シーレムは将来のことを知ることはできないと言い、証拠として聖霊からの「しるし」を見せてほしいと言う。
ヤコブはシーレムが聖文を読んでキリストが来られることを知っているはずだ、と反論し、神さまの御心がなるように願う。
シーレムは神さまに打たれて、自分が悪魔に騙されていたことを告白して死ぬ。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のヤコブ書7章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ヤコブ書7章の要約と感想
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キリストを否定するシーレムとヤコブの信仰
シーレムは、救い主、キリストの教義を覆そうとした。
- 民の中で、救い主、キリストは存在しない、と教えた。
- 民にへつらう事柄を沢山説いた。
- 民の心を惑わそうと熱心に務めた。
- 博学で民の言葉を完全に理解していた。
- 悪魔の力で多くの甘言と十分な弁舌の力を用いることができた。
-
シーレムの教えを受けて、多くの人が迷った。
シーレムはヤコブの信仰を動揺させようとした。
ヤコブは救い主、キリストが世に来られることについて、多くの啓示を受け、沢山のことを見ていた。
- 天使たちに会い、天使たちがヤコブに仕えていた。
- 救い主の声がヤコブに語り掛けているのを時折聞いていた。
ヤコブは、シーレムの言葉に動揺することはなかった。
(1-6節)
シーレムとヤコブとのやり取り
シーレムの主張
- ヤコブが福音と呼んでいる「キリストの教義」によって、民は、正しい道である「モーセの律法」を守っていない。
- 数百年後に来る救い主を礼拝しているが、誰も将来のことはわからない。これは神さまへの冒涜である。
- 聖文を信じているが、キリストは現在も過去も未来も存在しないことを知っている。
ヤコブの応対
- 神さまの御霊によって、シーレムの言葉を説き破る。
- シーレムは聖文を理解していない。
- 聖文はキリストについて証ししている。
- 預言者はすべて、キリストについて書き記し、預言し、述べている。
- ヤコブ自身にもキリストのことを示されている。目で見、耳で聞いた。
- 贖罪(贖い)がなければ、全人類は滅びることになることをヤコブは知っている。
(7-12節)
シーレムはしるしを要求する
シーレムは聖霊の力により「しるし」が与えられることを要求する。
ヤコブは、シーレムがキリストが来られることを知っているのに、「しるし」を求めて、神さまを試みることはできない、シーレムは悪魔に従う者なので、たとえ「しるし」を見ても否定するでしょう。ヤコブは自分の思いではなく、神さまがシーレムを打たれるとしたら、それが「しるし」である、と答え、神さまの御心が行われるように願い求めた。
その結果、神さまの力によって、シーレムは打たれ、地に倒れ、何日も介抱を受けた後、亡くなった。
(13-16節)
- しるしを求める
- (マタイによる福音書16章1~4節)
イエス様は「しるし」を要求するパリサイ人とサドカイ人に向かって「邪悪で不義な時代はしるしを求める」と答えられた。(アルマ書30章43節~60節)
反キリストのコリホルがアルマに神さまが存在することを確信させる「しるし」を要求した。
シーレムの証
シーレムは死ぬ前に、民に向かって、はっきりと、自分の教えを取り消し、キリストと聖霊の力の実在と、天使の働きを告白し、自分が悪魔の力で欺かれていることと、神さまに偽りを言ったことを恐れ、地獄と永遠の罰について語った。
シーレムは死ぬ前の証を聴いた民は非常に恐れ、神さまの力に打たれ、圧倒されて地に倒れた。
民の中に平和と神さまの愛が再び民の中に回復された。
民は聖文を詳しく調べ、キリストを否定したシーレムの教えに聞き従わなかった。
ヤコブは民が惑わされるのを防ぐためにこうなることを神さまに願い、神さまはヤコブの嘆願を聞き届けられた。
(17-23節)
レーマン人の状態
ニーファイ人は、レーマン人に福音を伝え、神さまの道に戻るように多くの手段を講じた。
しかし、ここまでのニーファイ人の努力は無駄に終わった。
レーマン人は、ニーファイ人を憎んでおり、ニーファイ人を襲って滅ぼそうとしていた。
ニーファイ人は神さまに頼り、自分たちの力を尽くして、レーマン人に対する防備を固めていたので、レーマン人に滅ぼされることはなかった。
(24-25節)
ヤコブの生涯
ヤコブは父リーハイの家族がエルサレムから出て荒野で苦労をしているときに生まれた。
自分たちのことを知っているのは同胞であるレーマン人だけだが、レーマン人はニーファイ人を憎んで戦争をしている。
そのため、ヤコブは生涯を嘆き悲しんで送ってきた。
※ヤコブはレーマン・レムエルの暴力のため、生まれてきたときから苦しむことになった。そして、死ぬまでレーマン人から憎まれて、不本意な戦いをすることになった。それでも、ヤコブはニーファイ人とレーマン人の幸福を願って懸命に責任を果たした。
そして、民の霊的な指導者としての務めを、息子エノスに託し、自分が残した記録が後の子孫やレーマン人や異邦人の役に立つことを期待して生涯を終えた。
(26-27節)
まとめ
旧約聖書はキリストを証する。
わたしたちは、どこにどのように描写されているか調べ、末の日にどのようなことがあるか、再臨の前に何があるか、を知る必要がある。
天からの「しるし」は人の都合によって与えられるものではなく、神さまがふさわしいと判断されるときに、人に与えられる。
すでに与えられている「しるし」にも目を向けよう。
もしも、受けた「しるし」を否定し、神さまの御心を否定するなら、受けている祝福を失うという「しるし」を受けることになるかもしれない。
おまけ
シーレム
巧みに話をした。学問があった。ヤコブを背教させようとした。
キリストを否定した。
しるしを求めた。(真理を知りながら、否定している)
神の力が降り、地に倒される。
悔い改め。全ての罪を告白して、死んだ。
民が神の力に驚く、平和と愛が回復された。聖文を調べるようになった。
聖文にはシーレムの教えが誤っていることがはっきりと記されている。
にもかかわらず、民が惑わされたのは、聖文を調べなかったから。
こうなることはヤコブの望みであった。
祈りがとどいた。
レーマン人への伝道が続けられていたが、役に立たなかった。
レーマン人は絶えずニーファイ人を滅ぼそうとしていた。
ヤコブの別れの言葉
ニーファイの民
まじめ、孤独(他に誰も知らない。)
自分の一生を嘆き悲しんで過ごした。