モルモン書・ニーファイ第二書21章の要約と感想

ニーファイ第二書21章は、ニーファイがイザヤの預言を私たちに読むように勧めている箇所。聖書のイザヤ書11章に該当。
神さまが末の日のために、ひとりの僕に力を与え、ヤコブの子孫、イスラエルの残りの者を集める備えをされる。
やがて、神さまはイスラエルと異邦人をあつめ、敵を打倒し、平和を確立される。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書21章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第二書21章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

モルモン書・ニーファイ第二書21章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書21章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第二書21章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

神さまの僕に救い主の特質が与えらえる

エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの枝が生じる。

  • エッサイ(ダビデ王の父)の株とは、根本であるエホバ、子なる神さま、救い主、贖い主、イエス・キリスト
  • ひとつの芽とは、大きな力を授けられる神さまの僕。芽のように初めは小さいが後に成長して大木となる。
  • その僕には、神さまの御霊がとどまる。それは知恵と理解力、深慮(深い考え)と能力、神さまについての知識、神さまを恐れ敬う力である。
  • 彼は、早くから、神さまを恐れ敬い、見たこと聞いたことだけで人を裁かず、御霊によって裁きを行う。
  • 彼は、貧しいものを正義によって助け、柔和なものを公平によって判決を下す。神さまの言葉によって世を導き、悪人を罰する。
  • 彼は、常に正義をもって行い、神さまと人に誠実である。

(1-5節)

参照聖句
エッサイの株
(教義と聖約113章)
1)イザヤ書第十一章一,二,三,四,五節の中で述べられている,エッサイの株とはだれのことか。
2)まことに,主はこのように言いわれる。「それはキリストである。」
(教義と聖約113章)
3)イザヤ書第十一章一節の中で述べられている,エッサイの株から出るはずの芽とは何か。
4)見よ,主はこのように言われる。「それはキリストの手の中の一人の僕であって,幾分ぶんはエフライムの子孫,すなわちヨセフの家の子孫であるだけでなく,幾分はエッサイの子孫でもあり,大きな力を授けられる者である。」
(教義と聖約113章)
5)第十一章十節の中で述べられている,エッサイの根とは何か。
6)見みよ,主はこのように言われる。「それはエッサイの子孫であり,ヨセフの子孫でもあって,終りの時に,旗となるために,またわたしの民を集めるために,神権と王国の鍵とを正当に所有する者である。」

(ダニエル書11章)
7)そのころ、この女の根から、一つの芽が起って彼に代り、

裁き
(ヨハネによる福音書7章)
24)うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」。
御霊はすべてを極める
(コリント人への第一の手紙2章)
10)そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
11)いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
12)ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13)この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
14)生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
15)しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
16)「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

救い主が統治され、平和な時が訪れる

救い主、神さまの御子が再び地に来られ、統治される。

人々を正しく教え、救い主の教えを知らなかった異邦人もそのもとで教えを受け、神さまの安息と栄光が満ち溢れるようになる。

猛獣も草食となり、草食動物や家畜が一緒に過ごす。
幼い子どもがそれらの動物を導く。
蛇も毒をもたず、噛むこともない。

戦おうとする人はいなくなり、やさしい気持ちで互いに接する。

それは、神さまの教えがすべての人に広まり、受け入れられるからである。

(6-10節)

参照聖句
神さまの教えが広まる
(ハバクク書2章)
14)海が水でおおわれているように、地は主の栄光の知識で満たされるからである。

(教義と聖約101章)
32)まことに,わたしはあなたがたに言う。主が来るその日に,主はすべてのことを明らかにする。
33)すなわち,過ぎ去ったこと,だれも知らなかった隠されていたこと,地球が造られた方法とその目的と行く末など地球に関すること,

(教義と聖約130章)
9)この地球は,聖められて不滅の状態になると,水晶のようになり,そこに住む者たちにとって一つの「ウリムとトンミム」になる。そして,これによって下位の王国,すなわち低位のすべての王国に関するすべてのことが,そこに住む者たちに明らかにされる。また,この地球はキリストのものとなる。

