モルモン書・モーサヤ書14章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書14章では、預言者アビナダイがノア王と祭司たちに、すべての預言者が救い主について教えていたことを示すために、イザヤ書53章を引用しています。
救い主として地に来られた時に、弱弱しく、人を引き付ける美しさもなく、蔑まれ、悲哀を知り、侮られ、尊ばれることはなかった。
人々の苦しみを担っていたのに、人々は神さまの罰を受けているとみていた。
どんなに苦しくても不平を言わず、悪を行うことはなかった。人々が救われるために、罪の贖いとして自らを犠牲にされたことが記されている。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書14章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のモーサヤ書14章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・モーサヤ書14章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書14章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書14章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

イザヤの言葉を信じたもの

誰がイザヤたち預言者の言葉を信じたか
神さまの「腕」は誰にあらわされたか。

父なる神さまは、人を愛し、救うために、子なる神さまを犠牲として捧げ、子なる神さまは人々を愛するゆえに進んで犠牲となられた。
(1節)

参照聖句
神さまは人を愛している
(ヨハネによる福音書3章)
16)神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
17)神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。

救い主の容姿

か弱い苗木
渇いた土から出る根
見目の良さもなく、華麗さもない
人が慕うような美しさもない
(2節)

救い主の生涯

人々から侮られ、捨てられ、悲しみ、悲哀を知っている
人々から顔を背けられ、侮られ、尊ばれない
人々の悲哀を負い、悲しみを担った。
人々はそれを神さまから罰を受けているととらえていた。
(3-4節)

参照聖句
悲哀を知る方
(ニーファイ第一書19章)
14)その預言者はまた言う。「彼らは心を背けて,イスラエルの聖者をさげすむので,肉にあってさまよい,滅びうせ,すべての国民の中であざけられ,笑いぐさとなり,憎まれる。」

(マタイによる福音書8章)
17)これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。

苦痛を負われる
(アルマ書7章)
11)そして神の御子は,あらゆる苦痛と苦難と試練を受けられる。これは,神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。
12)また神の御子は,御自分の民を束縛している死の縄目を解くために,御自身に死を受けられる。また神の御子は,肉において御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。

苦しみの理由

救い主が苦しんだのは、わたしたちの背きの罰・懲らしめをわたしたちのかわりにその身に受けるため。
わたしたちは、救い主が苦しまれたおかげで、癒されている。

わたしたちが自分勝手にふるまって罪悪を犯したのに
救い主はわたしたちすべての罪悪を背負ってくださった。

虐げられ、苦しめられても、不平もいわず、
声も出さずに、ほふり場にひかれていく。
(5-7節)

参照聖句
わたしたちの背きのために
(モーサヤ書15章)
9)また天に昇り,憐れみの心を持ち,人の子らを哀れむ思いに満たされており,人の子らと正義の間に立ち,死の縄目を断ち,人の子らの罪悪と背きを①身に負い,彼らを贖い,正義の要求を満たされる。

(アルマ書11章)
40)また,神の御子は御自分の民を贖うために,将来この世に来られ,御自分の御名を信じる人々の背きを負われる。これらの人々は永遠の命を得る人々であり,これ以外の人々に救いは与えられない。

わたしたちは癒される
(ペテロの第一の手紙2章)
24)さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
25)あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。

(マタイによる福音書9章)
36)また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。

従う者も罪を犯す
(ニーファイ第二書28章)
14)彼らは心を①かたくなにし,頭を高くする。そして,キリストに従う少数の謙遜な者たちを除いて,すべての者が,高慢と悪事と忌まわしい行いとみだらな行いのために②迷ってしまっている。しかし,キリストに従う少数の者たちも誘いを受け,人の訓戒によって教えられるので,度々過ちを犯す。
救い主のもとに行くなら
(アルマ書5章)
34)まことに,主は言われる。『わたしのもとに来なさい。あなたがたは命の木の実を食べるであろう。あなたがたは価なしに命のパンを食べ,命の水を飲むであろう。
口を開かない
(マルコによる福音書15章)
5)しかし、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった。

主はよみがえられた

救い主は、父なる神さまの御心を行い、罪を犯すことなく生涯を終え、よみがえって父なる神さまのもとに帰られた。

救い主は、自らの苦しみの代価で、自分を信じるものを罪から救い、彼らを強める。

参照聖句
罪がない方
(ヨハネによる福音書19章)
4)するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」
御子の子孫とは
(モーサヤ書15章)
10)さて,わたしはあなたがたに言うが,だれが御子の子孫であると名乗るであろうか。見よ,わたしはあなたがたに言う。御子は罪のためのささげ物にされると,御自分の①子孫を御覧になる。では,あなたがたは何と答えるか。御子の子孫とはだれか。
11)見よ,わたしはあなたがたに言う。預言者たち,まことに,主の来臨について預言してきたすべての聖なる預言者の言葉を聞いた人々,預言者たちの言葉を聴き,主が御自分の民を贖われることを信じ,自分たちの罪の赦しのためにその日を待ち望んできたすべての人,わたしはあなたがたに言うが,これらの人々が御子の子孫なのである。すなわち,彼らは神の王国を受け継ぐ者である。
12)これらの人々は,御子が罪を負ってくださる人々だからである。御子はこれらの人々を背きから贖おうとして,彼らのために死なれた。だから彼らは,御子の子孫ではないだろうか。
13)また,口を開いて預言し,戒めに背くことのなかったすべての預言者,すなわち世界が始まって以来のすべての聖なる預言者も,御子の子孫ではないだろうか。彼らは御子の子孫であると,わたしはあなたがたに言う。
わたしたちの罪を身に負う
(レビ記16章)
21)そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らなければならない。
22)こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう。すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。

(ペテロ第一の手紙3章)
18)キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。

(教義の聖約19章)
16)見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。
17)しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであろう

御子の犠牲のゆえに
(ニーファイ第二書2章)
9)したがって,メシヤは神にとって初穂となられるので,すべての人の子らのために執り成しをしてくださる。だから,メシヤを信じる者は救われるのである。

(モーサヤ書15章)
8)こうして,神は死の縄目を断って死に対して②勝利を得,人の子らのために執り成しをする力を御子に授けられる。

(モロナイ書7章)
27)さて,わたしの愛する同胞よ,キリストは,人の子らに対して持っておられる御自分の憐れみの権利を御父に求めるために,天に昇って神の右の座に着かれたので,奇跡がやんでしまったのであろうか。
28)キリストは律法の目的を達せられた。そして,キリストを信じるすべての者を,御自分に属するものと主張しておられる。また,キリストを信じる者は一切の善いものを固く守るので,キリストは人の子らを弁護してくださる。そして,キリストは永遠に天に住まわれるのである。

まとめ

救い主は、わたしたちの弱さを担い、罪を贖うために、すべての苦しみを受けられた

神さまとわたしたちを愛しておられたので、その業をまっとうされた

理解されず、寝る間もなく、ひとりになる時間も取れず

ただ人々のために、優しさを示し、教え導き癒された

おまけ

20代のころに書いたメモ

イザヤの予言
 キリストの使命、地上に於けるキリスト
 紀元前700年に確かにキリストの使命が理解されていた。

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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