モルモン書・アルマ書8章の要約と感想

モルモン書のアルマ書8章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書8章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・アルマ書8章の要約と感想

モルモン書のアルマ書8章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書・アルマ書8章では、アルマがほかの地で苦労しながら福音を伝え、神さまの教会を確立するために尽力した後に、アモナイハの町へ行き、できる限りのことをしたが、民に拒まれ、追い出されたことが記されている。
アルマはアモナイハの町の人々がかたくなで神さまから捨てられようとしていることを嘆いた。
天使が現れ、もう一度アモナイハの町に戻るように告げられたアルマはすぐに戻り、神さまが用意されたアミュレクとともにアモナイハの町の人々に悔い改めを告げるために出ていった。

アルマは、ギデオンの町、ミレクの町で務めを終える

アルマはギデオンの町で、神さまの教会の秩序を確立し、ゼラヘムラの自宅に戻って年末を休んだ。
そのあと、ミレクの全地で人々を教え、その地の荒野の境の全域で、人々はバプテスマを受けた。
(1-5節)

アルマは、アモナイハの町で拒まれる

アルマは、ミレクの地の北方を3日間旅してアモナイハの町に着く。
アルマは、アモナイハの町で人々に神さまの言葉を述べ伝え始めたが、サタンがすでにアモナイハの町の人々の心をしっかりと捕えていたので、アモナイハの町の人々はアルマの言葉に耳を傾けなかった。
アルマは、精神を込めて熱心に働き、熱烈に祈り、アモナイハの町の人々に御霊が注がれ、悔い改めのバプテスマを授けることができるように願った。

アモナイハの町の人々は、アルマに対して、

  • 自分たちはアルマの教会の者ではないし、アルマたちが信じている愚かな言い伝えは信じていない。なので、アルマが自分たちを治める力はない。
  • アルマがさばきつかさの職をニーファイハに譲ったので、自分たちの大さばきつかさでもない。
  • と言って、アルマの言葉にことごとく反論し、罵り、つばきを吐きかけて、アルマを追い出した。

    アルマはアモナイハの町を追い出されて、アロンという町に向かって旅立った。

    ※モーサヤ2世が世を去ってから10年ほどで、心をかたくなにし、神さまに背を向ける人たちだけが暮らす町になっていた。
    ※ひとたび、神さまから心を放し、心をかたくなにすると、短い時間で人の心は大きく変わってしまうということだろう。

    (6-13節)

    参照聖句
    サタンに捕えられる
    (ニーファイ第二書28章)
    19)悪魔の王国は必ず揺れ動く。また,それに属する者は,必ず悔い改めるように促される。そうでなければ,彼らは悪魔の永遠の鎖に縛られ,怒るようにそそのかされて滅びてしまう。
    20)見よ,その日,悪魔は人の子らの心の中で荒れ狂い,人の子らをそそのかして善いことに対して怒らせる。
    21)また,悪魔はほかの人々をなだめ,彼らを欺いて現世での安全を確信させるので,彼らは,「シオンの中では,すべてが良い。まことに,シオンは栄えており,すべてが良い」と言う。悪魔はこのようにして人々をだまし,巧みに地獄に誘い落とすのである。
    22)そして見よ,悪魔はほかの人々にへつらい,「地獄はない」と告げ,「悪魔はいないので,わたしは悪魔ではない」と言う。悪魔はこのように彼らの耳にささやいて,決して逃げられない恐ろしい鎖で縛ってしまう。

    (教義と聖約10章)
    20)まことに,まことに,わたしはあなたに言う。サタンは彼らの心をしっかりと捕らえている。彼は善いことに逆らって罪悪を行うように彼らをあおり立てている。

    アルマの悲しみと天使の慰め

    アルマがアモナイハの町を追い出され、アモナイハの町の人々の悪事のために悲しみ、艱難と苦しみに耐えながら旅をしていた時に、天使が現れ、アルマにむかって、「あなたは幸いである。頭をあげて喜びなさい。」と告げた。
    アルマは初めて神さまから御告げを受けて以来、忠実に神さまの戒めを守ってきた、と天使が告げた。

    ※アルマはアモナイハの町の人々が悔い改めて神さまのみもとに戻ってこなかったことを悲しんでいた。そこで、アルマの働きを神さまはご覧になり、受け入れておられることを天使は告げに来たのである。

