こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書27章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書27章の要約と感想
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不信者の迫害がひどくなる
教会に属さない人たちからの、教会に属する人たちへの迫害がひどくなった。
教会員は指導者たち(教師や祭司)に訴え、指導者たちはアルマに訴えた。
アルマはモーサヤ王に助けを求め、モーサヤ王は祭司たちに意見を聞いた。
※モーサヤ王は、なぜ、祭司たちに意見を聞いたのだろうか。実情を把握してるのが祭司たちだからだろうか。教会の人たちの状態を知るためだろうか。教会員が原因を作り出すことが無いように、ということだろうか。
モーサヤ王は教会に属さない人が神さまの教会に属する人を迫害してはならないと布告を出した。
教会内に以下の厳しい命令が出された。
迫害があってはならない、すべての人は平等でなければならない、高慢・傲慢になって平和を乱してはならない、隣人を自分自身のように尊ばないといけない、祭司や教師も自分の手で働いて生活の糧を得るようにしないといけない。
これは、かつて、アルマがアルマの民に教えたことである。そして、ベニヤミン王が民に語ったことでもある。
これらのことを守ったので、神さまの恵みが豊かに注がれ、国内は平和になり、民は多くなり、地の全域に大きな町や村を築き始めた。
神さまの祝福により、民は栄え、裕福で大きな民となった。
(1-7節)
モーサヤの息子たちとアルマの息子アルマ
モーサヤの4人の息子たちとアルマの息子のひとり(アルマ)は、不信仰な者であった。
アルマの息子のアルマは邪悪で、偶像(救い主である神様以外)を礼拝し、言葉巧みに、多くの者に罪を犯させていた。彼は、民の心を奪って、おおきな不和を生じさせ、神さまの敵に民を支配する権力をふるう機会を与えたので、神さまの教会の発展を妨げていた。
アルマの息子アルマとモーサヤの息子たちが神さまの教会を滅ぼそうとして、神さまの戒めにもモーサヤ王の命令(教会員を迫害してはならない)にも背き、教会を滅ぼし、神さまの民を惑わそうとひそかに歩き回っていた。
その時、神さまの天使が雲に包まれて来たかのように降ってきて、アルマの息子アルマとモーサヤの息子たちとその仲間たちに雷のような声で語ったので、地が震えた。
アルマの息子アルマとモーサヤの息子たちとその仲間たちは、天使の言葉がわからなかったが、ひどく驚き、地に倒れた。
それでも天使は大声で彼らに起き上って立つように命じ、アルマの息子アルマに、彼が迫害している教会は神さまの教会であり、神さまの民の背き以外に、覆すことはできない、つまり、アルマの息子アルマたちの働きによって覆ることはない、かえって、アルマの息子アルマたちが神さまに捨てられるだけである、と語った。
天使がアルマの息子アルマに命じたことは3つ。
- アルマの息子アルマの先祖がヘラムの地とニーファイの地で囚われの状態にあったことを思いだす。
- 神さまがアルマの息子アルマの先祖のためにどれほど大いなることを行ってくださったかを思い起こす。
- これからは神さまの教会を滅ぼそうとしてはならない。
これらの出来事は、父アルマとゼラヘムラの教会員が、アルマの息子アルマが真理の知識に導かれるように深い信仰をもって祈った祈りに、神さまが答えてくださった結果である。
天使は、アルマの息子アルマと、モーサヤの息子たちとその息子たちに、神さまの力を示して去っていった。
アルマの息子アルマと、モーサヤの息子たちとその息子たちは、これらの出来事を起こせるのは神さまの力だけであることを認め、ひどく驚いて再び地に倒れた。
アルマの息子アルマは物が言えなくなり、体の力が弱くなって、身動きができなくなり、仲間に運ばれて父アルマのもとに置かれた。
(8-19節)
- アルマの子どもたちはノア王の祭司の子どもたちにいじめられる
- (モーサヤ書24章)
8)さて,アミュロンはアルマと彼の同胞に対して権力を振るうようになり,アルマを迫害し,また自分の子供たちにアルマとその同胞の子供たちをいじめさせるようになった。
- 神さまの敵に力を与える
- (教義と聖約50章)
7)見よ,まことに,あなたがたに言う。あなたがたの中に偽善者がおり,彼らはある人々を欺いてきた。このことが敵対する者に力を与えてきた。しかし見よ,このような者たちは救い出されるであろう(教義と聖約93章)
37)光と真理はあの悪しき者を捨てる。
39)そして,あの邪悪な者が来て,人の子らから,不従順によって,また先祖の言い伝えによって,光と真理を取り去る。
40)しかし,わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じた。
