モルモン書・モーサヤ書13章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書13章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書13章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・モーサヤ書13章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書13章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書のモーサヤ書13章では、アビナダイが告げる真理の言葉に心を刺されたために、ノア王や祭司たちは怒りが満ち、アビナダイを殺そうとするが、アビナダイは神さまの守りを受け、警告の言葉を続け、
モーセの律法(外形的な儀式のきまりごと)を守っていれば救われると言った祭司たちに対して、アビナダイは神さまの贖いがなければ救いはないこと、イスラエルの民にモーセの律法が与えられた理由を述べたことが記されている。

アビナダイはノア王と祭司たちに正しい道を曲げ、心を注いで神さまの真理を理解しようとせず、神さまの戒めを民にも教えず、自分たちも守らず、民に罪を犯させていると告げ、神さまの戒めを守ることで救いを得る、としてモーセの十戒を伸べ始めた。ノア王と祭司たちはこれらの戒めを守ってこなかったと告げたところ。

アビナダイの言葉にノア王たちの怒りが満ちる

ノア王はアビナダイの言葉を全く理解しようとせず、悔い改めることもなく、怒りを掻き立てられ、祭司たちに、アビナダイを殺すように命じた。

祭司たちはアビナダイを捕えようとしたところ、アビナダイは自分にふれると神さまに打たれると警告する。

アビナダイは、神さまに命じられたことを告げていないし、祭司の一人から出された質問に答えていないので、神さまが今アビナダイが滅びて使命を果たせないことは許されないからである、と告げる。

祭司たちはアビナダイの言葉を聞いて恐れ、アビナダイにふれようとはしなかった。

実際にアビナダイの上に神さまの御霊がとどまり、モーセがシナイ山で神さまに語ったときと同じように、アビナダイの顔は輝いていた。

アビナダイは神さまから受けた力と権能をもって語る。

アビナダイの言葉は真実なので悪人の心を刺し、彼らの心に不思議な思いと驚きと怒りが満ちる
(1-9節)

参照聖句
真理は悪人の心を刺す
(第一ニーファイ16章)
1)さて,わたしニーファイが兄たちに語り終えると,見よ,兄たちは,「おまえは我々が聞くに堪えないほど厳しいことを言った」とわたしに言った。
2)そこでわたしは兄たちに,真理に従い,悪人にとって厳しいことを言ったのはよく承知していると話した。わたしは義人を義とし,彼らが終わりの日に高く上げられることを証した。そのために,罪のある者は真理が胸の底まで刺し貫くので,真理を厳しいものと思うのである。

アビナダイは自分の命を省みず神さまの務めを果たす

アビナダイはノア王と祭司に神さまの言葉を告げた後、自分がどうなるかを知っている。

それでもアビナダイは神さまの命令を成し遂げるために、自分からノア王と祭司の前にやってきた。

神さまは、そうしようと思われたらアビナダイを守ることもできた。

神さまは、神さまの力を示し罪のない者の血は彼らを責める証拠とするために、悪人が義人を苦しめるのを許される。

ノア王と祭司がアビナダイに対してすることは将来の予型・影となる。

(3,5,7,9-10節)

参照聖句
義人が悪人から苦しめられる理由のひとつ
(第一ニーファイ18章)
11)そしてレーマンとレムエルは,わたしを捕らえて縄で縛り,情け容赦なくわたしを扱った。それでも主は,悪人たちについてかねてから言われていた御言葉を成就して,御自分の力を現すために,これをそのままにしておかれた。

(アルマ書14章)
10)するとアミュレクは,火で焼かれている女や子供たちの苦しみを見て自分も苦痛を感じ,アルマに向かって,「この痛ましい有様をどうして見ていられましょうか。わたしたちの手を伸べ,わたしたちの内にある神の力を行使して,彼らを炎から救い出しましょう」と言った。
11)しかし,アルマは彼に言った。「御霊が,手を伸べてはならないとわたしを制されます。まことに,主はこの人々を栄光のうちに御自分のみもとに受け入れられるからです。主は彼らがこのことを行うのを,すなわち人々が心のかたくななままにこの人々にこのことを行うのを黙認しておられます。それは,主が怒って彼らに下される罰が公正なものとなるためです。罪のない者の血は彼らを責める証拠となり,終わりの日に彼らを非難して激しく叫ぶことでしょう。」

