モルモン書・モーサヤ書23章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書23章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書23章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。


モルモン書・モーサヤ書23章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書23章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書のモーサヤ書23章には、ノア王によって、荒野へ追われたアルマとその民の記録が記されている。
アルマの民はアルマの宣教によって悔い改め、バプテスマを受けていた。
アルマは民を教え導いた。
民はアルマを王にしたいと願ったが、アルマは王がいるのはよくないと考え、断った。
彼らはヘラムの地で増え栄えた。
彼らがレーマン人によって奴隷とされたことと、ノア王の祭司たちがレーマン人の臣下になったことが記録されている。

アルマたちはヘラムの地で栄えた

アルマはモルモンの泉で集まった民に教えを授け、バプテスマを施した。

アルマたちのことがノア王に知れてしまい、ノア王の軍隊がアルマたちを捕らえに来ることが、神さまからアルマに警告されたので、アルマの民は家畜の群れを連れ、穀物をもって荒野に逃げた。

神さまは、アルマの民を強くして、ノア王の軍隊が追いつかれて滅ぼされることのないようにされた。

アルマたちは8日間旅をして、美しく、心地よく、清らかな水のある地に着き、天幕を張り、地を耕し、建物を建て始めた。彼らは勤勉に熱心に働いた。

彼らはその地で非常に栄えた。その地をヘラムと名付け、ヘラムの町を築いた。
(1-20節)

アルマの教え

人はみな自分自身のように隣人を愛し、民の中に争いが無いようにしなければならない。

民はアルマを王にしたいと願ったが、アルマは断った。

王がいるのは望ましいことではない理由

  • 人に優劣をつけるのはよいことではない。
  • 邪悪な王は民に罪を犯させる。
    • アルマ自身も民も、ノア王たちにいざなわれ、罪悪を沢山犯した。
      • アルマがつらい悔い改めをした後、神さまはアルマの祈りを聞き届けてくださり、アルマを使って多くの人に真理を伝えることができるようにしてくださった。
    • 民は、かつて、ノア王と祭司たちの奴隷の状態であり、罪悪に引き込まれ、罪悪の縄目に縛られていた。しかし、神さまの力によって救い出された。アルマは民がこの自由にしっかりと立ち、だれも自分たちの王としないように望んだ。
アルマは、民に、神さまの道を歩み、神さまの戒めを守る人だけを教師、導き手とするように教えた。
そしてアルマは権能を持っていたので、そのような人を祭司と教師に任命した。
祭司と教師に任命された人たちはアルマとともに、民を見守り、義にかかわることをもって民を養った。

(6-18節)

参照聖句
<邪悪な王が民を罪にいざなう/dt>

(モーサヤ書11章)
2)見よ,ノア王は神の戒めを守らず,自分の心の望むままに歩んだ。彼は多くの妻とそばめを持ち,また民にも罪を犯させ,主の目から見て忌まわしいことを行わせた。そして彼の民は,みだらなこととあらゆる悪事とを行った。
3)また彼は,民が所有するすべてのものに五分の一の税をかけた。すなわち,民の金と銀の五分の一を,そしてジフと銅と真鍮と鉄の五分の一を,また民の肥えた若い家畜の五分の一を,それに穀物の五分の一を徴税した。
4)そして彼は,この税をすべて,自分自身と妻たちとそばめたち,また祭司たちとその妻たちとそばめたちの生活を支えるために取り立てた。このようにして彼は,王国の政務を変えてしまった。
7)そして民はまた,王や祭司たちのむなしいへつらいの言葉にだまされ,彼らも偶像を礼拝するようになった。王や祭司たちが民にへつらい事を語ったからである。
15)そして彼は,国内の至る所にぶどう園を設け,ぶどうの搾り場を設けてぶどう酒をたくさん造った。そのために,彼も民も大酒飲みになってしまった。
ノア王の祭司たち
(モーサヤ書11章)
5)彼(ノア王)はかつて父が任命した祭司たちをすべて辞めさせ,代わりに高慢な,心の高ぶっている新しい祭司たちを任命した。
6)このようにして,祭司たちは怠惰に暮らして,偶像を拝し,みだらな行いをしながら,ノア王が民に課した税で養われた。このように,民は罪悪を支えるために,非常な骨折りをしたのであった。
14)さて,王(ノア王)は富に心を寄せ,妻たちやそばめたちとの放埒な生活に時を過ごした。また,王の祭司たちも娼婦たちと時を費やした。
艱難は祝福に先立つ
(教義と聖約58章)
4)多くの艱難の後に祝福は来る。それゆえ,あなたがたが大いなる栄光を冠として与えられる日が来る。その時はまだ来ていないが,もう近い。
自由
(聖句ガイド)
何の束縛もなく行動し,考えることのできる状態。福音の原則に従順な人は,罪という霊的な束縛から解放される。

