こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書30章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・アルマ書30章の要約と感想
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それに対して大祭司アルマがどのように対応したのか、コリホルはどうなったかがも記されている。
信教・信条に反対する法律はなかった
レーマン人との大きな戦争のあとニーファイ人はしばらく平和が続いた。
ニーファイ人の民は神さまの戒めを守るように努めていた。
ニーファイ人には、人の信条・信教に反対する法律はなかった。
人は平等の立場に置くために、人が何を信じようとどの教えを守ろうと罰せられることはなく、神さまを信じるなら神さまに仕える権利があり、信じなくても罰を受けることもなかった。
ただ、悪事・犯罪を行えば法律によって罰を受けた。
※自分への問いかけは、今日、わたしは神さまか自分か、どちらのやりたいことを優先するのか。
(1-11節)
ヨシュア記24章
15)もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
反キリスト・コリホルが現れる
ゼラヘムラの地に反キリスト・コリホルが現れ、預言者たちが語ったキリストの来臨につて反対する教えを説き始める。
- 神さまはいない。
- キリストはいない。
- 人々の罪のために行われる贖罪はあり得ない。
- 人がこの世の生涯をよく暮らすも悪く暮らすもその人の力量である。
- 人がすることはどんなことも決して罪にならない。
- 人が死ねばそれで終わりである。
- ニーファイ人は祭司たちの奴隷のようになっており、祭司たちが民を抑圧している。
- 祭司たちは、自分たちの言う通りにしなければ、だれも知ることの無い存在者を怒らせると民に信じさせた。
- 昔の祭司たちは、民を無知のままにとどめて、自分たちの言葉に従うように、儀式と勤めを設けた。
- 民は祭司たちを恐れて、頭をあげようとせず、自分の権利と特権を享受しようともしない。
- 祭司たちの言う神さまは誰も見たこともなく、知ることもない。
- 誰も将来の起こることを知ることはできないので、将来キリストが来ることもキリストが罪のために死ぬことを前もって知ることはできない。
- 預言と呼び、預言者の言葉と言っているのは、先祖の愚かな言い伝えである。
- 将来を見通して、キリストにより贖罪が行われることがわかるとういうのは精神の錯乱であり、先祖の言い伝えのために生じたのである。
- 子は親のために罪を負わない。
- 多くの人の心を惑わし、平然と悪事やみだらな行いをさせた。
- ジェルションの地では、アンモンの民は賢明であったのでコリホルを捕らえ、大祭司アンモンによって追い出された。
- ギデオンの地でも、すぐに捕らえられ、大祭司ギドーナの前で、聖なる預言者に反対する理由を述べたが、ギドーナは応じることなく、ゼラヘムラのアルマと大さばきつかさに送った。
今この現実世界で、目に見えないもの、耳に聞こえないもの、鼻で匂いが嗅げないもの、舌で味わえないも、手で触れないもの、それをもとに説明できないものは存在しない、ということである。
究極は死ねば終わり、生きている間のみ、ということになる。
この考え方を持つからという理由で罰を受けることがないのは(少なくとも日本では)今の時代も同じである。
このあと、アルマがコリホルの主張を論破する。コリホルが求める5感で得られる証拠が与えられる。
(6,12-31節)
モルモン書のニーファイ第二書28章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必[…]
モルモン書のヤコブ書7章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要がありま[…]
モルモン書のアルマ書1章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要がありま[…]
アルマがコリホルの誤りを指摘する
- 我々は民の労苦で飽きるほど食べるようなことはしていない。
- 自分の手で働いて生活の糧を得ている。
- 大祭司も祭司も教師も教会の務めに対して報酬を受けたことはない。