(ニーファイ第二書30章)
16)また,すべての国民のことが知られるようになる。まことに,すべてのことが人の子らに知らされるようになる。
17)秘密のことで明らかにされないことはなく,闇の業で明るみに出ないものもない。また,地上で結すばれたもので解かれないものもない。
18)したがって,人の子らに明らかにされてきたことはすべて,その日に明らかにされる。サタンはもはや長い間,人の子らの心を支配する力を持もたない。さて,わたしの愛する同胞よ,わたしはこれでわたしの言葉を終える。

その日の前に集合が始まる

神さまは、ご自分を信じ頼るものを再び集める業を始められる。

集まる場所を示され、行方のしれないヤコブの子孫や散らされたヤコブの子孫が集まってくる。
ユダとエフライムの争いはなくなり、敵は絶たれる。

※イスラエルの西、東、北、南の敵とういう地上の地理的な敵と、神さまの知識が広まることでサタンの誘惑に屈する人がいなくなる、ということも含む。

(11-16節)

参照聖句
集合
(ニーファイ第二書6章)
14)見よ,この預言者の言葉によれば,メシヤは彼らを再たび元に戻す業を始められる。それで,彼らがメシヤを信じる日が来ると,メシヤは力と大いなる栄光とをもって,彼らに御自身を現わし,彼らの敵を滅ぼされる。またメシヤは,御自分を信じる者を一人も滅ぼされない。

(ニーファイ第二書25章)
17)やがて主は御自分の民を,迷い堕落した状態から元の状態に戻す業を再び始められる。そのために,主は驚くべき業と不思議を人の子らの中なかで行なわれる。

(ニーファイ第二書29章)
1)「しかし見よ,わたしが異邦人の中で驚くべき業を始めるその日には,異邦人の数は多い。わたしが驚ろくべき業を行なうのは,人の子らに立てた聖約を思い起こして,イスラエルの家に属するわたしの民を再び連れ戻す業に着手するためである。

大路を通ってくる
(イザヤ書35章)
8)そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。

(教義と聖約133章)
27)一つの大路が大いなる深みのただ中に設けられるであろう。

まとめ

誰もが救い主を知るようになり

救い主、贖い主、神さまの御子、キリストが民を呼び集め

妨げるものは何もなく、海は乾いた道となり

四方に散らされたイスラエルもユダの子孫も、

遠くの島々から、ともに集まってくる

異邦人もキリストのもとに来て安息を得る

大きな力を授けられる神さまの僕

2つの条件

  1. エフライムとユダの血統をもつ。
    • ダビデ王の時代までに、族同士の婚姻もあり、時には、周囲の国の民との婚姻もあった。
    • なので、ひとりの人が、エフライムの子孫であり、マナセの子孫であり、ユダの子孫である、ということはありうること。
  2. 神さまの力を受ける
    • メルキゼデク神権の使徒職を与えられている。
    • 集合の鍵、神権の鍵、結び固めの鍵を与えられた。

※エッサイの祖父ボアズはモアブ人であったルツとの間でエッサイの父オベデを生む。

  • エッサイからダビデが生まれ、イエス・キリストは、ダビデの血筋である。
  • つまり、イエス・キリストはモアブの血筋でもある。
※聖地の奉献については以下を参照

聖地の奉献…

1節ずつ解説をいれてみます

2Ne21:1
前の章の最後は、木々が倒されるという文脈だった。この章は冒頭から、株・芽・枝の話になる。
すべてが倒されるのではなく、残るものが準備されている。
株・芽・枝:個人、民全体。王・指導者がすること、経験することを国民全体が経験する。

例:列王記下19章、イザヤ書38章 ヒゼキヤ王は個人として重病を克服する経験をする。アッスリア軍が民を滅ぼそうとする。主がアッスリア軍を一夜にして滅ぼす。民も生き残る。

