モルモン書・モーサヤ書20章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書20章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書20章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

ー 広告 ー

モルモン書・モーサヤ書20章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書20章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書20章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

モルモン書・モーサヤ書20章は、荒野へ逃れたノア王の祭司たちがレーマン人の娘をさらい、それをリムハイの民がやったと思ったレーマン人たちがリムハイの民を攻めることになった、という記録である。

ノア王の祭司たちレーマン人の娘をさらう

ノア王の祭司たちは、レーマン人が襲ってきたときに、ノア王や民と一緒に逃げた。
レーマン人に追いつかれて民が殺され始めた時、王が妻子を捨てて逃げるように命じた。
それに従った民が妻子を案じて戻ろうとしたときに、王はそれを禁じた。
民は怒って王を焼き殺した。その時に祭司たちは逃げていった。

ノア王の祭司たちは、殺されることを恐れて、ニーファイの町にいる妻子たちのところに帰る勇気がなかった。

ノア王の祭司たちは、荒野をさまよっていた時に、レーマン人の娘たちを見つけた。
レーマン人の娘たちは集まって歌ったり踊ったりしていた。

ノア王の祭司たちは身を伏せて娘たちを見ていた。

集まった娘が少ないときに、ノア王の祭司たちは彼女たち24人を連れ去った。

レーマン人は怒ってリムハイの民を攻める

自分たちの娘がいなくなったことを知ったレーマン人は、リムハイの民の仕業だと思い、リムハイの民を怒って、王自身が軍隊を率いてニーファイの地へ向かった。

リムハイの民は、レーマン人の半数にも満たなかったが、自分たちの命と妻子のために、力を尽くして戦った。

リムハイの民は、負傷して置き去りにされたレーマン人の王を助け、誓いを破って自分たちを攻めた理由を尋ねた。

レーマン人の王は、リムハイの民が自分たちの娘をさらったからだと言い、リムハイ王は自分の民を調べようとする。

ギデオン(かつてノア王を敵とし、今はリムハイ王の軍隊の長)は、リムハイ王に、民の責任としないように、きっとノア王の祭司がやったのだと告げる。

ギデオンは、民の中で犯人を捜せば、民の責任となり、誰かが殺されないと収まらなくなる。レーマン人と戦えば多くの死者が出て我々、リムハイの民は滅びる。
アビナダイの預言は、わたしたちの罪悪のために、すべて成就している。命を失うよりも、奴隷の状態にあるほうがましだと告げる。

リムハイ王はレーマン人の王に説明し、レーマン人の王は、武器を持たずに、あらためて攻めてきたレーマン人の軍隊の前に伏して、リムハイの民のためにとりなしをした。

レーマン人は、リムハイの民が武器を持っていないのを見て、哀れに思い、心を和らげ、安らかにレーマン人の王とともに帰っていった。


※ノア王の祭司は、荒野へ逃れた後も、いろいろとニーファイ人に被害をもたらすことになる。

※このあと、ノア王の祭司たちは、レーマン人と交わりを持つ。、
※このときまでは、レーマン人はニーファイ人を滅ぼすためにできる限りのことをしていたが、
※ノア王の祭司たちは、レーマン人に神さまの福音以外の色々なことを教え、レーマン人がニーファイ人と交わるきっかけを作ったのである。

参照聖句
レーマン人はニーファイ人を憎む
(モーサヤ書10章)
17)このようにして,彼ら(レーマン人)は子供たちに,ニーファイの子孫を憎むように,また彼らを殺すように,彼らから盗み,略奪し,彼らを滅ぼすためにできるかぎりのことをするように教えた。そのためにレーマン人は,ニーファイの子孫に対して,尽きることのない憎しみを抱いている

ー 広告 ー

モルモン書・モーサヤ書20章からあなたは何を学びますか



当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。
ー 広告 ー

ー 広告 ー
NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!

聖典からの教訓(モルモン書)の最新記事8件