モルモン書・モーサヤ書4章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書4章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書4章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・モーサヤ書4章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書4章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書・モーサヤ書4章では、
ベニヤミン王の話を聞いた民がへりくだり、罪の赦しを願って、御霊によって清められたこと、
人が救いを得る条件、
人はみな神さまの御恵みをもとめる物乞いであるので、人は互いに助け合い、分かち合う必要があること、
自分の思いや行いには注意すべきこと
が記されています。

民の変化

  • 地に伏すほど、エホバ、神の御子、救い主、に対する畏れが生じた。
  • 自分たちがこの世的な状態にあり、大地のチリよりも劣っていると思った。
  • 神さまに憐れみ・慈しみをもとめて、罪の赦しを受けて、心が清められることを願って、大声で叫んだ。
  • 救い主の贖いの血の効力が及ぶように願った。
  • 天地と万物を創造され、将来、世に来られる神さまの御子、救い主、イエスキリストを信じていた。

それで、

  • 彼らに御霊が降り、罪の赦しを受け、良心の安らぎを得て、喜びに満たされた。
  • 神さまの、慈しみ・たぐいない力・知恵・忍耐・人の子らへの寛容を知った。
  • 救い主に頼り、神さまの戒めを熱心に守り、生涯の最後まで信仰を持ち続ける人に救いが与えれるように、
  • 世の初めから贖罪が与えられてきたことを知るようになった。

それで

アダムの堕落以来世の終わりまでの全人類のために備えれた贖罪によって、救いを受ける人になった。

*
畏れ=畏敬の念を持つ
神さまの愛と憐れみにより、わたしたちのために備えられた救いの計画。
神さまは、救い主を信じ従うものに、永遠の祝福を与えてくださる。
神さまに従い続けるなら、その人はこの世においても、後の世においても救いを得る。

(1-7節)

参照聖句
この世的な状態
(モーサヤ書16章)
5)自分自身の肉の性質の中にとどまり,罪の道と神に背く道を進む者は,その堕落した状態にとどまって,悪魔がその者を支配するすべての力を持つということを忘れるな。だから,その者は神の敵であって,あたかも贖いがなかったかのようである。悪魔もまた神の敵なのである。

(モーサヤ書27章)
25)主はわたしに言われました。『全人類,すなわち男女を問わず,すべての国民,部族,国語の民,民族が再び生まれなければならないことを不思議に思ってはならない。まことに,人は神から生まれ,肉欲にふける堕落した状態から義の状態に変わって,神に贖われ,神の息子や娘にならなければならない。

チリよりも劣る
(ヒラマン書12章)
7)おお,人の子らは何と無力なことか。まことに,地のちりよりも劣っている。
8)見よ,地のちりは,わたしたちの大いなる永遠の神の命令に応じてあちらこちらに動いて分かれる。
良心
(モロナイ書7章)
16)見よ,善悪をわきまえることができるように,すべての人にキリストの御霊が与えられているからである。さて,その判断の方法をあなたがたに教えよう。善を行うように誘い,またキリストを信じるように勧めるものはすべて,キリストの力と賜物によって送り出されているのである。したがってあなたがたは,それが神から出ていることを完全に理解してわきまえることができる。

人が救われる条件

  • 神さまが存在すること、天と地の万物を創造されたことを信じる。
  • 神さまが天と地で一切の権威を追っておられることを信じる。
  • 人は神さま・救い主が理解される事柄すべてを理解しないことを信じる。
  • 罪を悔い改めて、その罪を捨て、神さまの前にへりくだらなければならないことを信じる。
  • 神さまが自分を許してくださるように真心から求める。
  • 神さまの栄光を知る。
  • 神さまの慈しみを知り、神さまの愛を味わい、心に非常に大きな喜びを与える罪の赦しを受ける。
  • 今後も神さまの偉大さと自分の無力さ、取るに足りない人間であるわたしたちに対する神さまの慈しみと寛容を覚えて、いつも記憶にとどめる。
  • 心底、謙遜にへりくだって、日々神さまの御名を呼び、天使の口を通して語られた将来の出来事(救い主が世に来られること)を確固として信じ続ける。
*
神さまは全知全能であり、一切の権威を持って、地と天とわたしたちを管理しておられる。

