モルモン書・モーサヤ書12章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書12章では、神さまの戒めから離れて罪悪にふけるノア王と祭司とその民に対し、再び、アビナダイが悔い改めを述べ伝えることが記されている。
アビナダイは1人で民や祭司や王に立ち向かい、皆に拒まれても、神さまの言葉によって祭司たちの誤りを力強く伝えた。
祭司の一人がアビナダイに聖句の意味を問いかける。アビナダイは祭司の欺瞞を明らかにし、神さまの教えを伝える。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書12章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のモーサヤ書12章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・モーサヤ書12章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書12章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書12章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

アビナダイが再び民の前に現れる

神さまから命じられ、悔い改めを述べ伝えてから2年後、再び、アビナダイが民の前に姿を変えて現れ、民の中で預言をした。

神さまは2年間の猶予期間を民に与えていたが、全く悔い改めずにいたため、神さまは再び、アビナダイに命じて、民が悔い改めないと罰が降ると述べさせた。

民は神さまの言葉に対して心をかたくなにしていた。
民は自分たちの悪い行いを悔い改めていなかった。

そのため、神さまは民の罪悪と忌まわしい行いに対して罰すると言われた。
※これは警告の声であり、神さまは、民が悔い改めて幸福を得ることを望んでおられるが、民が悔い改めないので罰によって民自身が気づくようにされたのである。

アビナダイが神さまに命じられて、神さまの言葉として民に告げた言葉

  • この時代のノア王の民は罪悪のため奴隷にされ、頬を打たれ、人々に追われて殺される。ハゲタカと犬と野獣が民の肉を食う。
  • ノア王の命は、熱い炉の中の衣ほどの値打ちもなくなる。そして、ノア王は、預言の主が神さまであることを知る。
  • 神さまは、この民をひどい苦難、飢饉、疫病で打ち、民は終日泣きわめく。
  • 神さまは、この民が重荷を負わされ、追い立てられるようにされる。
  • 神さまは、この民の中に雹を降らせて民を打たせる。民は東風にも悩まされる。昆虫が彼らの穀物を食い荒らす。
  • 神さまは、この民が悔い改めなければ、この民を滅ぼし、この民の記録を残して、この民の忌まわしい行いを他の国民に明らかにする。

アビナダイはこのほかにも、民の災いになる多くのことを伝えた。

※アビナダイは2年前には民の中で声をあげ、姿を消した。今回は、民の前だけではなく、王や祭司たちの前で、ひとりで、拒まれることや自分の命をも省みず、強い言葉で彼らの罪悪を明らかにした。

(1-8節)

アビナダイは民に捕らえられ王の前に連れ出される

ノア王の民は、自分たちのことを災いであると言い、悔い改めないと神さまがこの民を滅ぼすと警告を与えたアビナダイを怒り、捕らえて、王の前に連れて行った。

ノア王の民が、アビナダイが王について述べた、と証言したこと

  • ノア王の命は火の燃える炉の中の衣のようになる
  • ノア王は野の枯れた草のようになる
  • ノア王は、満開の時に風が吹けば吹き散らされるあざみの花のようになる
  • ノア王が罪悪を悔い改めないとこれらは起きる

民が王が正しいとして述べたこと

  • 王も民も、神さまから罪に定められ、アビナダイから裁かれるようなことはしていない
  • 王も民も罪はない(アビナダイの言葉は偽りであり、ありもしないこと)
  • 民は強いので奴隷になることも敵に捕らえられることもなく、これからも栄える

民はアビナダイを王の手に渡し、好きなようにしてよいと述べた

※民が守られ、栄えているのは、神さまの守りがあるからだが、ノア王も祭司も民もそれを認めていない。神さまが民が悔い改めるように誘いかけているが、かえって反発している。

(9-16節)

祭司たちがアビナダイを尋問する

ノア王はアビナダイを牢に入れ、祭司たちと協議して、アビナダイを罪に定めるために、祭司たちに尋問させ、矛盾したことを言わせようとした。
※後に、息子アルマとアミュレクを尋問したアモナイハの指導者と同じである。その時には、首謀者であったゼーズロムが改宗へと導かれることになった。

