こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書25章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書25章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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ニーファイ人の状態
ニーファイの民 は ゼラヘムラの民ほど多くない。
ニーファイの民とゼラヘムラの民を足しても、レーマン人の数の半分にも満たなかった。
(2節)
ノア王の祭司の子どもたちは、自分たちの父の行為を快く思わず、父の名で呼ばれたくなかったので、ニーファイの名を受けて、ニーファイ人の中に数えられるようにした。
ニーファイの子孫にだけ、王位を授けられた。
(12-13節)
モーサヤ王はゼニフの民とアルマの民の記録を民に読ませた
モーサヤ王は
ゼニフの民がゼラヘムラの地を立ち去ってから戻ってくるまでの記録
と
アルマと彼の同胞がゼラヘムラの地を立ち去ってから戻ってくるまでの記録、あらゆる苦難の話
を民に読んで聞かせ、人にも読ませた。
モーサヤ王の民(ゼラヘムラにとどまったニーファイ人とミュレクの子孫であるゼラヘムラの民)は、これらの記録を読み終えたとき、不思議な思いと驚きに打たれた。
奴隷の状態から救い出された人々を見た時に、非常な喜びに満たされ
レーマン人に殺された人たちのことを思って、悲しみの涙を流し
アルマと彼の同胞を救い出してくださった神さまに声をあげて感謝をささげた。
また罪深いレーマン人の幸いを案じて苦痛と苦悩にさいなまれた。
(1-11節)
- 人が滅びるのに耐えられない気持ち
- (モーサヤ書28章)
3)さて,モーサヤの息子たちは,救いがすべての造られたものに告げ知らされることを願った。彼らは,だれであろうと人が滅びるのに耐えられなかったからである。まことに,無窮の苦痛を受ける人がいると考えただけで,彼らは震えおののいた。
【考察】アルマはもともとゼラヘムラに住んでいたか
彼自身はゼニフと一緒にゼラヘムラから出ていった人でしょうか。
年齢的にそれはないと考えています。
それともモーサヤ書25章6節は、アルマの言葉を信じて行動を共にした人の中に、ゼニフと一緒にゼラヘムラから出ていった人がいた、と読むべきでしょうか。
6)彼はまた,アルマと彼の同胞の話と,また彼らがゼラヘムラの地を立ち去ったときから再び帰って来るときまでに受けた,あらゆる苦難の話を読んで聞かせた。
ゼラへムラにずっといた民からすると、ゼラヘムラから出て行ってから帰ってくるまでは、モーサヤの民、ゼラヘムラの民から離れて過ごした期間となり、その間に起きたことすべての物語、を指している。アルマの父や祖父の話もあったかもしれない。アルマの同胞たちの父母祖父母の苦難の話も含まれている可能性もある。
- アルマは BC91年ごろ82歳で死んでいる。つまり、アルマはBC173年ごろに生まれたことになる。
- ゼニフがゼラヘムラを出てリーハイ・ニーファイの地とシャイロムの地に住んだのはおおよそBC200年-187年。
- 従って、アルマは、リーハイ・ニーファイの地とシャイロムの地で生まれたことになる。
- アルマがノア王の祭司となったときは、ノア王の治世の初め、BC160年-150年ごろ。13歳~23歳。
- アルマがアビナダイの話を聞いたのはBC148年ころ。25歳。確かに年若い祭司である。
- その後モルモンの泉で民に教え、ノア王の兵が来ると警告を受けて荒野へ出たのはBC145年。28歳。
- アルマとアルマの同胞がゼラヘムラに到着した時はBC120年。53歳。
(年齢はすべて推定)
他の祭司たちも同じぐらいの年齢だろうか。
- 祭司たちの子どもは、ゼラヘムラに戻ったときに父の名で呼ばれたくないと判断できるほどの年齢であったので、20歳前後以上であろうと推測できる。
- アビナダイがノア王の祭司の前で話をしてから、リムハイの民がゼラヘムラに到着するまでは28年あるので、リムハイの民がゼラヘムラに到着したころ、ノア王の祭司たちの子どもは30歳以上であろうと推測できる。