エッサイの株:ダビデ王の血筋
根から枝が生じる。枝は(良い)実を生らす。
良い実を生らすことが、最終的な目的。
イザヤ書5章(2Ne15章)で、主のブドウ園によくないブドウがなった、そのため、アッスリア軍がブドウ園に入って破壊することを許された、とある。
良い実:主との契約を守り、主から契約の祝福を受ける

エッサイの株から一つの芽(choter)が出、その根から一つの若枝(netzer)が育つ。

エッサイの株(切り株 geza‘):ダビデ王(エッサイの息子)の家系は、やがて国が滅びて完全に途絶えた(希望が失われた)かのように見える状態になることを表現
現代ヘブライ語でも、血統や家系の「ルーツ(根源)」を指す言葉としても使われている。

ヘブライ語の geza‘(ゲザ:גֶּזַע):樹木が切り倒された後に残る「切り株」、または木の「幹」
完全に枯れて死んだように見える「切り株(geza‘)」だが、根はまだ土の中に残っている。
人間の目には「もう終わりだ」と思える絶望的な状態の中に、神さまの約束(命)がまだ息づいていることを示す。

ヘブライ語の choter(ホテール:חֹטֵר):幹や株から直接伸びる、まっすぐで力強い「細枝」。のちに王の権威を示す「杖」や「むち」の語源にもなる、支配者としての力を秘めた芽。
ヘブライ語の netzer (ネツァル:נֵצֶר):根から分かれて新しく生えてくる「ひこばえ(若枝)」。守る、隠す、保つ(natzar)という語源を持ち、絶えずに守られ、生き残った命を意味する枝。
どちらも「一見すると見落とされるほど小さく、弱い始まり」だが、「やがて大樹(神の王国)へと成長する驚異的な生命力」を象徴している。

樹木が一度切り倒されて一見枯れたように見えても、その根や幹から再び命ある新しい枝を伸ばす生命力を表すことから、回復や新しい始まりを象徴する力強い比喩として使われる単語。

完全に枯れて死んだように見える切り株から、ひょっこりと生えてくる力強い新芽、それが「choter」であり「netzer」
メシア(救い主)の象徴:人間的な希望がすべて絶たれた状況から、神の約束によってダビデの血筋から新たな王(メシア)が誕生するという、逆転と回復の預言

ギレアディ博士の解説:ブラウザの翻訳機能を使えば日本語で読むことができます。
Avraham Gileadi Ph.Dによる解説

抜粋:
これらの若枝自体は実を結ばない。ただ棒のようにまっすぐ上に伸びるだけで、何の実も得られない。
しかし、もしそれが残された唯一のもので、残りの木が腐敗していて、若枝だけが伸びているなら、それを救うことができる。
なぜなら、特にオリーブの木は自分自身を再生できる木なので、若枝がある程度大きくなったら、それを接ぎ木に使うことができるから。

そのような若枝は野生の若枝。それ自体は実を結ばない。それは異邦人の血筋を意味する。
十分に大きくなったら、根元から切り落とし、そこに自然の枝=栽培された品種(イスラエルの子孫を指す)を接ぎ木することができる。
そうすれば、それが再び実を結び、新しい木となり、木全体が完全に再生されることができる。

これは、野生の血筋、おそらく異邦人の構成を持つ木が、一時的に存在し、その後、自然の枝が再び接ぎ木されると、それ自身が再び新しい木になるということを意味する。
10章の終わりに木々が切り倒される裁きの時があるという考えは、11章1節にも直接引き継がれている。なぜなら、その木は生き残らないから 。