わたしたちの理解力や知識では到底わからない事柄もある。

救い主が世の誘惑に打ち勝たれたように、わたしたちも日々の誘惑に打ち勝ち、誤りは悔い改め、清い者になれるよう、心から求め行動できるようになろう。

そして、一度知ったこと忘れないように。

そうしないと、
世のわずらいや誘惑が、わたしたちを取り囲み、芽を出し成長することを妨げようとやっきになっているので

わたしたちはすぐに高慢になって、神さまの方法に不満を募らせてしまい、
たえず鉄の棒につかまっていないと、救いの道からたやすく離れてしまうだろう。

(8-11節)

参照聖句
唯一の条件
(使徒行伝4章)
12)この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

(ニーファイ第二書31章)
21)さて見よ,わたしの愛する同胞よ,これが道である。そして,このほかには人を神の王国に救う道も名も天下に与えられていない。見よ,これがキリストの教義であって,限りなく一つの神である御父と御子と聖霊の唯一の真正な教えである。アーメン。

神さまの知恵は人にはわからない
(ローマ人への手紙11章)
33)ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。
34)「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。
(聖句の場所)

救われる人の祝福と人格

いつも喜びを感じ、神さまの愛で満たされ、いつも罪の赦しを保てる。

救い主、天地の創造者の栄光、正しく真実な事柄をますます知るようになる。

互いに傷つけあう心を持たなず、平和に暮らす。

あらゆる人に当然受けるべきものを与えたいと思う。

子どもたちが、飢えていたり、着るものがないのを放置しない。

子どもたちが神さまの律法に背いたり、互いに戦ったり、争ったりするのを放置しない。

子どもたちが義の敵である悪魔に仕えることもゆるさない。

子どもたちに、真理の道をまじめに歩むように、互いに愛し合い、仕えあうように教える。

自分も助けを必要とする人を助け、乏しい人に自分の持ち物を与える。

物乞いが求めるものを与え、貧しい人を助ける。
(12-16節)

参照聖句
貧しい人を助ける
(申命記15章)
7)あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。
8)必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。
9)あなたは心に邪念を起し、『第七年のゆるしの年が近づいた』と言って、貧しい兄弟に対し、物を惜しんで、何も与えないことのないように慎まなければならない。その人があなたを主に訴えるならば、あなたは罪を得るであろう。
10)あなたは心から彼に与えなければならない。彼に与える時は惜しんではならない。あなたの神、主はこの事のために、あなたをすべての事業と、手のすべての働きにおいて祝福されるからである。
11)貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。

(イザヤ書10章)
1)わざわいなるかな、不義の判決を下す者、暴虐の宣告を書きしるす者。
2)彼らは乏しい者の訴えを引き受けず、わが民のうちの貧しい者の権利をはぎ、寡婦の資産を奪い、みなしごのものをかすめる。

あざけりは罪
(箴言17)
5)貧しい者をあざける者はその造り主を侮る、人の災を喜ぶ者は罰を免れない。

わたしたちはみな物乞いである

わたしたちは、みな、神さまに願い、恵みをいただく、物乞いである。

  • 食べ物も、衣服も、あらゆる富も、能力も、神さまに頼っている。
  • 神さまに様々なことを願い、罪の赦しを願っている。

神さまは、わたしたちに恵みを与え、わたしたちの願いを聞き届け、わたしたちに御霊を注いで、わたしたちに大きな喜びを与えておられる。

わたしたちも、互いに持っているものを分かち合って当然である。

持っていない人や苦しんでいる人に対して、その人たちのせいであるとして、手を差し伸べないとすれば、罪に定められることになる。

わたしたちの持ち物は神さまのものであり、命すら神さまのものである。
もしわたしたちが神さまに願わず、頼らず、自分の行いを悔い改めないならば、持ち物と一緒に滅びてしまう。

