ベニヤミン王は、自分の生活は自分で支えながら民のために生涯を尽くしたが、それは神さまのために尽くしたにすぎないとし、民にも互いに仕えあうように教え、
あらゆる祝福を与えてくださる神さまへ感謝すること、
神さまの戒めを守る人の幸福なさまと反抗するのものが受ける報いについて、
民に教えました。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書2章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書2章の要約と感想
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王の布告によって民が集まる
ベニヤミン王の指示を受け、息子モーサヤが民に集まるように布告。
翌日、民は全地から、ベニヤミン王の話を聞くために集まってきた。
民の数は数えきれないほど多かった。
民は、モーセの律法に従って犠牲と燔祭を捧げるため、また、神さまに感謝を捧げるために、自分たちの家畜の初子も連れてきていた。
民は神殿の周りに、家族ごとに離れて、天幕(テント)を張った。
天幕の中からベニヤミン王の話を聞けるように、天幕の入り口を神殿のほうに向けた。
非常に多くの民が一人残らず、布告の翌日に家族と家畜をつれて集まってきている。
つまり、布告を受けてすぐに準備をし、翌朝早くに、家族全員で出発したということ。
※
紀元前580年ごろ、ニーファイ・サム・ヤコブ・ヨセフ・ゾーラム・そのほか少数の家族から始まった一団は、途中、争いも経験しながら、450年余りで、数えきれない人数になっている。
ただし、レーマン人(レーマン・レムエル・イシマエルの息子たち・そのほかと、ニーファイ人を離脱してレーマン人となった人たち)の子孫のほうが数が多かった。
※
1世代を25年とすると450年間は18世代になる。一組の夫婦から2人ずつ男の子と女の子(計4人)が生まれたとして、15世代続くと最初の一組の夫婦から15世代目は3万人を超える子孫が生まれている計算になる(2の15乗=32,768)。
(1-6節)
民は神さまや王をどう思っていたか
民は神さまに感謝を捧げていた。
神さまは、先祖をエルサレムから連れ出し、先祖と自分たちを敵の手から救い、正しい人々を教師に、正しい人を王に任じてくださったから。
王に対しては、ゼラヘムラの地に平和を確立し、神さまの戒めを守るように民に教え、民が喜びを味わい、神さまとすべての人に対する愛で満たされるようにしてくださった、と感謝していた。
(4節)
王はすべての人が話を聞けるようにした
集まった人が多く、神殿に入りきれなかったので、王はやぐらを立てて民が自分の話を聞けるようにした。
それでも、王の話声が聞こえない人たちもいたので、王は自分の話す言葉を書きとらせて、その人たちに伝えた。
※現代の預言者も、その場で聞けない人たちには、文書や最近ではビデオを使って人々に自分の話を伝えている。
(5-6節)
ベニヤミン王が民に望んだこと
ベニヤミン王が語る言葉を聞き流すのではなく、耳を開き、胸を開いて理解し、心を開いて、神さまの奥義が自分たちの心に明らかになるように聴くよう指示した。
(9節)
ベニヤミン王が民に望まなかったこと
ベニヤミン王を畏れさせたり、普通の人間以上の者であると思わせること。
(10節)
ベニヤミン王が自分の務めについて話す
ベニヤミン王も、民と同じように心身ともに弱さをもつ。
- それでも、ベニヤミン王は、民を治める統治者となり王となるように、民に選ばれ、父(モーサヤ王)に任じられ、神さまの御手によって認められた。
- そして、ベニヤミン王は、神さまが与えてくださった勢力と思いと力を尽くして、民のために尽くすことができるように、神さまのたぐいない力で守られてきた。
- ベニヤミン王は、神さまから、生涯を民のための務めに費やすことを許された。
王として
- ベニヤミン王は、奴隷を禁じ、殺人や略奪、盗み、姦淫、そのほかの罪を許さず、神さまの戒めを守るように民に教えた。
- ベニヤミン王は、権力をふるって人を苦しめることも、民から富を求めることもなく、自分の生活は自分の労働で支えていた。
目的
- ベニヤミン王が民のために務めることができる
- 民が税に苦しまない
- 民が堪え難いことを一つも身に受けない
※ニーフアイ人の王は、民に養われることなく、自分の労働で生活の糧を得て、王としての責任を果たすために生涯を尽くした。
(11-14節)
同胞のために務めるのは神さまのために務めること
ベニヤミン王が自分の生涯の務めを語ったのは、
- 自慢するためや民を責めるためではなく、ベニヤミン王は、「神さまの御前に、王として正しい行いをしたことを澄んだ良心で報告できる」と民に伝えるため。
- 民のため、同胞のために務めるのは、神さまのために務めることである、と悟らせるため。