アルマ(父)と祭司たちは神さまに祈った
アルマの息子たちに起きたことをアルマ(父)が聞いたとき、アルマ(父)は神さまの力が働いたことを知って喜んだ。
アルマ(父)は、息子たちに起きたことを知らせようと大勢の人を集めた。
アルマ(父)は祭司たちも集めて、断食して神さまに祈り、アルマの息子が話ができるように、彼の手足に力が与えられるように、民の目が開かれて、神さまの慈しみと栄光を見て知ることができるように祈った。
2日2晩断食して祈ったところ、3日目にアルマの息子アルマは力を取り戻して立ち上がり、集まっていた人たちに話をした。
(20-23節)
アルマの息子アルマたちは悔い改めた
アルマの息子アルマは、「自分の罪を悔い改め、救い主に贖われ、御霊によって生まれた」と語った。
天使は、アルマの息子アルマたちに、人は神さまから生まれ、この世のことのみに関心を寄せる堕落した状態から、神さまの戒めを守り、神さまと隣人を愛する義の状態に変わり、神さまに贖われ、神さまの息子娘になる必要がある、新たな者とならない限り、神さまの王国に入ることはできない、と語った。
アルマの息子アルマは、「死ぬほどの悔い改めのあと、救い主の憐れみにより、燃える火から救い出され、神さまから生まれた。最も暗く深い淵の中にいたものが、神さまの驚くべき光を見ている。苦痛から救い出されて、心に苦痛を感じない」と語った。
また、かつては贖い主を拒み、先祖の語ったことを受け入れなかったけれど、今は、贖い主が来られることを先見できること、贖い主は作られたすべてのものを覚えていて、すべての人にご自身を現わされること、すべての人が贖い主が神さまであることや、神さまに頼らずに生きている者には永遠の罰が公正であることを告白し、罪の重さに縮み上がる、と告げた。
(24-31節)
- 再び生まれる
- (ローマ人への手紙6章)
3)それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
4)すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
5)もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
6)わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
7)それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
8)もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
9)キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。
10)なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
11)このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(モーサヤ書5章)
7)さて,あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。あなたがたは,キリストの御名を信じて心が改まったと言う。だから,あなたがたはキリストから生まれ,キリストの息子および娘となったのである。(アルマ書5章)
14)さて見よ,教会の同胞よ,わたしはあなたがたに尋ねる。あなたがたは霊的に神から生まれているか。あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に,この大きな変化を経験したか。(モーセ書6章)
59)背きによって堕落が生じ,その堕落が死をもたらす。あなたがたは水と血と,わたしが造った霊とによってこの世に生まれ,ちりから生けるものとなったので,まことにあなたがたは,水と御霊によって再び天の王国に生まれ,血によって,すなわちわたしの独り子の血によって清くされなければならない。それは,あなたがたがすべての罪から聖められ,この世において永遠の命の言葉を享受し,来るべき世において永遠の命,すなわち不死不滅の栄光を享受するためである。
- 堕落した状態
- (モーサヤ書16章)
5)自分自身の肉の性質の中にとどまり,罪の道と神に背く道を進む者は,その堕落した状態にとどまって,悪魔がその者を支配するすべての力を持つということを忘れるな。だから,その者は神の敵であって,あたかも贖いがなかったかのようである。悪魔もまた神の敵なのである。
- 神さまから生まれる
- (モーサヤ書5章)
