モルモン書・モーサヤ書15章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書15章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書15章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。


モルモン書・モーサヤ書15章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書15章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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モルモン書・モーサヤ書15章では、預言者アビナダイが神さまの戒めに背き、罪悪を犯すようになったノア王と祭司、そして民に悔い改めを告げ、救い主を証しすることが記されている。
神さまの御子は、わたしたちに神さまを見せてくださること、神さまの御子は、わたしたちを導き、教えに従うわたしたちを罪から救ってくださることを、アビナダイははっきりと証ししている。

神さまの御子が人の中に降られ、わたしたちを贖われる

神さまの御子は父なる神さまの力を持っている
神さまの御子は父なる神さまの力によって肉体に宿られる
それゆえに神さまのひとり子であられる

神さまの御子は父なる神さまの御心に従われる
神さまの御子は父なる神さまと同じ心を持っておられる

神さまの御子は父なる神さまとわたしたちとの間に立ち、
神さまの代理人として、神さまとわたしたちの仲保者となられる

神さまの御子は誘惑を受けても拒み
ご自分の民からあざけられ、鞭うたれ、追い出され、拒まれる

苦しみに不平を言わず、わたしたちの罪の重荷を背負われ
血を流すほどの苦しみを味わいながら人に愛を示された。

神さまと神さまの御子は、わたしたちに対する憐れみの思いで満ちていて
わたしたちと正義の要求の間に立って、とりなしをしてくださる。

ご自分が背負われた痛みを代価として、わたしたちの罪悪と背きの赦しを願われる。

こうして、神さまの御子は死の縄目を断ち切り、
わたしたちを罪から救い出される。

神さまの御子は、わたしたちに神さまを見せてくださる
神さまの御子は、わたしたちを導き、教えに従うわたしたちを罪から救ってくださる

神さまの独り子がこの世に来られ、
みずからを贖いの犠牲として捧げ、
わたしたちが天に戻れる道を備えられた

肉体を持つゆえの苦しみを味わい

神さまの霊を持つものの
強さと優しさですべての誘惑を
断ち切られた

神さまの業は偉大で
その愛は計り知れない

(1-9節)

誰が御子の子孫となるか

救い主である神さまの御子について預言し、戒めに忠実であった預言者

預言の言葉を信じ、救いを得ることを待ち望んだすべての人

福音は最初にアダムに与えられ、その子孫に伝わった。

神の御子は世から絶たれたが、御子の教えに従う人を子とされる。

御子はご自身の命の犠牲によりご自分に従う者の罪を贖い、命を与える。

また、

救い主のことを知らずに世を去り、次の世で救い主に従った人

幼い時にこの世を去った子どもたち

彼らも御子の犠牲により救いを得る人たちである。

彼らは神さまの御子に従うことで贖われるので、御子の子孫となる。

彼らは第一の復活と永遠の命にあずかる。

救い主の贖いを受ける人は
贖いによって買い取られたので
その名を受け
救い主の子孫となる

信じ従うだけで

これ以上に大きな祝福
喜びはあるだろうか

キリストの贖いにより
すべての人は死後に復活する

神さまのみもとに戻り
2度と失われることのない肉体を得る

永遠の命とは
神さまと共に住み
完全な幸福を得ることである

これには条件があり
キリストの福音を知って
それに従う意思を持っている
ことである

(10-25節)

山の上にあって麗しい足

福音を伝えるために歩く足
福音を携えていく人たち

足はその人を連れてくるために働く。
足が麗しいとは、よきおとずれを携えて来る使者が麗しいということである。

彼らは麗しい

山の上にあって麗しい足

神さまの国、主の宮居にあって、その足は麗しい。

足は身体の1番下で身体を支え
足は砂ぼこりの道も草原も海岸も山道も道なき道も進むために働く

家の中も会堂の中もどこであろうと忙しく動く

しかし、普段はその働きに感謝されることはない

救い主は世の罪を贖うために十字架にかかられた。
そのとき、手と足にくぎが打ち込まれた。

救い主の足には、手やわき腹と同様に、
人に不死不滅と永遠の生命を与えるための傷跡がある。

救い主の足の傷跡は、わたしたちへの愛の証。

(15-17節)