    天使は、もう一度アモナイハに戻り教えを、特に悔い改めを説くようにアルマに命じた。悔い改めなければ滅ぼされることと、アモナイハの町の人々はアルマの民の自由を損なおうと計画を立てていると天使は告げた。

    ※天使から、働きの結果が示されたわけではない。アルマの民を守るために、アモナイハの町の人々にもう一度悔い改めを告げるように命令されたのである。アルマにはそれで充分であった。

    (14-17節)

    アルマは再びアモナイハの町に戻る

    アルマは天使から御告げを受けると、すぐに、アモナイハの町に引き返し、別の道を通って、アモナイハの町に入った。

    そこでアルマはアミュレクに出会い、自分のことを「神さまの至らない僕」と自己紹介し、食べ物を請うた。アルマは長い間断食をして飢えていたのである。

    アミュレクは、それまでに、示現を受け、天使から、神さまの聖なる預言者を迎えるように、アルマが家族に祝福をもたらすと告げられていたので、アルマを連れて家に帰り、パンと肉を与えた。

    アルマはパンを食べて満たされ、アミュレクと家族を祝福し、神さまに感謝を捧げ、そのあと、自己紹介と、いきさつを話し、いく日もの間、アミュレクの家に滞在した。

    ※別の道を通ったのでアミュレクに出会うことができた。別の道に導いたのは神さまであり、神さまはあらかじめ、アミュレクを召しておられたのである。

    (18-27節)

    アルマとアミュレクが神さまに召されてアモナイハの人々に悔い改めを伝えに出ていく

    アモナイハの民はますますひどい罪悪を犯すようになり、神さまはアルマに、アミュレクとともに、アモナイハの町の人々に悔い改めるように告げ、悔い改めなければ神さまの罰が降り、神さまの怒りは解かれないと言うように指示をする。
    アルマとアミュレクはアモナイハの町の人々に神さまの御言葉を継げるために出ていき、聖霊に満たされた。

    アルマとアミュレクは、牢に閉じ込めれらたり、殺されたりすることの無いように力が与えられていた。
    しかし、アルマとアミュレクは、実際に縄で縛られて牢に投げ込まれるまでその力を使わなかった。
    それは、神さまが彼らによって神さまの力を現わされるようにするためであった。
    彼らは神さまから授かった御霊と力によってアモナイハの町の人々に教えを説いた。

    ※奇跡によって人は改宗しない。神さまの前にへりくだり救い主を信じ罪を認め悔いあたらめた時に御霊の証を得て、改宗をする。

    (28-32節)

    参照聖句
    自らを解放する力さえ与える
    (ニーファイ第一書1章)
    20)ユダヤ人は,これらのことを聞いて父に腹を立てた。まことに,彼らが昔の預言者に腹を立てたのと同様である。彼らは預言者を追い出し,石を投げつけ,殺してしまった。そして,今また彼らは父の命をねらい,殺してしまおうとしたのである。しかし見よ,主の深い憐れみは,信仰があるために主から選ばれたすべての者のうえに及び,この人たちを強くして自らを解放する力さえ与えることを,わたしニーファイはあなたがたに示そう。

    まとめ

    アモナイハの指導者たちは、権力の無いものの話は聞かないようである。

    アルマは「神の至らないしもべ」と自己紹介したが、「元初代さばきつかさ」とは言わなかった。
    アルマはパンを食べた後、アミュレクとその家族を祝福し、
    食事を終えた後で、自分の名前と教会を管理するものであることを告げている。
    アルマは決して、権力によって自分を認めさせようとはしていない。

    アミュレクは示現で見たことを根拠にアルマを受け入れた。

    御霊の力は彼らを守り、何ものも彼らの働きを止められない。
    しかしその力は、それが必要になるまで使われなかった。

    人々に救い主の贖いの業、悔い改めて立ち返るように人々を説得する時に、それを証しするために御霊はともにおられた。
    多くの人は聖文を調べ、義に立ち返った。

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    ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

    わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
    それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
    そのうちのいくつかをここに示しました。

    あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

    あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
    (ヨハネによる福音書5章39節)

    聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
    ここまで読んでくださったあなたへ
    あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
    地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

    わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

    神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

    ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

    聖書のオンライン版は
    https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
    または
    https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
    を参照してください。
    あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
    神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
    そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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