- ゼニフがゼラヘムラを出てニーファイの地に住む
- (モーサヤ書9章)
おおよそBC200年-187年
6)王のもとに行くと,王はわたしにリーハイ・ニーファイの地とシャイロムの地を所有してもよいと誓約してくれた。
- ノア王が祭司たちを任命する
- (モーサヤ書11章)
おおよそBC160年~150年
5)彼はかつて父が任命した祭司たちをすべて辞めさせ,代わりに高慢な,心の高ぶっている新しい祭司たちを任命した。
- 年若い祭司アルマ
- (モーサヤ書17章)
おおよそBC148年
2)ところが,祭司たちの中にアルマという名の者がいて,彼もまたニーファイの子孫であった。
- ゼラヘムラに戻る
- おおよそBC120年
(モーサヤ書22章)
13 このようにして,彼らは荒れ野の中で幾日も過ごした後,ゼラヘムラの地に到着してモーサヤの民に加わり,彼の臣民となった。(モーサヤ書24章)
25 そして彼らは,十二日間荒れ野を旅した後,ゼラヘムラの地に着いた。モーサヤ王は喜んで彼らを迎え入れた。
- アルマの死
- (モーサヤ書29章)
BC91年ごろ
45)さて,アルマの父は神の命令を果たし終えるまで生きて,八十二歳で死んだ。
アルマは民を教え、リムハイの民はバプテスマを受ける
モーサヤ王はアルマに民に語るように求め、アルマはいくつもの集団になっているゼラヘムラの民・ニーファイ人に、悔い改めと救い主を信じる信仰を述べ伝えた。
アルマは、リムハイと彼の同胞に、奴隷の状態から救い出してくださったのが救い主であることを覚えておくように勧めた。
アルマが教え終えると、リムハイとリムハイの民は皆バプテスマを受けたいと願い、アルマは彼らにバプテスマを施した。バプテスマを受けた人たちはアルマの言葉を信じたので神さまの教会に属した。
モーサヤ王は、アルマにゼラヘムラの全地に教会を設立することをアルマに許可し、教会をつかさどる祭司と教師を聖任する力をアルマに授けた。
(14-19節)
多くの教会、ひとつの教え
人々の数が非常に多く、ひとりの教師ですべての人をつかさどることができなかったので、また、ひとつの集会ですべての人に語ることができなかったので、ゼラヘムラには7つの教会が立てられ、人々は別々の集団に集まった。
それぞれの教会に祭司と教師がいて、祭司は皆、アルマの口により伝えらえた言葉を述べ伝えた。
すべての教会で、悔い改めと神さまを信じる信仰だけを教えていた。
神さまの名を受けることを望んだものは皆神さまの教会に加わった。
彼らは神の民と呼ばれ、神さまは彼らに御霊を注がれ、彼らは祝福され、ゼラヘムラで栄えた。
(20-23節)
- 御名を受ける
- (ヒラマン書3章)
27)これによって分かるように,主は,真心から主の聖なる名を呼ぼうとするすべての人に憐れみをかけられる。
28)まことに,これによって分かるように,天の門はすべての人に,言い換えれば,神の御子イエス・キリストの名を信じようとする人々に開かれているのである。(エテル書4章)
18)だから,地の果てに至るすべての者よ,悔い改めてわたしのもとに来なさい。そして,わたしの福音を信じて,わたしの名によってバプテスマを受けなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし,信じない者は罰の定めを受ける。わたしの名を信じる者にはしるしが伴う。
19)終わりの日に,わたしの名に忠実であると認められる者は幸いである。そのような者は高く上げられて,世の初めから用意されている王国に住むであろう。見よ,これを語ったのはわたしである。
- 神さまの教会
- (モーサヤ書18章)
17)そしてそれ以後,彼らは神の教会,すなわちキリストの教会と呼ばれた。また,神の力と権能によってバプテスマを受けた人々はだれでも,神の教会に加えられた。
まとめ
邪悪な王の時代、民は預言者を拒絶し、火あぶりにしてしまった。
その同じ民が、沢山の苦難を受けて悔い改め、生き残った全ての人がその預言者の教えを受け入れた。
神さまは人を精錬し訓練し、強めようとされる。
苦難によって離れていく人もあり、苦難を経て立ち返る人もあり。