アビナダイの預言の成就
(モーサヤ書17章)
15)「見よ,まことにあなたがたがわたしに行ったように,あなたがたの子孫も多くの人に,わたしが今受けている苦しみ,火あぶりの死の苦しみを与えるであろう。その人々が,主なる彼らの神の救いを信じているという理由でそうするのである。
16)そしてあなたがたは,自分の罪悪のために,あらゆる病気で苦しむであろう。
17)またあなたがたは,至る所で打たれ,野生の羊の群れが猛獣に追われるように,追われてあちらこちらに散らされるであろう。
18)その日にあなたがたは狩り出され,敵の手に捕らえられ,その後,わたしが今受けているように,火あぶりの死の苦しみを受けるであろう。
19)このようにして,神は御自分の民を滅ぼす者に報復をされる。おお,神よ,わたしの霊をお受けください。」

(アルマ書25章)
8)すると,この殉教を見て多くの同胞が怒りをかき立てられ,荒れ野で争いが起こった。そして,レーマン人がアミュロンと彼の仲間の子孫を狩り出して殺し始めたため,彼らは東の荒れ野に逃げ込んでしまった。
9)そして見よ,彼らは今でもレーマン人に追い回されている。このようにして,自分を焼き殺すように仕向けた祭司たちの子孫について,アビナダイの述べた言葉は成就した。

モーセの律法が与えられた理由

ノア王と祭司は人生の大半を罪悪を習い、教えることに費やしてきた。

ノア王と祭司はモーセの十戒を守るように民に教えてこなかった。

それで、神さまはアビナダイを遣わして、ノア王の民に災いを告げさせた。

にも拘わらず、祭司たちはモーセの律法を守れば救われると言い切る。
※モーセの律法とは日常の生活で行う、勤めと儀式の細かな決まりを指す。
アビナダイは、今はモーセの律法を守る必要があるが、将来、モーセの律法を守る必要のない時が来る、と告げる。

また、アビナダイは、救いは律法を守るだけで与えられるものではなく、神さまご自身の贖いの犠牲がなければ、民は滅びるしかないことを明確に述べた。

イスラエルの民は、強情で罪悪を行うのは早いが、神さまを思い起こすのは遅い民であったので、
神さまと、神さまに対する義務を日々思い起こさせるために、
日々守るものとして、日常の生活で行う勤めと儀式の細かな決まり(過越・燔祭・罪祭など)が与えられたのである。

日常の生活で行う勤めと儀式の細かな決まりは、将来起こることの予型であった。
イスラエルの民の大半は、心がかたくななために、律法の目的を理解したわけではなかった。
その意味を探求することもしなかった。
イスラエルの民の大半は、律法を守るだけでは救いを得ることができないこと、贖いがなければだれも救われないことを理解しなかった。
日常の生活で行う勤めと儀式の細かな決まりを行ってさえいれば、救われる、と考えていた。
(25-32節)

律法が予型し、将来起こることとは、世界が始まって以来のすべての預言者が述べ伝えたこと、つまり、
救い主がこの世に来られ、民を教え、模範となり、人々に虐げられ、苦しみを担い、人々の罪を贖うために犠牲になられること、その後に復活して、死者の復活をもたらされること、末の日までに起きることである。
参照聖句
厳格に守る必要
(ヨシュア記1章)
7)ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
律法の目的
(ガラテヤ人への手紙3章)
24)このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
律法の成就
(第三ニーファイ9章)
19)あなたがたは,もはや血を流すことをわたしへのささげ物としてはならない。あなたがたの犠牲と燔祭は取りやめなさい。わたしはこれから,あなたがたの犠牲と燔祭を受け入れないからである

(第三ニーファイ15章)
5)見よ,その律法を与えたのはこのわたしであり,わたしの民イスラエルと聖約した者はわたしである。律法はわたしによって成就している。わたしは律法を成就するために来たからである。したがって,律法は終わった。

すべての預言者が伝えた言葉

  • 神様が救い主として世に来られ、地の上で大きな奇跡をおこなわれる
  • 救い主が虐げられ、苦しめられ、自らを犠牲として世の罪の代価を支払われる
    贖い=人の不足を補い、人に力を与える
  • 死者の復活をもたらされる
  • 救い主のもとに来て、悔い改める人を救う
  • 神さまに背き反抗する人を罰する

(33-35節)

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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