7)さて,あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。あなたがたは,キリストの御名を信じて心が改まったと言う。だから,あなたがたはキリストから生まれ,キリストの息子および娘となったのである。(アルマ書5章)
14)さて見よ,教会の同胞よ,わたしはあなたがたに尋ねる。あなたがたは霊的に神から生まれているか。あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に,この大きな変化を経験したか。(モーセ書6章)
64)このように主がわたしたちの先祖アダムと語られたとき,アダムは主に叫び求めました。すると,彼は主の御霊に連れ去られ,水の中に運ばれ,水に沈められ,そして水から連れ出されました。
65)このようにして,彼はバプテスマを受け,神の御霊が彼に降られました。このようにして,彼は御霊によって生まれ,内なる人において生かされた者となったのです。
- 水と霊から生まれる
- (ヨハネによる福音書3章)
5)イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
- 悔い改めない者が受ける苦痛
- (モーサヤ書2章)
38)そこで,その者がもしも悔い改めず,神の敵である状態で死ぬならば,神の正義の要求が,その者の不滅の霊に強烈な罪の意識を起こさせる。そして,その罪の意識のために,その者は主の御前からしりごみし,またその胸は罪悪感と心痛と苦しみで満たされる。その罪悪感と心痛と苦しみは,炎がとこしえにいつまでも立ち上る,消すことのできない火のようである。
- すべての人が救い主について告白する
- (ピリピ人への手紙2)
10)それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
11)また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。(モーサヤ書16章)
1)さて,アビナダイはこれらの言葉を語り終えると,手を伸ばして言った。「将来,すべての人が主の救いを見る時が来る。あらゆる国民,部族,国語の民,民族が目と目を合わせて見て,神の裁きが公正であることを神の御前で認める時が来る。
2)そのとき,悪人は追い出されるであろう。そして,彼らは泣きわめき,涙を流し,嘆き悲しみ,歯ぎしりをするに違いない。それは,彼らが主の声に聞き従おうとしなかったからである。そのために,主は彼らを贖われない。
自分たちの聞いたこと見たことを告げて回った
アルマの息子アルマと仲間たちは、全地を旅してまわり、自分たちが見たり聞いたりしたことをすべての民に告げた。そして、かつて自分たちが教会に加えた害悪の償いをしようと熱心に努め、自分たちのすべての罪を告白し、自分たちの言葉を聞こうとする人たちに預言と聖文について解説し、寛容をもって神さまの戒めを守るように勧めた。
不信仰な者たちからはひどい迫害を受け、彼らの多くの者から打たれるなど多くの艱難を受けた。
アルマの息子たちは神さまの御手に使われるものとなり、教会員に大きな慰めを与え、彼らの信仰を強め、多くの人を真理の知識に導いた。
(32-37節)
- 平和を告げて広める
- (イザヤ書52章)
7)よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。
まとめ
自分の子が神さまの教えから離れ、反抗し正しい人をも迷わせていた
父はその子が神さまの叱責を受けて、立ち返ることを願った
父の願いは叶えられ、子は倒れて動けなくなる
父はそれを見てもらうために、人々を呼び集めた
子は目覚め、不平も言わず、自分の悔い改めを語った
父アルマもノア王の祭司として道を踏み外していた
アビナダイの預言・説教によって、つらい悔い改めをし、ノア王の民に悔い改めを伝えた
レーマン人の奴隷になるという艱難も乗り越え、ゼラヘムラの民を導くようになった。
一人の息子は不信仰になり、民を誘って罪悪を犯させた。
モーサヤ(2世)王は、祖父モーサヤ(1世)王と父ベニヤミン王の教えを実践し、民を正しい道に導いていた。
4人の息子は不信仰になり、民が正しい道を歩むことを妨げた。
必ずしも、親が期待していた通りには子どもは育たないし、必ずしも、親の信仰を受け継ぐこともない。
親が子に自分と同じ信仰を持ってほしいと願うが、必ずしも、この子どもたちのような経験はしない。
息子アルマやモーサヤの息子たちにこの経験が必要だと神さまがお考えになり、与えられた。
その後の行動も神さまの導きがあって、彼らはその道を歩み始めた。
神さまはすべての人が神さまのみもとに戻ることを望んでおられるし、そのために、贖いの計画を用意された。
ひとりひとりの経験は違っていても、必ず神さまは導こうとされている。
わたしたちが何を望むか、神さまが与えてくださる経験にどうこたえるかどうかは、その人自身の選択になる。