こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書3章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書3章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書3章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます
それは救い主が世に来られて民に救いをもたらされる、という喜びのおとずれであり、神さまに反抗するものは永遠の苦痛を受ける、という宣言であった。
ベニヤミン王は啓示を受ける
ベニヤミン王は祈り求め、神さまが善しとされたので、(当時からすると)将来、救い主がこの世に来られるという啓示を受けた。
その啓示は、神さまから遣わされた天使が、眠っているベニヤミン王に与えたものである。
天使は、眠っているベニヤミン王に「目を覚ます」ように告げ、
天使は、目を覚ましたベニヤミン王に、目を覚まして、天使の語る言葉を聞くように告げた。
そして天使は「胸躍る大いなる喜びのおとずれ」を告げた。
天使の言葉は、ベニヤミン王が喜びを得、民もそのことを聞いて、喜びに満たされるものであった。
これらの言葉は、神さま、救い主が、天使に命じて、ベニヤミン王に語らせ、ベニヤミン王を通して、民に伝えるようにされたのである。
(1-4,23,27節)
- 大いなる喜びのおとずれ
- (ルカによる福音書2章)
10)御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
11)きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。
天使が救い主について語る
神さまである救い主は
- 現在、世をを統治されている。
- 永遠(世の初め)から永遠(未来永劫)にわたって存在されている。
- 全能である。
- イエスキリスト、神さまの御子、時の初めからの万物の創造者、と呼ばれる。
- 人がその御名を信じる信仰を持ちさえすれば、救いが得られるようにされる。
(5,8,9節)
救い主は地上に来られる
永遠の父なる神さまの御子、救い主であるエホバが、力をもって天から人の中に降ってきて、「マリヤ」を母として、土の幕屋(この世の肉体)に宿り、人々の中に出ていって、次のような大きな奇跡をおこなわれる。
- 病人を癒し、
- 死者を生き返らせ、
- 足の不自由な人を歩ける世にし、
- 目の見えない人を見えるようにし、
- 耳の聞こえない人を聞こえるようにし、
- すべての病気を癒される。
- 人の心の中にとどまる悪霊を追い出される。
救い主が世にこられ、世の罪の贖いをされる。
愛と憐れみに満ちた救い主は、
世の苦しみを担い、苦しむ人を癒し、
人に神さまの道を示され、その道に従う者に救いを与えられる。
高慢な心を叱責され、謙遜になって神さまを信じるように求めておられる。
多くの奇跡は、信仰あるものに示され、その信仰を強められた。
その御名を常に讃え従う者は救いを得る。
(5-6節)
- 救い主が地上に生まれる
- (モーサヤ書7章)
27)その人は民に,キリストは万物の父なる神であられると述べ,またキリストは後に人の形を取られること,そしてその形は人が初めにそれに倣って造られた形であることを告げた。言い換えれば,人が神の形に造られたこと,また神が人の子らの中に降って来て血肉を受け,地の面に出て行かれることを,その人は民に告げたのである。(アルマ書7章)
9)しかし見よ,御霊はわたしにこれだけを言われた。『この民に叫んで言いなさい。「悔い改めよ。主の道を備えよ。まっすぐな主の道を歩め。見よ,天の王国は近づいており,神の御子は地の面に来られるからである」と。』10)そして見よ,神の御子は,わたしたちの先祖の地であるエルサレムで,マリヤからお生まれになる。マリヤは聖霊の力により覆われて身ごもり,男の子,まことに神の御子をもうけるおとめであって,尊い,選ばれた器である。
- 救い主は人を癒し悪霊を追い出す
- (マタイによる福音書4章)
23)イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
24)そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。(マルコによる福音書1章)
32)夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。
33)こうして、町中の者が戸口に集まった。
34)イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。
救い主はこの世で苦しみを負われる
救い主は、この世で人にとっては死ぬ以外に耐えようのない数々の試練や肉体の苦痛や飢え、渇き、疲労など、非常に激しい苦しみを受け、それに耐えらえる。
