さまの聖約の偉大さ、人のために苦しみを負い、人の幸福のために何事もなされる、神さまの愛を覚えてほしい。
神さまの恵みと憐れみにより、子孫が守られ、神さまの聖約の子となる。
(50-53節)
救いの計画
わたしたちが神さまのみもとに帰ることができるよう
救い主が備えられ、救いに至る道が示された。
天で神さまに反抗した霊たちは地に投げ落とされ、
今も神さまの子どもたちを誘惑し、
神さまのみもとに帰ることを妨げようとしている。
神さまはみもとに来るものを助けてくださる。
(9-14節)
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