神さまに背いたまま死ぬ人たちは

神さまに背いていることを知りながら、悔い改めず、最後まで神さまに反抗する人たちは、救い主の贖いの力でよみがえって不死とはなるが、罪の赦しは受けず、救いを得ることはできない。

神さまは正義の要求を拒むことはできないのである。

キリストの福音を知らないために
それに従うことができなかった人たちは

もし生きているうちに
福音を知っていたら
従っていたかどうかが問われる

つまり
知ることのできた善に
従って生きていたか

誘惑に屈して生きていたか

贖いを受け入れて
変わることを望むか

が問われることになる

(26-27節)

参照聖句
罪の中で死ぬもの
(エゼキエル書18章)
26)義人がその義を離れて悪を行い、そのために死ぬならば、彼は自分の行った悪のために死ぬのである。

(ニーファイ第一書15章)
32)そこでわたしは,それは現世のことにも霊的なことにもかかわることを表していると言った。それは,兄たちが自分のなした行い,すなわち,試しの生涯において肉体をもってなした行いによって裁かれなければならない日が,必ず来るからである。
33)したがって,もし彼らが邪悪なままで死ぬならば,彼らは義にかかわる霊的なことからも捨てられなければならない。したがって,彼らは自分の行いについて裁きを受けるために,神の前に引き出されなければならない。そして,もし彼らの行いが汚れているならば,彼らは必ず汚れているに違いない。もし彼らが汚れているならば,決して神の王国に住むことはできない。もし彼らが住めるとしたら,神の王国もまた汚れているに違いない。

(モロナイ書10章)
26)これらのものを絶やして死ぬ者たちは災いである。彼らは罪のうちに死ぬので,神の王国に救われることはあり得ないからである。わたしはこのことを,キリストの言葉のとおりに告げる。わたしは偽りを言わない。

第一の復活にあずかれない者
(教義と聖約76章)
81)さらにまた,わたしたちは星の栄えの世界の栄光を見た。その栄光は,星の栄光が大空の月の栄光と違っているように,さらに劣った世界の栄光である。
82)これらは,キリストの福音を受け入れず,イエスの証も受け入れなかった者である。
83)これらは,聖なる御霊を否定しない者である。
84)これらは,地獄に落とされる者である。
85)これらは,最後の復活まで,主すなわち小羊なるキリストがその業を終えられるまで,悪魔から贖われない者である。
86)これらは,永遠の世界において主の完全を受けないが,月の栄えの者の働きによって聖なる御霊を受ける者である。
正義
(アルマ書34章)
15)このように神の御子は,その御名を信じるすべての人に救いをもたらされる。この最後の犠牲の目的は,憐れみの心を成し遂げることであり,この憐れみは正義に打ち勝ち,また人々が悔い改めを生じる信仰を持てるようにするその道を設けるのである。
16)このように,憐れみは正義の要求を満たし,これらの人々を腕に包み込んで保護する。一方,悔い改めを生じる信仰を少しも働かせない人は,正義を要求するすべての律法にこたえなければならない。したがって,偉大な永遠の贖いの計画は,悔い改めを生じる信仰のある人のためにだけ備えられている。

(アルマ書42章)
1)「さて,わが子よ,今あなたの心を悩ましている,あなたの理解できないことがほかにも多少あることを,わたしは知っている。それは罪人を罰する神の公正についてである。あなたは罪人が不幸な状態に置かれるのは不当であると思っている。

すべての国民が福音を知るときがくる

アビナダイから見た将来の時に、救い主のことが広く知られ、救いの業があらゆる人に告げ知らされる。

民の守り手は、シオンが回復されることを自分の目で見るでしょう。

救い主はご自分の民、ご自分が救い出された民を集めて贖いをされます。

あらゆる国民が、神さまの力を見る。
(28-31節)