その苦痛はあらゆる毛穴から血が流れ出るほどである。
(7,9節)
- 救い主は人の罪を贖うために苦しまれる
- (アルマ書7章)
11)そして神の御子は,あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは,神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。
12)また神の御子は,御自分の民を束縛している死の縄目を解くために,御自身に死を受けられる。また神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。
13)さて,御霊はすべてのことを御存じである。にもかかわらず,神の御子は御自分の民の罪を負い,御自分の解放の力によって彼らの背きを取り消すために,肉において苦しみを受けられる。さて見よ,これがわたしの内にある証である。(教義と聖約19章)
15)それゆえ,わたしは,悔い改めるようにあなたに命じる。わたしの口の鞭によって,わたしの憤りによって,またわたしの怒りによって打たれて,つらい苦しみを被ることのないように,悔い改めなさい。これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない。
16)見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。
17)しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう。
18)その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。(ルカによる福音書22章)
44)イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
民の多くは救い主を信じない
民は、自分たちの神さまが来られた時に、民を罪から救うために苦痛を受けられていることに民は気が付かず、ただの人だと決めつけ、悪魔に付かれていると言い、あざけり、鞭打ち、十字架につける。
(9節)
- 救い主は侮られ、鞭うたれ、十字架につけられる
- (イザヤ書53章)
3)彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4)まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5)しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。(マルコによる福音書15章)
15)それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。(ルカによる福音書18章)
32)人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、
33)また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。
救い主はよみがえって世を裁く
その裁きは公正である。
(10,18節)
救い主が救いを与える人たち
アダムがエデンの園で神さまの戒めに背いたので、人は堕落し、死ぬものとなった。
救い主(の血)は、以下の人たちの罪を贖って、救いを与える。
- 自分たちに関する神さまの御心を知らずに死んだ人たち
- 幼いときに死ぬ乳飲み子
- 気が付かないで罪を犯した人たち
- へりくだり幼子のようになり、悔い改めて、救い主を信じる人たち
- 救いは過去も現在も未来も救い主の贖いの地によってのみ与えられると信じる人たち
- 聖なる御霊の勧めに従い、救い主の贖罪により、生まれながらの人を捨てて聖徒となり、
子どものように順順で、柔和で、謙遜で、忍耐強く、愛にあふれ、
苦しいことを含め、神さまが与えるすべてのことに喜んで従う人。
救い主は、すべての人、神さまの子どもたちを贖う道を備えられたが、
従うかどうかは人に任せられた
すべての選択の責任はそれを選んだ人にある
神さまはその人のすべてをご存知で、
人には言い訳はできない。
その人の状況を憐れまれるが、偽りは見逃されない。
神さまの憐れみにたより、悔い改め、最善を尽くそう。
(11,12,16,17,19節)
- 救い主だけが人を救う力を持つ
- (使徒行伝4章)
10)あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
12)この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
- 律法を知らない人たちは救いを得る
- (ニーファイ第二書9章)
25)それゆえ,イスラエルの聖者は律法を授けられた。律法がないところには罰がない。また罰のないところには罪の宣告もない。そして,罪の宣告のないところで,イスラエルの聖者の憐れみが人々に対してその役割を主張するのはなぜかといえば,それは贖罪のゆえである。彼らはイスラエルの聖者の力によって救われているからである。
