モルモン書・ニーファイ第二書16章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書16章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のニーファイ第二書16章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・ニーファイ第二書16章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書16章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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ニーファイ第二書16章は、ニーファイがイザヤの預言を私たちに読むように勧めている箇所。聖書のイザヤ書6章に該当。
イザヤは神さまを見、神さまの預言者として召されるが、民にはその言葉が理解できないように語ることが求められた。その理由、時代背景。

イザヤが預言をしていたころの中東の情勢をおさらい

  • ウジヤ王の治世の時代は、周囲の最強国はアッシリヤ、その東南には新バビロニア帝国、西には大国エジプトがあった。
    この三つの国が均衡を保っていたので、この三国に挟まれた中東の国々は比較的安全だった。
  • ウジヤが亡くなる(B.C.740年)死ぬ数年前、アッシリヤは均衡を破って、近隣の国々を制圧しようと出てきた。
  • 中東の国々は各々、親アッシリヤ政策を取るか、反アッシリヤ政策を取るか、判断した。
  • ユダ王国(南イスラエル王国)のアハズ王の時代、北イスラエル王国とアラムは反アッシリヤで同盟関係を結び、その同盟にユダ王国も加わるように要求した。
    アハズは、南エジプトに対する恐れから、親アッシリヤに傾いていた。そのために、アラムと北イスラエルの連合軍はユダ王国を攻めた。
  • アハズはアッシリヤに宮の宝物蔵の品々を貢ぎ、アラムを攻撃するように頼み、アッシリヤはアラムを滅ぼした(B.C.732年)。
    次いで、アッスリヤは北イスラエル王国も滅ぼし、民を捕虜として連れ去った(B.C.722年)。
  • アハズ王の息子ヒゼキヤは、イザヤの助言に従い、アッシリヤとの同盟関係を破棄し、エジプトにも頼らず、神さまに拠り頼んだ。
  • アッシリヤの王は、ユダ王国(南イスラエル王国)を攻め、多くの町を滅ぼしてエルサレムを包囲した(B.C.702年)。
  • ヒゼキヤは断食を布告して神さまに祈った。神さまはその祈りに答えられ、一夜にしてアッシリヤ軍18万5千人が滅ぼされ、アッスリアは撤退した。
  • その後、アッシリヤは国力を失い、バビロニア帝国のネブカデネザルが周囲の国々を支配し、エルサレムを滅ぼして、ユダの民をバビロンへ捕囚として連れて行った(B.C.587年)。

イザヤは神さまを見た

ユダ王国のウジヤ王が亡くなった年
イザヤは神さまが高い御座に座っておられるのを見た。
神さまの国の光輝く生き物が互いに神さまをほめたたえていた。

その声で入口の土台が揺れ、神さまの御霊があふれていた。

※神さまは衣を着ておられ、そのすそは神殿に満ちている。
※衣、すそ、は神さまとひととを遮る神殿のベールか。それが揺れているのか。
※神さまの国には入口があることがわかる。

イザヤは、神さまを見たことで恐れた。
それは、自分が聖くない民の間に住み、自分自身も聖くない、と感じたためである。

そのときに、清めを受け、罪の赦しを受けた。

神さまは、人を清め、罪を赦される。
(1-7節)

イザヤは預言者として召される

神さまは、だれを遣わそうか、我々のために誰が行くだろうか、と問いかけられた。

イザヤは自分から名乗りをあげ、自分を使わせしてくださいと願った。

神さまはイザヤを召した。

※エノクもモーセもエレミヤなど多くの預言者は神さまから召されたとき、しり込みをしているが、イザヤは自ら進んで召しを望んだ。
(8-9節)

(参照聖句)
エレミヤ1:5) 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
エレミヤ1:6) その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
エレミヤ1:7) しかし主はわたしに言われた、「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、あなたに命じることをみな語らなければならない。
エレミヤ1:8) 彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は仰せられる。
エレミヤ1:9) そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。

イザヤの預言は人々に受け入れられない

神さまは、イザヤの召しは人に神さまの言葉を語ることだが、人々はイザヤの言葉を理解せず、その意味を悟らない、と話された。

※聖書では「理解せず」「悟らず」の主語が抜けている。
※そのため聖書では、「神さま」が人々にイザヤの言葉を理解させない、悟らせない、とされている。

イザヤの言葉を聞いたユダヤ人は、神さまの戒めを守らず、神さまの祝福を求めず、神さまの言葉によって、改心したくないし、いやされたくもない、と思っていたので、神さまの祝福を失い、神さまの言葉を理解する力が与えられず、彼らの望んだとおり、悔い改めることも癒されることもなかった。

※ユダヤ人は律法を形式的に厳密に守ること、つまり、自分の力だけで救いを得られると考えていた。

ユダヤ人があえて、難しい、理解しにくい言葉を望んだのと、荒らすものから預言を守るために、イザヤは平易には語らず、あえて理解できないように、言葉を選び、真意を隠したのである。

(9-10節)

(参照聖句)
マタイ13:14) こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
マタイ12:15) この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。

その状態はいつまで続くか

人々がイザヤの預言(神さまの言葉)を理解できない状態は、かなり長く続く。

神さまは、エルサレムが破壊され、荒れ果てるまで、その状態が続くとされた。
そして、ユダ(ダビデ)の子孫を残すため、彼らを遠くに移された。

エルサレムに帰ってくる少数の者も滅ぼされる。
しかし、木の枝葉が落とされても、幹は残る。

※ヤコブの子孫の多くは滅びるが、命と種を生じさせる力は残る。
※福音を述べ伝える人々は最初は少なくとも、やがて大きく育つ。

イザヤ書を理解するには努力が必要

イザヤ書は意図的にむつかしく書かれている。
しかし、イザヤ書を理解するようにとのチャレンジが与えられている。

ともに努力しましょう。

(参照聖句)
3Ne23: 「さて見よ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたはこれらのことを調べなさい。まことにわたしは,これらのことを熱心に調べるようにという戒めを,あなたがたに与える。イザヤの言葉はまことに偉大だからである

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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