その木で生き残る唯一の部分は、若枝に接ぎ木された接ぎ穂 。その接ぎ穂が新しい枝となり、その枝が新しい木となる。
10章の終わりにある他の木々すべてと同様に、あるいは木を切り倒すという文脈の中で(それはイザヤがそれを置いた方法だが)、その木は実を結ばないため、切り落とされる。
しかし、幹から棒のようにまっすぐ上に伸びる芽がある。それは通常、気にも留めないもの。通常は、それを切り落として取り除いてしまう。

しかし、それが本当に生きている、あるいは腐敗していない唯一のものであるため、それが十分に大きくなるまで生かし続け、そして切り落とし、そこに自然の枝、小枝、または接ぎ穂を植え付ける。
それが新しい枝に成長することができる。
イスラエルの家を表すオリーブの木であるならば、それは実を結ぶ枝となり、最終的には新しい木自体に成長することができる。

接ぎ木された人々が生き残る。彼らは事実上、新しい木になる。
異邦人の王や女王、父や養い親たち。彼らは、イスラエルの家の自然の枝を支え、彼らに仕える人々。例えば、ヨセフがエジプトで兄弟たちに救いの使命を果たしたように、イスラエルの家の他の成員を連れ戻す。

そうしない大多数の人々は、木から切り離される。
枝は一夜にして枝になるわけではありません 。まず、それは小枝です 。そして、少し大きくなります 。

そして若枝は、野生の要素が木を支えるのを助ける一時的な状況を表しているが、それ自体は実を結ばない。
そして枝は、ある時点で接ぎ木される接ぎ穂を表しており、それは悔い改めて遠方から戻ってくるイスラエルの家の者たちであり、彼らが主との契約関係に再び戻されるとき、再び実を結ぶ。

主は彼らにご自身の契約と契約の祝福を確約される。実は契約の祝福。実がないのは契約の呪い。
ですから、ここには3つのグループの人々が表現されています。
 元の契約の民、起源は、エッサイの株によって表される。
 若枝、つまり異邦人のようなもので、しばらくの間、木の中で栄える。
 元の木に接ぎ木された自然の枝で、千年王国の文脈では実を結びます 。

エゼキエル書17章のヒマラヤスギの頂から若い小枝が取られる:流刑時のダビデの家を表す。ダビデ王朝は世界の他の地域に移植される。ダビデ王への主の約束、ダビデの支配がすべての世代にわたって続くという約束に従って、世界のその地域にいるイスラエル人を統治することになっている。

エゼキエル書17章の流刑の文脈では、ダビデの家は空白の中で統治するわけではない。彼らは世界の他の地域に移植された人々を統治する。

ホセアの預言:「私はエジプトから我が子を呼び出した」と言っている。これは、モーセの時代に主の民がエジプトから出てきたことを語っている。

マタイはそれをイエス・キリストに適用する。イエスが幼い子供として、エジプトの地からパレスチナの地に戻されたとき。そして、それは国の王、あるいは民の父が、その人をもって民を代表することができるから。ですから、11章1節もそうです 。王や指導者はグループを代表することができます 。

ですから、若枝、株、そして枝は、その時に指導的な立場にある個人を指すこともできる。11章10節は、諸国民のしるしとして立つエッサイの若枝について語っている。言い換えれば、ダビデの子孫が、初期の接ぎ木段階で、これから見るように、イスラエルの民を集めるということ。

2Ne21:2
その(エッサイの株、芽、枝)うえに主の御霊がとどまる:主と、主の僕のうえに主の御霊が宿る。(参照イザヤ書42章1節、61章1-3節、9章6節)
知恵と理解、深慮と能力、主を知る知識、主への畏れ:主を模範として、わたしたちが成長し、霊的な階段を上るにつれて獲得する神聖な属性
これらに「主の霊」を加えた7つの要素は、完全な統治能力を表す。

※エレミヤ書では主の僕は枝と呼ばれている。わたしの僕、枝、ダビデの家。イザヤ書ではアッスリヤの王も枝と呼ばれている
※義なる枝、不義なる枝がある。手、しるし、杖、棒、も同じ。主の右手と左手。

