こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のヤコブ書2章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ヤコブ書2章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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その罪とは富を持つことによる高慢とみだらな行い(不貞)である。
現代もその罪は多く見られる。
わたしたちも富に対する態度や妻や子どもに対する態度を振り返る必要があるかもしれない。
ヤコブが説教をする理由
- 民への責任を果たすため
- 民の罪をはっきりと語り、民を戒めて、民が罪から離れるようにするため
- 神さまから告げられたので、民の思いを知っていることを知らせるため
- 神さまが民に告げるように命じられたため
その理由は
ヤコブは民の悪事を彼らの妻子の前で話すことで、妻子を傷つけることを悲しく思っている。
傷ついた心を癒すために話を聞きに来ているのに、傷を深くしてしまうから。
(1~11節)
富を追い求める罪、高慢の罪
神さまの祝福により、多くの富を手に入れたので
- 豊かな富を手に入れたことで高慢になり
- 衣服が高価なことで強情になった高ぶり
- 自分がほかの者よりも優れていると思って他の人を苦しめる
これは大きな罪悪である。
- 神さまから与えられたものを誇ることなく
- ひとはみな等しく貴い存在であるので
- ほかの人を自分自身のように思う
- ほかの人も同じように豊かになれるように持ち物を惜しみなく与える
- 富を求める前に神さまの王国を求める
つまり、善を行うために富を求める(使う)
具体的には- 衣服を持たない者に衣服を与える
- 飢えているものに食物を与える
- 束縛されているものを自由にする
- 病人や苦しんでいるものを救う
ことである
(11~21節)
不貞の罪
神さまから見て、人が多くの妻やそばめをもつことは忌まわしいことである。
例外は、神さまのために子孫を起こしたいときであり、その際には、神さまは民に命令される。
神さまは、ユダヤ人の習慣から離れるように、リーハイたちをエルサレムから連れ出した。
レーマン人は、神さまがリーハイに命じられた通り、ひとりの妻を持ち、そばめを持っていない。(3章参照)
ニーファイ人は知っていながら、古代のユダヤ人たちの行いを自分たちのみだらな行いの言い訳にしている。
神さまの戒めを守らなければ、地は呪いを受ける。
神さまは貞節を喜ばしく見ておられる。
男性が女性の優しさに付け込んで奴隷のようにするなら、神さまは、男性に呪いをくだし、彼らを滅ぼす。
男性が不貞を犯すことで、妻を大いに悲しませ、心に深い傷を負い、子どもの信頼を失っている。
(22~35節)
- 不貞の罪の結果
- (列王紀上11章)
1)ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。
2)主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。
3)彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。(教義と聖約132章)
38)ダビデも多くの妻とそばめを受けた。わたしの僕たちソロモンとモーセも,また創造の初めから現在に至るまでの,ほかの多くのわたしの僕たちも同様である。彼らはわたしから受けなかったものを除いては,どのようなことについても罪を犯さなかった。
39)ダビデの妻たちとそばめたちは,わたしの僕ナタンと,この力の鍵を持っていたほかの預言者たちによって,わたしから彼に与えられたのである。そして,これらのことのどれにおいても,ウリヤとその妻の場合を除けば,彼はわたしに対して罪を犯さなかった。しかし彼らのことで,彼は昇栄から落ちて,彼の受け取る分を受けた。この世の外では,彼は彼女たちを受け継ぐことはない。わたしは彼女たちを別の者に与えたからである,と主は言う。
(聖句の場所)
まとめ
ヤコブはニーファイ人に二つの大きな罪があったこととそれを責める説教を版に残した。
これは現在の私たちへの警告である。
富を得ることは正しいが、富を得たことで高慢になり、他の人を苦しめるのは正しくない。
富を持つことで高慢になり、貧しい者を虐げ、助けようとしなくなるのは罪である。
その時に神さまは悲しみ、高慢なひとを撃たれる。やがて国が滅びる。
隣人を自分のように思い、互いに助け合うことが神さまの御心であり、そうする時に、ひとも国も栄える。
富を求める目的は貧しい者を助けること。
つまり、神さまの御心に従って、善を行うこと。
富には善悪はない。
求める心の目的、つまり、他の人の福利に向くか、自己中心かということの違い。
常に気をつけて吟味しないとついつい陥る罪の誘惑。
神さまが命じられるとき以外、多妻やそばめを持つこともは忌わしいされる。
古代のように、習慣や法律で規制がないときそれは法律上では罪とはされないが、
多妻の結果、多くのあつれきや罪が生じてきたことも事実である。
ダビデもソロモンも、そのことで赦されない罪を犯すことになってしまった。
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