こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書15章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書15章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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神さまのブドウ畑になったよくない実
- 神さまは、ブドウ(ヤコブの子孫)を愛しておられた。
- ヤコブの子孫を守り育てるために、できることすべてを行われた。
優れた人を送り、正しい教えで導き、養いを与え、敵から守られた。 - そして、よい実が育つのを待っておられた。
※神さまは、ヤコブの子孫が神さまの教えを守り、互いに善を行い、福音を世に広める備えをすることを期待しておられた。
しかし、なったのはよくないブドウであった。
(1-4節)
(エレミヤ書2:21) わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか。
悪い実(ユダの人々)の状態
- 神さまは公平を望まれたが、人々の間では貧しいものが虐げられた。
- 神さまは義をもって人を治めることを望まれたが、人々は不正に苦しんだ。
- 神さまは貧しいものを助けることを望まれたが、豊かな人が貧しい人たちの田畑や家を奪い、自分たちだけが豊かであろうとした。
- 豊かな人は、朝から晩まで酒に酔い、楽しみを追い求めたが、神さまの教えや祝福を省みなかった。
- 高慢な態度で悪を求め、罪の束縛の中にから離れない。
- 神さまの業を見るまでは救い主を信じないと言い、今、それを見せてみよと迫る。
- 自分の行いを隠すために、悪を善とし、正しいものや弱いものを虐げるために、善を悪とする。
- 神さまの光の中を歩んでいると言いながら、闇の業を行っている。
- 自分のほうが賢くて分別があるので、神さまの教えよりも自分のほうが正しいと思っている。
- わいろをとって、悪人を義とし、義人から法的な権限を奪って悪とする。
(7-8節、11-12節、18-23節)
(エレミヤ書17:15) 彼らはわたしに言います、「主の言葉はどこにあるのか。今、それを出して見せよ」と。
(ヨハネの第一の手紙1:6) 神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
悪い実をならしたブドウ畑(ヤコブの子孫)の末路
- 神さまは、ヤコブの子孫から祝福を取り去られる。
- 神さまは、敵から守るのをやめ、敵に荒らされるのに任せる。
- 神さまは、預言者によって導きを与えるのをやめ、ひとを正すことも、教え導くこともしない。
- ヤコブの子孫の中には、正しい指導者はいなくなり、誤った道に迷う。
- 地には雨も降らず、収穫も乏しくなる。
- 多くの家が荒れすたれ、大きな町には住む人がいなくなる。
- 畑の収穫はほんのわずかになる。
- 敵に攻めれ、捕らわれ、指導者も民も飢え渇きに悩まされる。
- 地獄が、彼らの栄華と華やかさ、喜び楽しむものを飲み込む。
- 人々は地位の高い人も低い人も打たれて、身をかがめざるを得なくなる。
- 民は火で焼き尽くされ、すべて散り散りになる。
(5-6節,9-10節,13-15節、24-25節)
神さまの救い
ヤコブの子孫は受け継ぎの地をえて豊かに祝福を得る。
異邦人も、ヤコブの子孫と同様に豊かな祝福を得る。
(16-17節)
※イザヤは文脈の中心(30節からなるこの章の中心)に、神さまの救いを置いている。
2重の意味があると思われる
神さまは、遠くの国民にひとつの旗をかかげ、地の果てからその国民を呼ばれる。
すると、その国民は急いで速やかに、疲れもなく、躓くこともなく、まどろむことも、眠ることもなく、やってくる。
そのひとたちの腰の帯も解けず、靴の紐も解けない。
彼らの武器は強力で、すぐにも役に立つようになっている。
彼らの移動はすばやく行われる。
彼らは強く叫び、獲物を捕らえると確実に運び去るので、救い出すことはできない。
地には暗闇と悲しみがあり、天の光は暗くなる。
(26-30節)
※ニーファイは、バビロンによるエルサレムの滅亡を知っていたので、その意味でイザヤ書を読んでいるのではない。
※現在から未来にかけての預言だととると、神さまの教え(福音)を携えた義人が世界各地に飛び散り、神さまの教えを求めている人たちを救い出す、ともとれる。
※その時には、地には闇と悲しみがある、と。
まとめ
神さまは、互いに尊重し、助け合い、幸せに暮らすことを望まれている。
しかし、ヤコブの子孫、特に指導者は、自分の利益を求め、自分で法律を変更し、まずしいひとを追い出し、義人の訴えを退ける。
神さまは、神さまの言葉を軽んじたひとたちと、彼らの悪を取り除かれる。
不正な裁きで善人を罪ありとし、賄賂をもって悪人を罪なしとする。
貧しい者から取り上げ、富める者にへつらう。
古代のイスラエルは、形だけ儀式をまもり、心は神様の教えから離れていた。
律法を形の上で守っていれば神様の助けが得られると考えていた。
神様は、幾度もその間違いを正そうとされた。
しかし、彼らは悔い改めないので、厳しい裁きが降った。
これはもちろん、現代、わたしへの警告である。