こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書1章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・アルマ書1章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書・アルマ書1章では、民の中に法律に触れないように悪を行う者が増えてきたこと、神さまの教会の中にも、豊かになったために高慢・高ぶりで迫害に対して怒りを持つ人たちがおおくなったこと、一方で、迫害に耐え、互いに助けあい、豊かになった神さまの民のことが記されている。
- 悪魔は絶えず民を誘惑し滅びに導こうとしていることがわかる。
- 神さまの教えにしっかりと結びついている人たちが幸福なることもわかる。
さばきつかさの統治第1年(紀元前91年)から第3年(紀元前88年)
ニーホルの教えに多くの人が惑わされる
ニーホルは身体が大きく、力が強いことで名高かった。
ニーホルが自分の教えを述べ伝え、教会に圧迫を加えた。
ニーホルの教え
- 祭司と教師は人望を得て、人々によって生活を支えてもらうのは当然である。
- 救い主はすべての人を贖っているので、全人類は終わりの日に救われる。
多くの人が信じて、ニーホルの生活を支え、ニーホルに金銭を送るようになった。
ニーホルは高慢な心で高ぶりはじめ、非常に高価な衣服を身につけるようになり、自分の教会を設立した。
ニーホルは神さまの教会の教師であったギデオンと論争し、反論されたので、腹を立てて、剣で切り倒した。
耳障りのよい教えだから、多くの人々がニーホルを支えたのだろう。
(2-9節)
ニーホルは自分の罪悪を認めた
人々は彼の罪科に従って裁判を受けさせようと、ニーホルをアルマの前に連れていった。
ニーホルは大胆に自己弁護をしていたが、アルマから、偽善売教の罪を指摘され、義人を殺したことで、法律によって死刑を宣告された。
ニーホルは死刑になる前に、自分が教えてきたことが神さまの言葉に反するものであったことを認めた。
- ニーホルは、神さまの教えとは異なっていることを知りつつ、自分で考えたこと(悪魔の誘惑もあっただろう)を神さまの教えとして民に語った。
- 一部の民には好評だったので自分も固く信じるようになった。
- 自分の言葉を支持する人たちから金銭を受け取るようになり、高慢になり、おごり高ぶるようになった。
- 反論してきた義人を怒り、殺してしまった。
- 自己弁護をしたが、死刑が執行される前に自分の罪を認めた。
悪魔は神さまの民を滅ぼすために誘惑する。目的は滅ぼすことである。助けることではない。
(10-15節)
モルモン書のヤコブ書7章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要がありま[…]
- 偽善売教
- (ニーファイ第二書26章)
29)主なる神は,偽善売教はあってはならないと命じられる。見よ,偽善売教とは,利益と世の誉れを得るために,説教をして自分自身を世の光とすることであって,シオンの幸いを求めることではない。
偽りの教義が広められ、迫害が強まった
俗世のむなしいものを非常に好む人が大勢いたので、富と誉れを得ようとして、偽りの教えを述べ伝える人が大勢現れた。
法律を恐れて、偽りを言うことや、盗みをすること、人を殺すことはしなかった。
自分の信条を述べることは禁じられていなかったので、偽りではなく信条を述べているふりをした。
彼らは、神さまの教会に属する人たちが謙遜で金銭によらずに互いに神さまの言葉を教えあっていたので、その人たちを迫害し、あらゆる言葉で苦しめ悩ました。
(16-20)
神さまの教会を去る人が多くなった
教会には、教会に属しているひともいない人も苦しめてはいけないというされていたが、教会内にも高ぶり、激しく論争し、殴り合いをするような人も大勢いた。
高慢で心がかたくなになったために、教会のなかから名前が消されたり、自分から去っていく人が大勢になった。
(21-24節)
信仰に固くたつ人達は豊かになった
迫害が強まったことや、教会を去る人が多くなったことは、信仰に固くたつ人たちにとって大きな試練であった。
確固として動かずに神さまの戒めを守り、迫害に辛抱強く耐え、熱心に、勤勉に働き、互いに分かち合い、助け合った。
富みに執着することもなく、貧しい人たちを助けたので、裕福になった。
(25-33節)
教会に属していない人たちは、法律を恐れて、公然と法律に触れるようなことはしないので、国内は平和が保たれてはいるが、怠惰で、法律にふれないように悪事を重ねた。
モーサヤ王が亡くなってから数年で早くも悪がはびこるようになっていったのである。
強まる迫害や仲間が去っていく中でも、神さまへの信仰を固く保ち、富みに執着せず、互いに助けあい、神さまの言葉を教えあった民が豊かに、幸福になっていった。
人は、二極化していくのである。
まとめ
神さまの教えとは異なることを教え、人々にへつらい、富のために説教をし、妨害するものを打ち倒した
捉えられて自分の罪を認めたが、その後も彼の教えを信奉する人は絶えず
神さまの教えを信じる人たちを迫害し、国の平和を揺るがすことになった。
人の欲と誘惑か根本にある。
神さまを信じる人たちの中では、すべての人が平等であり、皆が勤勉に働き、謙遜で、互いに助け合って、必要なものを分かちあった。
そのために彼らは豊かになり、信じない人からの迫害の中でも平和と平安を保った。