アビナダイは、尋問に対して、大胆に答え、祭司たちが驚くほどすべての問いを論破し、祭司たちを言い負かした。

祭司の中の一人が、自分たちではわからなかった聖句の解き明かしをアビナダイに尋ねる。
その聖句は先祖からの記録にあり、先祖から教わってきた言葉であった。

祭司たちは、民を教え導く立場にあり、預言の霊に通じていると主張しているが、たとえ自分たちは理解しているとしても、民に教えなかったので、神さまの道を曲げている、とアビナダイに叱責される。
また、心を注いで理解してこなかったので賢明ではない、と指摘される。

このあと(モーサヤ書15章で)、アビナダイは、祭司たちに、神さまの律法について解き明かしをしていく。

※心を注いで聖典の言葉を理解するためには、御霊の導きを受ける必要がる。御霊を受けるためには、聖くないといけない。祭司たちは清くなかったので、聖霊も受けず、導きも受けることがなかった。

(17-27節)

参照聖句
よきおとずれを伝える者の足
(イザヤ書52章)
7)よきおとずれを伝え、平和を告げ、よきおとずれを伝え、救を告げ、シオンにむかって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。
8)聞けよ、あなたの見張びとは声をあげて、共に喜び歌っている。彼らは目と目と相合わせて、主がシオンに帰られるのを見るからだ。
9)エルサレムの荒れすたれた所よ、声を放って共に歌え。主はその民を慰め、エルサレムをあがなわれたからだ。
10)主はその聖なるかいなを、もろもろの国びとの前にあらわされた。地のすべての果は、われわれの神の救を見る。

(ナホム書1章)
15)見よ、良きおとずれを伝える者の足は山の上にある。彼は平安を宣べている。ユダよ、あなたの祭を行い、あなたの誓願をはたせ。よこしまな者は重ねて、あなたに向かって攻めてこないからである。彼は全く断たれる。

アビナダイが祭司たちを叱責する

祭司たちが、民にモーセの律法を教えているというので、それならば、なぜ自分もその勤めを果たさないのか、と問いかける。

祭司たちは

  • モーセの律法を守らない
  • 富に執着している
  • みだらな行いをし、娼婦と過ごして精力を費やしている
  • 民に罪を犯させる

それで、神さまはこの民を悔い改めに導くためにアビナダイを遣わした

祭司たちは、アビナダイが真実を語っているのを知っている。
祭司たちは、神さまの前で偽りを言ったこと、罪悪を行ってきたことを認めなくてはならなくなること、罪悪のために打たれることを知っている、

※レーマン・レムエルとも同じで、人は自分が正しくないことを認めることは難しい。その難しさを正しい人を責めることで隠そうとしている。
(28-37節)

モーセの律法を守ることによって救いを得るのか

ノア王の祭司たちは、自分たちは守っていないモーセの律法によって救われると言っている。
アビナダイは、モーセの律法を守っていれば、つまり、神さまの教えに従っていれば救いを得る、と指摘した。しかし、自力で救いを得るとは言ってはいない。

この章の最後になるところで、モーセの十戒の二つをあげている。
神さまより優先するものをないこと、偶像を作ってはいけない、という戒めである。
アビナダイはノア王の祭司はこれらを守っていないと指摘している。つまり、ノア王の祭司たちは、様々な偶像を造り、神さまよりも優先していたということである。

※モーセの律法は、かたくななイスラエルが、救い主を待ち望むように備えさせるために与えられたものであり、常に神さまの教えを守り続けれるのであれば救いを得る。しかし、人は間違いを犯す者なので、そのままでは救いには至らない。また、どれほど正しいことをしても自力で救いを得ることはできないので、贖い主が必要であることを、アビナダイがモーサヤ書13章以降に説明している。
(31-37節)

ホセア書13章
4)わたしはエジプトの国を出てからこのかた、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はない。

おまけ

20代のころに書いたメモ

2年たって、アビナダイは姿を変えて民の間に現れ、予言する。

民の不正と災い。アビナダイは民を恐れない。

民は怒って、アビナダイを捕らえ、王の所へ引っ張っていく。
 自分たちに罪はない、と言う。悔い改めない。高慢
 強いので敵に破られることもなく、栄えていく、と言う。

王は祭司を熱め、アビナダイに尋問する。

アビナダイは勇ましく答え、祭司たちの問いに一々弁明し、一言一句みないい破った。
 主の道を曲げている、と告げる。
 律法の目的・・自由を得させる。開放する。導き、救う。
 祭司たちに、神の命令を守っていないし、教えていない、と告げる。

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ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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