モルモン書・ヤコブ書4章の要約と感想

モルモン書のヤコブ書4章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のヤコブ書4章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・ヤコブ書4章の要約と感想

モルモン書のヤコブ書4章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ヤコブ書4章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

モルモン書・ヤコブ書4章では、ヤコブが後の人たちに伝えたいことを凝縮して書き残している。
自分たちが救い主を信じていたこと、預言者の言葉を理解していたこと、救い主についての完全な知識を持っていたこと、ユダヤ人が躓いた理由、
記録を読む人が救い主のもとに来て救いの得るように願っていることが記されている。

記録を残す目的

ヤコブは多くのことを民に教えたが、版に刻むのは困難だったので、わずかなことだけ版に刻んだ。

それは

  • 子孫に先祖のことを知らせるため。
  • 子孫が感謝の心で受けるため。
  • 子孫が先祖のことを喜ぶため。
  • ヤコブたちが救い主について知っていたことや
    救い主がエルサレムに来臨するよりもずっと前に救い主の栄光を待ち望んでいたこと
    を伝えるため。

※紀元前600年以前、エルサレムがバビロンに滅ぼされる前にも、預言者の教えを理解し、救い主を信じ、頼っていた人たちはいた。
※彼らは、異邦人にも福音が伝えられ、ヤコブの子孫もそれ以外の人も、福音を信じ、救い主の戒めに従うなら、祝福を受け、神さまのもとに帰ることができると知っていた。

(1-4節)

ニーファイの民の状態

  • 古代の預言者もニーファイの民も救い主を信じて、救い主の御名によって父なる神さまを礼拝していた。
  • ニーファイの民も形だけではなく、心からモーセの律法を守っていた。
  • モーセに与えられた律法は、人々の心を救い主へ向けるものである。
  • モーセの律法(神さまの戒め)を守ること(救い主に心を向けること)で聖められ、義とされる。
  • アブラハムも神さまの命令に従順であったので祝福を受けた。
  • アブラハムが神さまの命令に従って、息子イサクを捧げようとしたことは、神さまが神さまの独り子を捧げたことの予型である。
  • アブラハムは、困難な中でも、神さまのすべての命令に忠実であったので大きな祝福を受けた。
  • ニーファイの民は預言者の言葉を調べ、啓示を受け、預言の霊をもっていた。
  • 神さまや救い主の証をするものが多くあり、希望とゆるぎない信仰を持っていた。
  • 信仰によって、多くの奇跡をおこなうことができたが、自分たちの弱さをすることで、神さまの前でへりくだっていた。

(5~7節)

参照聖句
律法により心を救い主へ向ける
(ガラテヤ人への手紙3章
24)このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
救い主の犠牲の予型
創世22章1節から14節

アブラハムがイサクをささげようとしたことの記述:長いのでリンクとしました。
弱さを知る
(エテル書12章)
27)もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。

神さまの業を知り尽くすことはできない

  • 神さまの業は大いなる驚くべきもの。
  • 人は神さまの業を知り尽くすことはできない。
  • 神さまのなさることは、啓示されない限り人は知ることはできない。
  • 啓示を侮ってはならない。
  • 神さまの言葉の力によって、世界が存在し、地や人が創造された。
  • 絶対者である神さまは、ご自分の意のまま、思いのままに、ご自分が作ったものに命令をくだされる。
  • ※粘土は陶器師の思いのままに形作られるのである。

  • 神さまはご自分が作ったものすべてに知恵と公正と深い憐れみをもって助言を与えられる。
  • 人は、神さまに助言することはできない。神さまからの助言を大切にすべきである。

※すべてのことをご存知である神さまを侮ったり、出し抜いたりすることはできないのである。
(8~10節)

参照聖句
神さまの奥義の深さ
(ローマ人への手紙11章)
33)ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
34)「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。
35)また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
36)万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。

