神さまが末の日に、ヤコブの子孫を赦し、聖約を新たにして、再び祝福を与えられる。
民は救いの井戸から生ける水を汲み、喜びを全世界に告げ知らせるようになる。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書22章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書22章の要約と感想
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神さまは民を憐れみ赦される
末の日に、ヤコブの子孫が再び神さまの教えに従い、聖約を新たにする日
神さまは、ヤコブの子孫に再び祝福を与え、慰めを与えられる。
民は神さまを、自らの救いであるとして、信頼し、神さまの助けと守りを喜んで賛美する。
(1-2節)
民は喜びをもって神さまの教えを学び行う
民は喜びをもって、救いの井戸から水をくむ。
水とは、救い主であり、救い主の愛であり、救い主の教えである。
民は喜んで救い主の教えを学び、行い、祝福を得る。
(3節)
- 命の水
- (ヨハネによる福音書4章)
14)しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。(ヨハネによる福音書7章)
37)祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38)わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。(教義と聖約63章)
23)しかし,わたしの戒めを守る者に,わたしは,わたしの王国の奥義を与えよう。それは彼の内で生ける水の井戸となり,そこから永遠の命に至たる水がわき出るであろう(ニーファイ第一書11章)
25)そしてわたしは,父の見た鉄の棒が生ける水の源もとすなわち命の木に導びく神の言葉であることを知った。その水は神の愛の表われである。そして,命の木が神の愛の表われであることも知った
民は感謝と賛美を人々に伝える
祝福を受けた民は、大きな声で、神さまをほめたたえ、神さまがなされたことを人々の間に告げ知らせる。
神さまのされたことを大きな声で全地に知らせるようになる。
(4-6節)
まとめ
救いの井戸から水をくむ。
救いの井戸は目の前にあり、くまれることを喜びとされる。
救い主は民の罪を罰して、悔い改めに導いてくださる。
民は慰めを得、世を恐れることはなく、賛美を歌い、
人々に喜びのおとづれを伝えて歩くようになる。