モルモン書・アルマ書31章の要約と感想

モルモン書のアルマ書31章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書31章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・アルマ書31章の要約と感想

モルモン書のアルマ書31章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
アルマ書31章のオンライン版はここをクリック
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モルモン書・アルマ書31章には、ニーファイ人から分かれたゾーラム人が偶像を拝むようになったこと、
神さまの御言葉を教えることは民に正しい道を歩ませるために大きな効果があるので、アルマと同僚たちはゾーラム人の地に入ったこと、
そこでアルマたちがゾーラム人の祈りの方法を見て、大いに嘆き悲しみ、彼らを連れ戻すことができるように力を求めて祈ったことが記されている。
キリストの喜びに飲まれてしまう苦しみについての解説。

ゾーラム人が主の道を曲げ、アルマは非常に悲しむ

民の中に罪悪があるのを知ることはアルマにとって深い嘆きであった。
アルマは、ゾーラム人は主の道を曲げており、指導者が人々の心を迷わせて偶像を拝ませているという知らせを受け、その民の罪悪のために心を痛め、ゾーラム人がニーファイ人から離れたことを非常に悲しんだ。

ゾーラム人は、
ニーファイ人から離反する前に神さまの御言葉を聞いていたが、
神さまの戒めと神さまの掟を守ろうとしなくなり、
誘惑に陥らないために神さまへの祈りと嘆願を日々続けるようにという教会の決まりを守ろうとしなかった。
非常に多くの点で神さまの道を曲げていたのである。

民に正しい道を歩ませるために、神さまの御言葉は、戦争や殺戮、反抗する人たちの死などよりも大きな効果があったので
アルマは、同僚や息子とともにゾーラム人の地に行く。

ニーファイ人は、ゾーラム人がレーマン人と交わって、ニーファイ人に損害を与えるのではないかと恐れた。

※この知らせは誰からアルマのもとに届けられたのだろうか。
※ゾーラム人はニーファイ人と別れようとしている。ニーファイ人より優位だと主張し始めている。
※あくまでも個人的な推測であるが、リーハイの子孫ではないことで、差別されていると感じたのだろうか、ニーファイの子孫が特権的な地位に着いたり、エリートとみなされたりすることがあったのだろうか。それに反抗するよう誘惑があったのではないだろうか。
※優劣を比較する気持ちは高慢への入り口である。

(1-11節節)

ゾーラム人の信条と礼拝方法

ゾーラム人は会堂をいくつも建てていた。
会堂の中央に、背丈よりも高く、その上にはひとりしか立てない立ち台(ラミアンプトム)を設けていた。

週のうちの1日を主の日と呼んで、その日に集まることにしていた。
集まった人たちは一人残らず、ラミアンプトムの上に立ち、両手を天に向けて大声で同じ祈りをささげた。
ラミアンプトムに集まるとき以外は、神さまのことをまったく口にしなかった。

ゾーラム人の祈りに現れた彼らの信条
  • 神さまは聖なる方であり、とこしえに変わらない方で、霊である。
  • 神さまによって、同胞から分けられ、同胞の先祖が伝えたことを信じないように、その教えに惑わされないようにされた。
  • 神さまによって、わたしたちは聖なる子となるように選ばれ、将来、救われるようにされた。
  • 神さまは、わたしたちに、キリストが現れることはないと知らせてくださった。
  • 神さまは、自分たちの全く知らない将来のことを信じるよう仕向けられることがないように、わたしたちを守られた。
  • 神さまは、わたしたちの周りの者を皆、神さまの怒りによって地獄に投げ込まれるように定められた。

アルマの祈り

アルマは、ゾーラム人が邪悪でよこしまな民であり、金銀やあらゆる立派な品々に執着しており、心を高ぶらせて、非常に誇るようになり、高慢になっているのを見た。

アルマは、天に向かって声を上げ叫び求めた。
  • 僕たちが、人の中でひどい悪事を見るのをそのままにしておかれるのですか。
  • ゾーラム人は口ではあなたに叫び求めていますが、心は高慢にのまれており、俗世のむなしいものをもって、甚だしく誇り高ぶっています。
  • 彼らは、高価な品々に執着しながら、ほかの人は滅びますがわたしたちは選ばれた民であることに感謝する、と言っています
  • キリストは現れることはないと、神さまから示されたと言っています。

  • わたしは弱いので、この民の中のこのような悪が私を苦しめます。
  • わたしが自分の弱さに耐えられるように力を与えてください。

  • わたしは嘆いています。
  • キリストにあってわたしを慰めてください。

  • この民の罪悪のためにわたしと同僚に降りかかる苦難を忍耐をもって乗り切ることができるように力を得させてください。
  • この民は貴い人々であり、わたしたちの同胞です。
  • わたしと同僚たちが、この民をキリストにあって再び神さまのみもとに連れ戻すことができるようにしてください。力と知恵を与えてください。
  • キリストにあって、同僚たちを慰めてください。

アルマの祈りの結果

アルマが祈り終えて、同僚たちに手を置いたところ、同僚たちは聖なる御霊に満たされた。

アルマと同僚たちは、食べるもの、飲むもの、着るものについて思い煩うことはなかった。
救い主が備えをされた。

救い主は、彼らに力を与え、キリストの喜びに飲まれてしまう苦しみのほかに苦難を受けないようにされた。

キリストの喜びに飲まれてしまう

マタイによる福音書11章
28)すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

テサロニケ人への第一の手紙1章
6)そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、

ラッセル・M・ネルソン大管長
「永遠の観点ですべての物事を見るとき,重荷は著しく軽くなるでしょう。」
2024年4月総大会日曜午前 キリストの喜びにのみ込まれて ブライアン・K・テーラー長老

ラッセル・M・ネルソン大管長
「主はジョセフに,日の栄えの考えを抱き,当時のひどい苦難に焦点を当てずに,永遠の報いを心に描くように教えました。」
2023年10月総大会日曜午後 日の栄えの考え

教義と聖約121章
8)その後,あなたがそれをよく堪え忍ぶならば,神はあなたを高い所に上げるであろう。あなたはすべての敵に打ち勝つであろう。

救い主の光の中を歩む:ディーター・F・ウークトドルフ長老(「青少年の強さのために」2024年9月号より)
この最も大いなる賜物は,イエス・キリストの贖罪が持つ,人に能力を授け,贖う力からもたらされます。ゲツセマネとゴルゴタで苦しまれたために,救い主は,あなたが直面する困難が何であろうと,すべて乗り越えられるように助ける方法を御存じです。
・・中略・・
わたしの愛する友であるあなたに,イエス・キリストがこの世と永遠にわたって癒し主であられることを証します。主の憐れみは,あなたの傷を癒し,あなたを罪から清め,試練の中にいるあなたを強め,希望と知恵と平安をもってあなたを祝福するのに十分なものです

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モルモン書・アルマ書31章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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