2Ne21:3
主と主の僕は、主から与えられる直観によって、人の表面の内側にある真実をご存知である。見せかけで判断されない。内面で判断される。

2Ne21:4
彼:主、主の僕
責められる:ヘブライ語で「判決を下す」の意
口、唇:主の僕、アッスリアの王(主はアッスリヤの王も道具として使われている)

2Ne21:5
義と忠誠:主が民に仕える方法として用いる主の僕。または、僕が得た卓越した属性

2Ne21:6
2Ne21:7
2Ne21:8
アッスリヤの王によって、邪悪な人たち、よい実を結ばない人たちは滅びる。
一方で、生き残った義人たち、良い実を結んだ人たち、は福千年に入る。

清い動物(イスラエルの子孫、契約の血筋)、清くない動物(野生の動物、悔い改めて、主のもとに来て、神さまの民となった異邦人)が調和して生きる。
幼い子供:生き残った者たちにこどもが生まれる(祝福を受ける)ことと、神さまの子ども(僕:黙示録の14万4千人)が人々を導くことを示す。

弱肉強食の終わりの象徴:強い者が弱い者を搾取する世界の仕組み自体が、完全に変えられる
エデンの園の回復:人類が罪を犯す前の、人間と自然、動物同士が一切傷つけ合わなかった理想郷(楽園)の再来。

それまでの、争いや戦争、安息の欠如がおわる。(それまではある)
聖なる者となる。

2Ne21:9
聖なる山:聖域、聖なる山、聖化された場所
知識:主の契約についての知識。主についてのあらゆる知識。神さま、主がどのようなお方で、どのように働きになり、わたしたちが主との関係の中でどう働き、霊的な階段を上るのか、どのように祝福をいただくのか。わたしたちの奉仕や救いの使命。

水:アッスリアの王の象徴。世界を滅ぼす水。それが鎮圧された。

2Ne21:10
連れ去られ、行方知れずとなったイスラエルの子孫を集める。

霊的に悔い改め、物理的に地の四方からシオンに集合する。
エッサイの息子(主の僕)は諸国民のためのしるしとして立つ。
シオンには主がおられるので、安息と栄光が満ちる。

2Ne21:11
2Ne21:12
その日:主の裁きの日
エッサイの枝=手=しるし=旗=主の僕
生き残った 各地の主の民に御手を差し伸べ、主の僕によって、彼らを集められる。

(イザヤ書2章参照)
山々の頂上に・・・すべての国民が流れ込む・・・律法とみ言葉がシオンとエルサレムから出る。
=僕の使命=主の民が悔い改めて、放蕩から戻ってくるように終結させること

ユダとエルサレム=ダビデ王の時代にひとつになったイスラエルの民。末の日に同じことが繰り返される。

2Ne21:13
ねたむ者や敵意を持つ者は誰でも捨てられる
ユダとエフライム:エゼキエル37章の、2つの木(民)がひとつになるとのたとえ

エゼキエル37章
19 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。
20 あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、
21 あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
22 その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。

2Ne21:14
イスラエルがカナンの地を征服したときのように、義人たちは周囲の民を従属させ、征服し、彼らの相続地となる。
その地はアブラハム、あるいはヨセフ、あるいはそれが約束された人たちに約束されたもの。

2Ne21:15
海、川:アッスリアの王
主の僕は、アッスリアの王に対して力を持つ。
モーセが紅海をわけたように、ダビデがゴリアテに打ち勝ったように。

2Ne21:16
主の僕にはアッシリアの力に対する力が与えられ、世界を支配する世界大国であるアッスリアから人々を連れ出す。そこには民の残された者たちのための道がある。イスラエルがエジプトの地から出てきた時のように。

主の民にとって、出エジプトよりも偉大な脱出となる。
(参考:エレミヤ書)

モルモン書・ニーファイ第二書21章からあなたは何を学びますか


この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神さまの子で、神さまのみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神さまはあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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