参照聖句
見守る
(エゼキエル書3章)
17)「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家のために見守る者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞くたびに、わたしに代って彼らを戒めなさい。
18)わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたは彼の命を救うために彼を戒めず、また悪人を戒めて、その悪い道から離れるように語らないなら、その悪人は自分の悪のために死ぬ。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。
19)しかし、もしあなたが悪人を戒めても、彼がその悪をも、またその悪い道をも離れないなら、彼はその悪のために死ぬ。しかしあなたは自分の命を救う。
20)また義人がその義にそむき、不義を行うなら、わたしは彼の前に、つまずきを置き、彼は死ぬ。あなたが彼を戒めなかったゆえ、彼はその罪のために死に、その行った義は覚えられない。しかしその血をわたしはあなたの手から求める。
21)けれども、もしあなたが義人を戒めて、罪を犯さないように語り、そして彼が罪を犯さないなら、彼は戒めを受けいれたゆえに、その命を保ち、あなたは自分の命を救う」。

(エゼキエル書33章)
7)それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。
8)わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。
9)しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。

(アルマ書6章)
1)さて,アルマはゼラヘムラの町に設けられた教会の人々に語り終えると,神の位に従って,按手により,教会を管理し見守る祭司たちと③長老たちを聖任した。

(教義と聖約101章)
43)さて,あなたがたがシオンの贖いについて,わたしの思いを知ることができるように,一つのたとえを示そう。
44)ある身分の高い人が,特別な良い土地を一か所持っていた。そして,彼は僕たちに言った。「おまえたちはわたしの果樹園,すなわちこの特別な良い土地へ行って,十二本のオリーブの木を植えなさい。
45)そして,それらの周りに見張り人たちを置き,また一つの見張り台を築いて,その台の上で見張り人となる者が周りの土地を見渡せるようにしなさい。このようにして,敵がやって来て,わたしの果樹園の実を奪って自分のものにしようとするときに,わたしのオリーブの木が折り倒されることのないようにしなさい。」
46)さて,その身分の高い人の僕たちは行って,主人が命じたように行い,オリーブの木を植え,一つの垣を巡らし,見張り人たちを置き,また一つの見張り台を築き始めた。
47)そして,まだその土台を据えていたときに,彼らは仲間内で,「わたしの主人に,なぜこの見張り台が必要なのか」と言い始めた。
48)そして,久しく相談し,仲間内で言った。「今は平和な時であるのに,主人に,なぜこの見張り台が必要なのか。
49)この金を銀行に預けてはどうだろう。このようなことは必要がないのだから。」
50)彼らは互いに意見の合わないうちに,非常に怠惰になった。そして,その主人の命令に聞き従わなかった。
51)すると,夜に敵がやって来て,垣を壊した。そこで,身分の高い人の僕たちは起き出し,驚いて逃げた。そこで,敵は彼らの造ったものを壊し,オリーブの木を折り倒した。
52)さて見よ,身分の高い人,すなわちその果樹園の主人は僕たちのところにやって来て,彼らに言った。「どうしたことだ。この大きな災いの原因は何だ。
53)おまえたちはわたしが命じたとおりに行うべきではなかったか。おまえたちは果樹園で植え付けをし,垣を巡らし,その防壁の上に見張り人を置いた後,敵から襲われることのないように見張り台も築いて,その見張り台の上に見張り人を置き,わたしの果樹園を見張って寝入らないようにすべきではなかったのか。
54)そうすれば,見よ,敵がまだ遠くにいる間に,見張り台の上の見張り人は敵に気づいたことだろう。そして,おまえたちは備えをして,敵がその垣を壊すのを防ぎ,滅ぼす者の手からわたしの果樹園を救うことができたであろうに。」
55)果樹園の主人は僕の一人に言った。「僕たちの残りを集めて,とどまるようにわたしが命じた者たちを除くわたしの家の勇士全員,すなわち,わたしの戦士たち,わたしの家の勇士であるすべての僕たちの中の若者たちと中年の者たちを率いて行きなさい。
56)そして,すぐにわたしの果樹園の地へ行き,果樹園を取り戻しなさい。それはわたしのものだからだ。わたしはそれを金で買ったのだ。
57)それであるから,すぐにわたしの土地へ行き,敵の防壁を取り壊し,彼らの見張り台を崩して見張り人を追い散らしなさい。
58)敵が反抗して集まるならば,彼らに①報復し,わたしがやがてわたしの家の残りの者とともに行ってその土地を所有できるようにしなさい。」

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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