- さばきつかさの職にあるものは法律に定められた通り、務めた時間分の報酬を得るだけである。
- 教会での働き、真理を告げ知らせて同胞が喜ぶのを見て喜びとする以外に何も得はない。
コリホルは民の心に満ちた喜びは祭司たちが欺いているためだと答える。
コリホルは神さまがましますことを否定する。
- すべての事物をもって神さまがおられること、キリストが来られて民を贖うことを証する。
- コリホルの主張にはコリホルの言葉以外に証拠がない。
- コリホルがアルマの証したことを信じているにも関わらず、コリホルが偽りを言う霊に取りつかれて、神さまの御霊を遠ざけ、悪魔に支配され、悪魔によって神さまの子たちを滅ぼすためにあちこちに行かせている。
と告げる。
(32-42節)
詩篇第14篇
1)愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。
コリホルはしるしを求める
コリホルは、なおも、アルマに反抗し、しるしを見せてくれなければ信じない、神さまに力のあることを示してくれたら信じる、と言う。
アルマは、すでに沢山のしるしがあるのに神さまを試みようとするのか、人々の証、聖典に記録された預言者の証、大地も大地の上の万物、惑星も、至高全権の創造主がましますことを証ししている。それでもなお、逆らって否定するのか、と答えた。
コリホルは、それでも、しるしを見せてくれない限り、アルマの言葉を否定する、と答えた。
(43-45節)
詩篇19編
1)もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
教義と聖約88章
47)見よ,これらはすべて王国であり,またこれらのどれでも,あるいは最も小さいものでも見た者は,尊厳と力をもって進む神を見たのである。
ヨブ記12章
7)しかし獣に問うてみよ、それはあなたに教える。空の鳥に問うてみよ、それはあなたに告げる。
8)あるいは地の草や木に問うてみよ、彼らはあなたに教える。海の魚もまたあなたに示す。
9)これらすべてのもののうち、いずれか主の手がこれをなしたことを知らぬ者があろうか。
10)すべての生き物の命、およびすべての人の息は彼の手のうちにある。
モーセ書6章
63)見よ,すべてのものにはそれに似たものがある。すべてのものは,現世にかかわるものも霊にかかわるものも,わたしのことを証するために創造され,造られている。すなわち,上の天にあるもの,地の上にあるもの,地の中にあるもの,地の下にあるもの,上のものも下のものも,すべてのものがわたしのことを証するのである。』
コリホルにしるしが与えられる
アルマはコリホルがかたくなで真理の霊に逆らって滅びを招こうとしていることを嘆く。
アルマは、コリホルによって多くの人が滅びるよりは、コリホルひとりが滅びる方がよい、として、コリホルに、もう一度否定するなら、神さまはコリホルを打ち、物が言えなくなる、と告げた。
コリホルはなおも、信じない、と否定したので、アルマは、口を利くことができないというしるしが与えられると告げた。
その通りになった。
コリホルは、神さまの力を認め、神さまがおられることを前から知っていたが、悪魔によって欺かれ、自分も悪魔の教えを信じるようになった、この呪いを解いてほしい、と言う。
コリホルが回復するかどうかは神さまの思いにゆだねられ、生涯回復することはなかった。
コリホルは、食べ物を請うて家々を回るようになった。
彼らはコリホルの悪事を認めて、再び神さまにより頼むようになった。
アルマが「もう一度」と繰り返している間に立ち返ればよかったのだが、あくまでも言い張るので、コリホルをそのまま放置して多くの人に影響を及ぼすよりは、コリホル自身にしるしを与え、民への影響を止めるとともに、民にとって悔い改めの機会になるように判断したのだろう。
(46-58節)
コリホルの末路
コリホルは、ゾーラム人の中を歩き回っていた時に、突き倒されて踏みつけられて、死んでしまった。
アルマ書30章
60)このことから,主の道を曲げる者の末路が分かる。また,悪魔は終わりの日には自分の子らを助けようとせず,速やかに地獄に引きずり込むということも,わたしたちに分かるのである。
まとめ
目を向けさえすれば、神さまの存在を証明するものはいたるところにある。
はっきりと目に耳に示されるまで、信じようとしない人もいる。
神さまは見るように、聞くように、強制されたりはしない。
ひとの選択の自由はもっとも大切なものだから。
自分の選択の責任は自分にある。