26)その贖罪は,律法を与えられたことのないすべての人にとっても,神の正義の要求を満たすので,これらの人々は,あの恐ろしい怪物,すなわち死と地獄と悪魔と,無窮の苦痛である火と硫黄の池から救われて,彼らに息をお与えになったイスラエルの聖者である神のみもとに連れ戻されるのである。
- 幼い子どもたち
- (モロナイ書8章)
8)『あなたがたの贖い主,あなたがたの主,あなたがたの神であるキリストの言葉を聴きなさい。見よ,わたしがこの世に来たのは,義人を招くためではなく,罪人を招いて悔い改めさせるためである。健康な人には医者は要らない。要るのは病人である。幼い子供たちは,罪を犯すことができないので健康である。したがって,アダムののろいは,わたしによって彼らから取り去られており,彼らを支配する力を持っていない。また,割礼の律法もわたしによって廃されている。』
9)聖霊がこのように神の御言葉をわたしに明らかにしてくださったので,愛する息子よ,わたしは,幼い子供たちにバプテスマを施すことが,神をひどくあざける行為であることを知っている。
罪を赦されない人たち
- 自分が神さまに背いていることを知っていて、悔い改めない人
- 救いが救い主によってしか与えられないことを信じない人
- 生まれながらの人(欲望のまま生きる人)
- 神さまが与えるすべてのことに喜んで従わない人
- 救い主のことを知りつつ、悔い改めて救い主を信じない人
- 天使がベニヤミン王に語り、民に告げる言葉に従わない人
(12,18,19,21,22節)
- 幼子のようにならなければ天国に入れない
- (マタイによる福音書18章)
3)「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
- 生まれながらの人は神さまの御霊を受け入れない
- (コリント人への第一の手紙2章)
14)生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
救い主のことが民に知らされる
救い主は、ご自分のことや、救いの条件をすべての人に伝えられる。
そのために、預言者をすべての人に遣わされる。
救い主を信じる人たちが、救い主がすでに来られたかのように、罪の赦しを受け、非常に大きな喜びを味わわれるようにされた。
将来、救い主についての知識があらゆる人に広まる。
(13,20節)
イスラエルの民に、モーセの律法、予型が与えられた
救い主と契約したイスラエルの民が強情であったので、救い主はモーセの律法を定められた。
また救い主が世に来られることを教えるために、多くのしるしと不思議と予型と影を示された。
預言者も救い主が来られることを民に告げた。
(14,15)
神さまが言われたこと
これらの言葉によって、民自身の行いが善いか悪いかを裁かれる。
行いが悪ければ、自分の罪と忌まわしい行いの恐ろしい思いに引き渡される。
その恐ろしい思いは、
- 罪のある人たちを神さまの前からしりごみさせる。
- 決して戻ることのできない、惨めな無窮の苦痛の状態にさせる。
- この苦痛は消えることなく炎が上り、とこしえにいつまでも煙を吐く火と硫黄の池のようである。
彼らは自分自身で罰の定めを招いた(選んだ)のである。
正義の取り決めは取り消すことができないので、神さまの憐れみを受けることができない。
このことは、アダムが禁断の実を食べたので堕落することになったのも正義の取り決めであり、取り消すことはできないのと同様である。
罪を犯したまま、悔い改めずに死んで、神さまの御前に出るときには、そしてそのあとも、良心が罪に伴う後悔や悲しみの情を呼び起こし、その苦痛が永遠に続くのだろう。
(24-27節)
- 罪悪を犯したまま死ぬ人が受ける苦痛
- (アルマ書5章)
18)それとも,自分のすべての罪を思い起こし,まことに,自分の犯したすべての悪をことごとく思い出し,まことに,神の戒めを無視してきたことを思い起こしながら,罪悪感と悔恨の情にさいなまれながら,神の裁きの座に連れ出される自分自身を,今,心に描くことができるであろうか。(ヤコブ書6章)
10)正義の要求は拒めないので,正義の力によって,あなたがたは,炎が消えることなく上り,煙がとこしえにいつまでも立ち上るあの火と硫黄の池に,必ず投げ込まれることになる。その火と硫黄の池は,無窮の苦痛である。
まとめ
全能の神さまが、すべての人に幸福を与えるために計画を立て、
わたしたちはそれに従って地上に生を受けた。
すべての人は、この世の誘惑にさらされ
欲に負けて神さまから離れる。
神さまのもとに帰るために、
神さまの用意された祝福を得るために、
御霊に従い、救い主の贖いに頼り、霊的な強さを身につけて
救い主に近づく努力と、与えられた召をはたす務めを、
最後まで続ける必要がある
Google広告の内容を変更する手順(興味のない広告は表示させない)はこちら