- 王である者も民・同胞のために務めるのであれば、民も互いに務めあう(奉仕しあう)ものだ、と教えるため。
王は民を教え導き、ときには裁くなど、熱心に民のために尽くした。
それは神さまに仕えるためであり、
民に誇るためでも、民を恐れさせるためでもない
※
神さまを愛し、互いに愛しあい、人に仕えることは大切な戒め。
(15-18節)
- 人に仕える
- (マタイによる福音書25章)
40)すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。(ヤコブの手紙1章)
27)父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
神さまの祝福の大きさ
神さまが与えてくださる祝福には限りがない。
- 人(わたし)を造り、命を与えてくださった。
- 人(わたし)が自分の意のままに生きて動き行動できるようにしてくださった。
- 人(わたし)を日々守ってくださっている。
- 人(わたし)をいかなる瞬間でも支えてくださっている。
- 人(わたし)に喜びを得させてくださる。
- 人(わたし)が互いに平和に暮らせるようにしてくださる。
- 人(わたし)が戒めを守れば祝福を与えてくださる。
人(わたし)が全身全霊の力を尽くして神さまに仕えたとしても
その人(わたし)はふつつかな僕にすぎないので、誇ることはなにもない。
人(わたし)は大地のちりに等しいということもできない。
大地のちりも神さまのものであり、神さまの思いのままになるものだからである。
- 神さまはわたしたちにあふれる祝福を与えてくださる。
- 神さまが与えてくださるものに、当たり前のものは何ひとつなく、人には見えないもの、苦難に思えるものも多い。
- 地も神さまによって作られ、神さまは、わたしたちに命を与え、たえず導き、助け、訓練してくださる。
- 神さまの助けなしに人が成し遂げることはなにもない。
- 常に何事にも感謝するしかないし、感謝しきれるものでもない。
※
人(わたし)は、神さまから愛と祝福を受けるが、大したことはできないし、しょっちゅう罪(戒めを破る)を犯す。
それでも、神さまの愛と祝福により、悔い改めが許されている。
これほどおおきな祝福はない。
何をしても、神さまの祝福の大きさに比べればなにひとつ誇ることはできない。
(19-26節)
- ふつつかな僕
- (ルカによる福音書17章)
7)あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
8)かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
9)僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
10)同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。
ベニヤミン王は民への責任を果たした
ベニヤミン王は民の指導者として、神さまから命じられたことを果たし、神さまの裁きの座で罪なしと認められ、民の血(罪)がベニヤミン王の責任ではないことを示し、ベニヤミン王自身が安らかに死を迎えることができるようになるため、民を集め、これからも神さまの戒めに従い、罪から離れるように警告した。
※ベニヤミン王の責任には、民に警告の言葉を伝えることが含まれる。
これはニーファイの弟ヤコブが神殿で民に悔い改めを語ったときと同じである。
(27-28節)
- 染み無い者となる
- ((モルモン書)ヤコブ1章)
19)そしてわたしたちは,もし自分たちが力の限り神の言葉を民に教えなければ,民の罪を自分たちの頭に受けるという覚悟で責任を受けたので,主に対して自分たちの務めを尊んで大いなるものとした。そしてわたしたちは,民の血がわたしたちの衣にかかることのないように,力の限り働いた。そうしなければ,彼らの血がわたしたちの衣にかかって,わたしたちは終わりの日に染みのない者とは認められないであろう。
モーサヤ王は神さまから任じられた
ベニヤミン王は年老いて体が震えていたが、神さまの助けにより、民に語る力を得ていた。
ベニヤミン王は、息子モーサヤが王となり統治者であることを宣言するように、神様から命じられた。
※モーサヤを選んで王としたのは神さまである。
(29-30節)
ベニヤミン王が民に与えた警告
ベニヤミン王は民への警告として以下を語った。
- ベニヤミン王の父モーサヤ王が民に教えたこと、ベニヤミン王が民に教えたことを、引き続き行い、息子モーサヤ王の命じることも行う。
- これらの教えは神さまの戒めであり、守るならば、引き続き、この地で栄え、敵から守られ、幸福な状態を保つ。
- 物質的にも霊的にも、すべてのことについて祝福を受ける。
