イザヤは神さまを見、神さまの預言者として召されるが、民にはその言葉が理解できないように語ることが求められた。その理由、時代背景。
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モルモン書のニーファイ第二書16章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書16章の要約と感想
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イザヤが預言をしていたころの中東の情勢をおさらい
- ウジヤ王の治世の時代は、周囲の最強国はアッシリヤ、その東南には新バビロニア帝国、西には大国エジプトがあった。
この三つの国が均衡を保っていたので、この三国に挟まれた中東の国々は比較的安全だった。 - ウジヤが亡くなる(B.C.740年)死ぬ数年前、アッシリヤは均衡を破って、近隣の国々を制圧しようと出てきた。
- 中東の国々は各々、親アッシリヤ政策を取るか、反アッシリヤ政策を取るか、判断した。
- ユダ王国(南イスラエル王国)のアハズ王の時代、北イスラエル王国とアラムは反アッシリヤで同盟関係を結び、その同盟にユダ王国も加わるように要求した。
アハズは、南エジプトに対する恐れから、親アッシリヤに傾いていた。そのために、アラムと北イスラエルの連合軍はユダ王国を攻めた。 - アハズはアッシリヤに宮の宝物蔵の品々を貢ぎ、アラムを攻撃するように頼み、アッシリヤはアラムを滅ぼした(B.C.732年)。
次いで、アッスリヤは北イスラエル王国も滅ぼし、民を捕虜として連れ去った(B.C.722年)。 - アハズ王の息子ヒゼキヤは、イザヤの助言に従い、アッシリヤとの同盟関係を破棄し、エジプトにも頼らず、神さまに拠り頼んだ。
- アッシリヤの王は、ユダ王国(南イスラエル王国)を攻め、多くの町を滅ぼしてエルサレムを包囲した(B.C.702年)。
- ヒゼキヤは断食を布告して神さまに祈った。神さまはその祈りに答えられ、一夜にしてアッシリヤ軍18万5千人が滅ぼされ、アッスリアは撤退した。
- その後、アッシリヤは国力を失い、バビロニア帝国のネブカデネザルが周囲の国々を支配し、エルサレムを滅ぼして、ユダの民をバビロンへ捕囚として連れて行った(B.C.587年)。
イザヤは神さまを見た
ユダ王国のウジヤ王が亡くなった年
イザヤは神さまが高い御座に座っておられるのを見た。
神さまの国の光輝く生き物が互いに神さまをほめたたえていた。
その声で入口の土台が揺れ、神さまの御霊があふれていた。
※衣、すそ、は神さまとひととを遮る神殿のベールか。それが揺れているのか。
※神さまの国には入口があることがわかる。
イザヤは、神さまを見たことで恐れた。
それは、自分が聖くない民の間に住み、自分自身も聖くない、と感じたためである。
そのときに、清めを受け、罪の赦しを受けた。
神さまは、人を清め、罪を赦される。
(1-7節)
イザヤは預言者として召される
神さまは、だれを遣わそうか、我々のために誰が行くだろうか、と問いかけられた。
イザヤは自分から名乗りをあげ、自分を使わせしてくださいと願った。
神さまはイザヤを召した。
※エノクもモーセもエレミヤなど多くの預言者は神さまから召されたとき、しり込みをしているが、イザヤは自ら進んで召しを望んだ。
(8-9節)
エレミヤ1:5) 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
エレミヤ1:6) その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
エレミヤ1:7) しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。
エレミヤ1:8) 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
エレミヤ1:9) そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
イザヤの預言は人々に受け入れられない
神さまは、イザヤの召しは人に神さまの言葉を語ることだが、人々はイザヤの言葉を理解せず、その意味を悟らない、と話された。
※そのため聖書では、「神さま」が人々にイザヤの言葉を理解させない、悟らせない、とされている。
イザヤの言葉を聞いたユダヤ人は、神さまの戒めを守らず、神さまの祝福を求めず、神さまの言葉によって、改心したくないし、いやされたくもない、と思っていたので、神さまの祝福を失い、神さまの言葉を理解する力が与えられず、彼らの望んだとおり、悔い改めることも癒されることもなかった。
ユダヤ人があえて、難しい、理解しにくい言葉を望んだのと、荒らすものから預言を守るために、イザヤは平易には語らず、あえて理解できないように、言葉を選び、真意を隠したのである。
(9-10節)
マタイ13:14) こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
マタイ12:15) この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
その状態はいつまで続くか
人々がイザヤの預言(神さまの言葉)を理解できない状態は、かなり長く続く。
神さまは、エルサレムが破壊され、荒れ果てるまで、その状態が続くとされた。
そして、ユダ(ダビデ)の子孫を残すため、彼らを遠くに移された。
エルサレムに帰ってくる少数の者も滅ぼされる。
しかし、木の枝葉が落とされても、幹は残る。
※福音を述べ伝える人々は最初は少なくとも、やがて大きく育つ。
イザヤ書を理解するには努力が必要
イザヤ書は意図的にむつかしく書かれている。
しかし、イザヤ書を理解するようにとのチャレンジが与えられている。
ともに努力しましょう。
(参照聖句)
3Ne23: 「さて見よ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたはこれらのことを調べなさい。まことにわたしは,これらのことを熱心に調べるようにという戒めを,あなたがたに与える。イザヤの言葉はまことに偉大だからである