北イスラエル王国は自らの強さを誇り、預言者の言葉を軽んじ、貧しいものから奪い取った。
神さまからの段階的な裁きを無視して、傲慢な態度を改めなかったので、滅びにいたった。
しかし、神さまは末の日に残りの者が戻ると約束された。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書20章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書20章の要約と感想
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神さまに反抗するものは滅びる
国の指導者が不義な法令を制定したり、圧政を強いると、神さまの祝福を失う。
貧しいものを助けることが神さまの教えであるのに、
国の指導者や豊かなものが、民を公平に扱わず、貧しいものの訴えや権利をないがしろにし、夫を失った女性や父の保護を受けない子どもから奪い取る。
そのような状態では、神さまの裁きを受け、荒廃が近寄ってくるときには、救い主の助けを得ることはできない。
自分たちの栄華や財宝はすべて失われてしまいう。
神さまの助けがなければ、彼らはすべて囚われ、殺される。そのような苦しみの中にあっても神さまの赦しは得られない。
(1-4節)
BC722-721 サマリヤ(北イスラエル王国の首都)が陥落、アッスリアはイスラエルの10支族を遠くの地へ移す。
サマリヤには他の異教徒が連れてこられて住み着く。サマリヤに残ったイスラエル(ヤコブの子孫)との間で混ざり合う。
その結果、ユダヤ人はサマリヤの人をアブラハムの純粋な子孫とは認めなかった。
アッスリアも自らを誇った
アッスリアは、斧であり、鞭であり、杖、すなわち、神さまが道具として使われた。
そのためにアッスリアは広い領土を持つに至った。
しかし、アッスリアは、自分たちが神さまの道具であったとは考えておらず
ただ、多くの国民を滅ぼし、絶つことだけを考えていた。
自分たちの滅ぼした都市と同様に北イスラエル王国の都市も滅ぼせるし、
偶像を拝む国をいくつも作り、その偶像はエルサレム(ユダ王国の首都)やサマリヤ(北イスラエル王国の首都)にある偶像よりも優れている、
自分たちの力で、サマリヤの偶像を破壊したように、エルサレムの偶像を破壊できる、
自分の知恵と力で他国の国境を破り、財産を奪い、王を倒した、敵はなすすべもなく倒れた、
と豪語していた。
(5-11節、13-15節)
アッスリヤが滅びる
神さまが、アッスリヤを使って、北イスラエル王国やユダ王国を罰された後、
神さまは、アッスリヤの傲慢な高ぶりを罰せられた。
エルサレムを攻めた際、神さまはアッスリヤの兵士を打たれので、一日で兵士の数は激減し、子どもでも数えることができるほどになった。
そのため、バビロニアとペルシャによって滅ぼされた。
アッスリヤの傲慢・高慢が彼らの領土と財産を失わせることになった。
(16-19節)
BC701 アッスリアはユダ王国の多くの都市を破壊したが、エルサレムは神さまによって守られた。
- エルサレムが守られる
- (列王記下19章)
34)わたしは自分のため、またわたしのしもべダビデのためにこの町を守って、これを救うであろう』」。
35)その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。
36)アッスリヤの王セナケリブは立ち去り、帰って行ってニネベにいたが、
37)その神ニスロクの神殿で礼拝していた時、その子アデランメレクとシャレゼルが、つるぎをもって彼を殺し、ともにアララテの地へ逃げて行った。そこでその子エサルハドンが代って王となった。
残りの者が戻ってくる
残りの者:
- 北イスラエルに残った者
- アッスリヤによって遠方に連れていかれた者
救いを人に頼らず、悔い改めて、真心から神さま、救い主、贖い主に頼る人は、神さまのもとに戻ってくる。
神さまが定めた滅びは行われ、罰は終わり、彼らは憐れみを受ける。
(20-23節)
- ヤコブの子孫を守られる
- (アモス書9章)
8)見よ、主なる神の目は/この罪を犯した国の上に注がれている。わたしはこれを地のおもてから断ち滅ぼす。しかし、わたしはヤコブの家を/ことごとくは滅ぼさない」と主は言われる。
9)「見よ、わたしは命じて、人がふるいで物をふるうように、わたしはイスラエルの家を万国民のうちでふるう。ひと粒も地に落ちることはない。
アッスリヤからの解放
アッスリヤによる鞭打ちは終わり、アッスリヤが神さまの鞭を受け、アッスリヤに対して、神さまの杖が振り上げられる。
神さまが、ヤコブの子孫を守られたときにエジプトになされたように。
アッスリヤによる重荷は取り去られ、くびきは取り除かれ、神さまの力により、くびきは砕かれる。
(24-27節)
アッスリヤの行軍と神さまの助け
28節から32節にはアッスリヤ軍がエルサレムを攻めた際の行軍の様子が記されている
33節と34節では、アッスリヤが滅ぼされること、高慢な者が倒されることが記されている。
(28-34節)
カイアズマス(交錯配列法)
中心に向かって対称となるように文章を構成させる技法。
作者は最も伝えたいことを中心にすえる。
この技法では、初めに出てきた話が、最後にも繰り返されることになる。
この章では、
- 最初と最後に、高慢なものが倒されること
- その次に、アッスリアの台頭、エルサレムを攻めること
- アッスリアが罰せられること
- 斧や杖が道具として使われること
- 敵を滅ぼすこと
- 残る者がいること
- 中心として、ヤコブの子孫の残りの者が神さまのもとにもどること
- 残る者がいること
- 残る者がいること
- 敵を滅ぼすこと
- 敵を滅ぼすこと
- 斧や杖が道具として使われること
- 斧や杖が道具として使われること
- アッスリアが罰せられること
- アッスリアが罰せられること
- その次に、アッスリアの台頭、エルサレムを攻めること
- その次に、アッスリアの台頭、エルサレムを攻めること
- 最初と最後に、高慢なものが倒されること
が示されている。
まとめ
ニーフアイがイザヤ書を書き残したのは、ニーファイの時代には過去の出来事になったことを知らせるためではなく、これから起きることを知らせるため。
イスラエルは高ぶり、神さまの教えを蔑ろにし、貧しい者を虐げたのて、神さまは強い国を起こしてイスラエルを倒された。
しかしその国は、自分の力を誇ったので、神さまは別の国を起こしてその国を滅ぼされた。
やがて、イスラエルが神さまの前に謙り、救い主を認めると、その人たちは再び神さまのもとに戻ってくる。
どんなに勢力があり知恵や権力があっても、神様の前にへりくだらないなら、打ち倒されてしまう。