- 最後まで忠実であり続けるなら、天に迎えられ、終わりのない幸福な状態で神さまとともに住む。
- しかし、争いを起こし、悪霊に従おうとするならば、災いが宣言される。
- 悪霊に従うことを望み、罪の中にとどまったまま死ぬ場合は、知っていながら神さまの律法に背くので、永遠の罰を受ける。
- 民(わたし)は、神さまから余りある祝福を受けたことを知っていおり、聖なる預言者の預言を記した記録も教えられてきている。
- 先祖が神さまから命じられて語った事柄、それらは正しくて真実である、も教えられている。
- これらを知り、教えられたうえで、背いて、反する行いをし、神さまの御霊が受けられないようにするなら、あらゆる義の敵となる。
- 義の敵となると、神さまの導きを受けることができなくなる。
- そのまま悔い改めずに死ぬなら、神さまの正義の要求により、その人の霊は強烈な罪の意識を持ち、神さまの御前からしり込みし、罪悪感と心痛と苦しみで満たされる。それは消えることの無い火のようである。
- その人は、神さまの憐れみを受けることなく、終わることの無い、苦痛に耐えることになる。
ベニヤミン王は、民が理解できるように、神さまの言葉をわかりやすく語り、これらが真実であり、神さまの律法に背く者が受ける恐ろしい状態を思い起こすように祈っていた。
神さまの戒めを守る人はこの世でも幸福である。そして、終わりまで耐え忍び、最後まで忠実である者への報いは大きい。
しかし、神さまの道について、充分に教えられ、聖霊によって証を得たのちに、その証から離れ、教えに叛くなら、そして、そのまま悔い改めずにこの世の生涯を終えるなら、神さまのみ前に戻るときに、限りない罪悪感に苛まれ、まるで終わりのない炎に刺し貫かれるような苦しみを味わう。
これが真実であるかどうか、正直な心で探求をし続けてほしい
(31-41節)
- 争い
- (第三ニーファイ11章)
29)まことに,まことに,あなたがたに言う。争いの心を持つ者はわたしにつく者ではなく,争いの父である悪魔につく者である。悪魔は互いに怒って争うように人々の心をあおり立てる。
30)見よ,互いに怒るように人々の心をあおり立てるのは,わたしの教義ではない。このようなことをやめるようにというのが,わたしの教義である。
おまけ
民は布告に従って神殿に集まってきた。
すでに大きな民となっていたが、布告が出された次の日に、全ての国中から、ひとりのこらず。
神に感謝を捧げるため、モーセの律法に従うため、家畜の初子を連れてきた。
神はかれらをエルサレムから連れだし、敵の手から救い、正しい人を教師とし、
正しい人で平和と民の喜びと神への愛と神の命令を守るように教えた人を
王とした。
神殿に着いたとき、民はその家族ごとにまとまって、天幕を張った。
天幕に居ながら話を聞けるようにした。
民は多くて悉くのひとに言葉を伝えられないので、ベンジャミン王は塔を立てさせた。
それでも声の届かぬものが多くいたので書き取らせてその者たちに知らせた。
ベンジャミン王の説教(5章まで)
民をここに集めた理由。
言葉を軽んじさせるためではない。
耳を開き、胸を開き、心を開いて、聞き従わせるため。
(私たちは予言者の言葉をどう受け止めているか。)
王を恐れさせるためでも、王を人以上の者であると思わせるためでも、ない。
王自身自分の弱点のあることを自ら認めている。が、
民に選ばれ、モーサヤによって按手聖任され、主にゆるされて、王になった。
力を尽くして民のために働くために主に守られて生きた。
罪悪を犯すことを許さず、神の命を守れと教え、
自分(王)自身も働いて民の負担にならないようにした。
誇るためでも、人を裁くためでもない。
ただ主のためにそうした。
少しも良心に責められずに主の前に立てる。
そのことを知らせるために話している。
同胞のために務めるのは、民の為に務めることである。
神は私たちを造り、助けて、養い、守り、喜ばせ、平和にし、息を与えて生かし、生きて動き、意思のままに行うことを許し、支えておりたもう。
私たちは全身全霊の力を尽くして仕えても、まだ益にならない。
神は人に生命を与えられた。
人に戒めを守るように要求なさる。
人が守ると、すぐに祝福をくださる。
永久に恩がある。なにも誇ることができない。
指導者は民を導くことについて責任がある。
できるかぎり果たしたとき、民の罪の責任は指導者にない。
不和がないように、悪魔に喜んで従うことのないように戒める。
罪を持ったまま死ぬ。と、永遠の罰を受ける。DC19:6-12
人は持ち物と才能とをみな天の御父のために永久に用いなければならない。
神の教えを悟ったあとで、背くなら「みたま」は離れ、知恵と保護がなくなる。
あらゆる義の敵となる。神の前から完全に断ち切られる。(罪の自覚のため)
神の命令を守るものは、
この世に於いても、かの地に於いても全てに祝福を受け、永遠の幸福を得る。
忘れずに記憶せよ。