モルモン書・モーサヤ書19章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書19章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書19章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・モーサヤ書19章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書19章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書19章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

モルモン書・モーサヤ書19章では、ノア王と祭司が焼き殺してしまったアビナダイの預言が成就し始めるところが描かれています。
民の中に争いが起こり、レーマン人に攻められ、ノア王は火あぶりになり、民はレーマン人の奴隷となって、自分たちの持ち物の半分を毎年レーマン人の王に貢ぐことになりました。

アビナダイの預言が成就し始める

ノア王の軍勢の人数が減り、民の中に分裂が生じ、ひどい争いが起こった。

屈強でノア王を敵としていたギデオンはノア王を殺す誓いを立て、王と戦った。

ノア王は打ち負かされそうになったが、逃げるために塔にのぼったところ、レーマン人が攻めてくるのが見えた。
ノア王は、それを理由に、ギデオンに命乞いをし、ギデオンはノア王の命を助けた。

※ギデオンは、逃げるにせよ、戦うにせよ、統率を取るために、王を生かしておいた方がよいと考えたのだろう。

ノア王は民の先頭に立って逃げたが、レーマン人に追いつかれて、民を殺し始めた。

ノア王は足手まといになると考えて、妻子を捨てて逃げるように命じた。

妻子を捨てるぐらいなら、一緒に死んだ方がよいと考えた人たちは、レーマン人に命乞いをし、レーマン人の捕虜となった。
その中にギデオンがおり、彼はひそかに人々を荒野に遣わして、逃げたノア王たちを捜させた。

ノア王と一緒に逃げた人たちは、妻子を置いてきたことを悔いて、戻ってレーマン人と戦おうとしていた。
しかし、ノア王が帰らないように命じたので、民は怒って、ノア王を焼き殺した。

民は、祭司たちも捕らえて殺そうとしたが、祭司たちは逃げてしまった。

※ノア王は最後まで自分のことしか考えていない。
生きて火で焼かれ、死後も火で焼かれることになるだろう

レーマン人の捕虜となる

ノア王の民は、レーマン人の捕虜となり、いくつかの条件により、引き続き、ニーファイの地に住むことが許された。

その条件は、

  • ノア王をレーマン人の手に渡す
  • 民が所有するものの半分、貴重な品々の半分を毎年レーマン人に渡す

であった

ノア王の息子リムハイは正しい人であり、父ノア王の罪悪を知っていた。
リムハイは民から王位を与えられ、レーマン人の王に、毎年貢物を送ると誓った。
リムハイは平和を確立するよう働き、2年間平和を保った。

レーマン人の王は、リムハイの民を殺さないと誓った。
レーマン人の王は、リムハイの民の貢物の一部で、リムハイの民を見張る兵を配置した。


※ノア王の民(代がかわってリムハイ王の民になった)は毎年、持ち物の半分をレーマン人の王に差し出す、という重税に苦しむことになった。
この苦しみから逃れようと足掻きはするが、よけいに苦しみを増すだけのことになったことは後に明らかになる。

エルサレムを出てからゼラヘムラに集合するまで

リーハイたちがエルサレムから逃げ出し、約束の地に着き、兄たちと別れ、ニーファイの地から逃げ、ゼラヘムラにたどり着き、ゼニフたちがニーファイの地に戻り、アルマたちがその地を去り、・・・というところをパワーポイントの図にしてみましたが、ごちゃごちゃしすぎなので動画にしてみました。
リーハイたちが最初についたところの名称はいまのところわたしには分からない。

ゼラヘムラに集合するまで

ゼラヘムラに集合するまで

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モルモン書・モーサヤ書19章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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