自分の生活をするには足りるが施すことはできない人は、他人の富をむさぼることなく、できる範囲のことをするなら赦される。

しかし、他人の富をむさぼるのであれば罪になる。

自分の持っている分に応じて、無理のない範囲で、貧しい人に分かち合うように、神さまは求めておられる。
すなわち、自分のできる範囲で、飢えている人に食べさせ、着るものがない人に着せ、病人を見舞い、困っている人の入り用に応じて霊的にも精神的にも物質的にも助けを与えることである。

*
神さまからいただいたのは、他の人を助けるため。
神さまは他の人を助けるために、人に富を与えてくださる。

それは互いに高めあい、喜びあうことができるため。
互いに神さまの愛と憐れみを分かちあうため。

神さまに求めるのと同じくらい、人の求めにも応じ与える。

それが、神さまの業。
自分にできることをよく考えて、神さまと相談する。

(17-27節)

参照聖句
人を裁く
(マタイによる福音書7章)
1)人をさばくな。自分がさばかれないためである。
2)あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。

(ヨハネによる福音書7章)
24)うわべで人をさばかないで、正しいさばきをするがよい」。

貧しいものに与えない
(ヨハネの第一の手紙3章)
17)世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。

(教義と聖約56:16)
16)あなたがた,金持ちで自分の持ち物を貧しい者に与えようとしない者は,災いである。あなたがたの富はあなたがたを腐敗させるからである。そして,刑罰と裁きと憤りの日におけるあなたがたの悲しみは,このようである。すなわち,「刈り入れの時は過ぎ,夏は終わった。しかし,わたしは救われていない」と。

むさぼりは罪
(教義と聖約56章)
17)あなたがた,貧しい者で心が打ち砕かれておらず,霊が悔いておらず,腹が満たされておらず,他人の所有物に手を置くのをとどめられず,その目が貪欲に満ちており,自分自身の手で働こうとしない者は,災いである。
貧しいものに与える
(ゼカリヤ書7章)
10)やもめ、みなしご、寄留の他国人および貧しい人を、しえたげてはならない。互に人を害することを、心に図ってはならない」。

(アルマ書1章)
27)また彼らは,各々自分の持っている分に応じて,貧しい者や乏しい者,病気の者,苦しんでいる者に自分の持ち物を分け与えた。彼らは高価な衣服を身に着けてはいなかったが,その装いはこざっぱりして麗しかった。

(イザヤ書58章)
10)飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
11)主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。

(教義と聖約104章)
17)地は満ちており,十分にあり余っているからである。まことに,わたしはすべてのものを備え,人の子らが自ら選択し行動する者となるようにした。
18)それゆえ,わたしの造った豊かなものの中から取りながら,わたしの福音の律法に従って貧しい者や乏しい者に物を分け与えることをしない者は,悪人とともに,地獄で苦しみながら見上げるであろう。
(聖句の場所)

罪を犯さないように注意をする

罪を犯す手段は限りがない。

自分も、隣人ににも罪を犯させないように、隣人から借りたら返す。
自分自身や自分の思い、言葉、行いに注意し、
神の戒めを守り、
神さまが来られることを生涯の最後まで信じ続ける。

そうしなければ、滅びてしまう。

*
人は自分の欲のため、いつでもどこでも、どんなことについても、神さまの戒めに反する思い行いをしてしまう。

なので

自然に良い行いをし、悪い行いや思いを避けるように練習を繰り返す。
繰り返し繰り返し、練習に練習を重ね、失敗を克服し、自然に行えるようになるまで。

(28-30節)

参照聖句
言葉と行いが罪に定める
(アルマ書12章)
14)わたしたちの言葉がわたしたちを罪に定め,まことに,行いもすべてわたしたちを罪に定めるので,わたしたちは染みのない者とは認められない。また,わたしたちの思いもわたしたちを罪に定める。そして,このような恐ろしい状態の中で,わたしたちはあえて神を仰ぎ見ようとはしないであろう。そして,神の御前から隠れるために,岩や山に自分の上に落ちてくるように命じることができれば,喜んでそうするであろう。
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モルモン書・モーサヤ書4章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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