神さまとの和解

  • どんな人でも、気が付いてもつかなくても、誘惑に負けることがあり、神さまの戒めをいつも完全に守ることはできない。
  • つまり、多少なりとも罪を犯す。
  • そのままでは、聖い神さまから、遠ざかってしまい、神さまの祝福を受けることも、神さまのもとに帰ることができない。
  • 神さまに背を向けた状態から、神さまと和解するためには、贖いの犠牲が必要である。
  • モーセの律法では、聖い動物を生贄として、自分の罪の贖いとした。
  • それは、救い主が、罪のないご自分を生贄として捧げ、自分に従う者の罪の贖いとされることの予型である。
  • 救い主は、あらかじめ、贖いの犠牲となってくださったので、救い主を信じ、その戒めを守る人は、赦しを得ることができる。

    • 神の独り子キリストの贖罪を通じて神と和解しなさい。(11節)
    • 救い主キリストさまの贖罪に頼って神さまに自分の罪の赦しを願いなさい。
    • 救い主キリストさまは仲保者として神さまとわたしの間に立ち、ご自分の苦しみを代価として、神さまにわたしの罪の赦しを申し出てくださったのだから。
  • 救い主の贖いについて語るのと同じように、復活と来世の知識と同じように、救い主についての完全な知識を得ることもできる。
  • 御霊は現在のことも未来のことも、わたしたちの救いのために、わたしたちにわかりやすく示されている。

(11~13節)

ユダヤ人が躓いた石

  • 古代のユダヤ人は、わかりやすい言葉を侮り、預言者たちを殺し、自分たちの理解できないものを求めた。
  • 彼らが望んだので、神さまはわかりやすいことを取り去り、理解できないことを多く伝えらえた。
  • 彼らは、的のかなたに目を向けたために、的が見えなくなり、堕落してしまった。
  • 彼らは自分たちが躓いた石を拒むが、その石こそがその上に建物を安全に立てることができる、偉大で最後で唯一の堅固な土台となるもの。
  • 堅固な土台を拒んだのちに、隅のかしら石として、その上に建物を建てることができるのか、をヤコブは次の話で明らかにする。

(14~18節)

参照聖句
躓き
(イザヤ書8章)
13)あなたがたは、ただ万軍の主を聖として、彼をかしこみ、彼を恐れなければならない。
14)主はイスラエルの二つの家には聖所となり、またさまたげの石、つまずきの岩となり、エルサレムの住民には網となり、わなとなる。
15)多くの者はこれにつまずき、かつ倒れ、破られ、わなにかけられ、捕えられる」。

(コリント人への第一の手紙1章)
23)しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、

隅のかしら石
(使徒行伝4章)
11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。

(詩篇118)
22)家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。
23)これは主のなされた事でわれらの目には驚くべき事である。

堅固な土台
(イザヤ書28章)
16)それゆえ、主なる神はこう言われる、「見よ、わたしはシオンに一つの石をすえて基とした。これは試みを経た石、堅くすえた尊い隅の石である。『信ずる者はあわてることはない』。

まとめ

救い主、神さまとの中保者は、
わたしたちに道を備え、教え導く。

古代イスラエルは、
キリストに心を向けるのを怠り、
神さまの祝福を失った。

絶対者、創造主、愛と憐れみ深く、
罪を見逃さない正義

自らを犠牲として、
わたしたちが赦され
神さまのもとに戻れるように、
道を備えられた。

神さまの思いをすべて知ることは、
まだ人には許されていない。

人は先を夢見ても、知ることはできない

わたしたちは、
不完全な知識と不完全な予測で、
ものごとを見ている

神さまが与えてくださる
あらゆるものを良しとして、

救いの道を歩むことが
わたしたちにできること。

博学を競い、
奥義を極めようと、
理解できないことを求め

わかりやすいことを
なおざりにして、

救い主の純粋な教えから
離れて祝福を失った。

モーセの律法は
救い主に思いを向け、

贖いに心を向けることに
与えられたが、

厳密な規則規制に変わり、
人々を縛るだけのものになった。

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モルモン書・ヤコブ書4章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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