(ガラテヤ人への手紙5章)
1)自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

神さまはご自分の民を懲らしめる

神さまはご自分の民を懲らしめることもある。

それは、民の忍耐と信仰を試し、より豊かな祝福へと導くためである。

アルマの民は、救い出されたこと、神さまの偉大な力を見たことで、大いに喜んでいた。

そこに、レーマン人の軍隊が現れ、アルマの民は畑から逃げてヘラムの町に集まって怯えていた。

アルマは、民に、怖がらないように、神さまを覚えていれば神さまの助けを得ると教えた。

民は恐れを静めて、レーマン人の心が和らいで、自分たちと妻子を助けてくれるように神さまに願った。

神さまはレーマン人の心を和らげてくださった。レーマン人は彼らの命は助けたが、ヘラムの地を占領した。

アルマの民は、レーマン人の奴隷となり、しばらくの間、苦難を味わうことになる。

(21-29節)

参照聖句
最後まで耐え忍ぶもの
(ニーファイ第一書13章)
37)その日,わたしのシオンを起こそうと努める者は幸いである。彼らは聖霊の賜物と力を受けるであろう。また,彼らは最後まで堪え忍ぶならば,終わりの日に高く上げられて,小羊の永遠の王国に救われるであろう。また平和を告げて広め,まことに大いなる喜びのおとずれを告げる者は,山の上にあって何と麗しいことであろう。

ノア王の祭司

ノア王の祭司たち(統率者の名はアミュロン)は、ニーファイの地から逃げた後、レーマン人の娘をさらい、アミュロンと名付けた地にいた。

リムハイの民を捜索し、迷って荒野をさまよっていたレーマン人の軍隊がアミュロンの地にいるノア王の祭司たちとその妻になっていたレーマン人の娘たちを見つけた。

アミュロンは、レーマン人に懇願し、妻たちに夫を殺すことのないように懇願させた。

レーマン人は、もともとレーマン人の娘であった、ノア王の祭司たちの妻たちに免じてノア王の祭司たちを殺さなかった。
アミュロンと彼の仲間(ノア王の祭司たち)はレーマン人の仲間になり、ニーファイの地を捜して荒野を旅した。

※レーマン人はニーファイ人を憎み、滅ぼそうと考えていた。ゼニフの民をニーファイの地に住まわせたのもそのためである。ノア王の祭司たちはニーファイ人として初めてレーマン人と交わることに成功したのである。ノア王の祭司たちがレーマン人の役に立ったことで、レーマン人はニーファイ人の離反者を受け入れるようになり、このあと、モーサヤ王の息子たちがレーマン人のもとに来たり、ほかにもニーファイ人の離反者がレーマン人のもとに来た時に、殺さず、仲間に入れるようになったのだとわたしは考えている。

(30-39節)

参照聖句
レーマン人はニーファイ人を憎む
(モーサヤ書10章)
17)このようにして,彼ら(レーマン、レムエル)は子供たちに,ニーファイの子孫を憎むように,また彼らを殺すように,彼らから盗み,略奪し,彼らを滅ぼすためにできるかぎりのことをするように教えた。そのためにレーマン人は,ニーファイの子孫に対して,尽きることのない憎しみを抱いている。

アミュロンはヘラムの地の統治者となった

荒野を旅していたレーマン人とノア王の祭司たちは、ヘラムの地を発見し、アルマとその民に自由を与えると約束してニーファイの地へ通じる道を聞いた後も、その約束を守らず、アルマとその民を見張り、彼らを奴隷とした。

レーマン人の王はアミュロンにヘラムの地にいるレーマン人の王となり統治者となることを許した。

※どんな手段を使えば、自分たちの娘を奪ったと怒ってリムハイの民を攻めたレーマン人の王が、レーマン人の娘を奪った真犯人のノア王の祭司をヘラムの統率者にするようになるのであろうか。

まとめ

神さまは、人が苦難を味わうのを許される。

忍耐強く神さまへの信仰を持ち続けるなら、終わりの日に高く上げられる。

人は楽をするためにこの世に来たのではない。

人は成長するため、神さまに近づくための経験が与えられる。

どんな時も、信仰を持って善を行うなら、神さまの助けを受ける。

モルモン書・モーサヤ書23章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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