モルモン書・モーサヤ書18章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書18章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書18章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。


モルモン書・モーサヤ書18章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書18章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
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モルモン書・モーサヤ書18章には、アビナダイの言葉に改心したアルマが、ノア王とノア王の祭司の手から逃れ、ひそかにノア王の民に福音を伝え、神さまと聖約を交わした証拠としてバプテスマを施し、教会を設立し、450人の人とともに荒野へと逃れたことが記されています。
アルマは、ノア王の祭司の時とは真逆のことを民に教え、アビナダイが伝えた時には耳を貸さなかった人々も悔い改めて、アルマの説くままに、救い主を信じ、固い決意をもって互いに助け合うようになりました。

アルマは悔い改めて救い主の福音を述べる

アルマは、ノア王の祭司時代の罪と不義を悔い改め、
ノア王に知られることの無いように、ひそかに民に間を巡り、
自分の言葉を聞こうとする人たちすべてに、
アビナダイの言葉(将来起きる事柄、死者の復活、キリストの贖い(誕生、十字架上の死、復活、昇天))を教えた。

多くの人が信じた。

※アビナダイの証はアルマに引き継がれ、多くの人が信じて悔い改めた。
※アビナダイが民に語ったときは信じなかったが、アビナダイが王と祭司の前で力強く、死に至るまで語り、アルマがその言葉を伝えたことで、民も悔い改めるようになったのである。

(1-3節)

信じた人たちは神さまと聖約を交わした

アルマの言葉を信じた人たちは、

  • モルモンと呼ばれる地の泉に集まり、
  • 神さまと聖約を交わし、
  • その証拠としてバプテスマを受けた。

民は、

  • 神さまの教会に入ること、
  • 神さまの民と呼ばれること、
  • 互いの重荷を負いあうこと、
  • 悲しむ者とともに悲しみ、
  • 慰めを必要としている者を慰め、
  • 神さまに贖われて、第一の復活にあずかり、
  • 永遠の命を得られるように、
    いつでも、どのようなことについても、どこでも、死に至るまでも、神さまの証人になることを「心から」望んでいた。

聖約=誓約=神さまとの契約

  • 彼らは救い主に仕えて救い主の戒めを守る。
  • 彼らは救い主から豊かに御霊を注いでいただく。
  • 神さまと契約を交わした証拠としてバプテスマを受けた。

バプテスマを受けた人たちは、神さまの恵みに満たされた。

救い主の贖いは、世の初めから備えられている。
(4-16)

参照聖句
アルマが伝えた言葉
(アルマ書5章)
11)見よ,わたしはあなたがたに告げることができる。父アルマは,アビナダイの口から告げられた御言葉を信じなかったか。アビナダイは聖なる預言者ではなかったか。彼は神の御言葉を語らなかったか。父アルマはそれを信じなかったか。
12)父は信じたので,心の中に大きな変化が生じた。見よ,わたしはあなたがたに言う。このことはすべて真実である。
13)そして見よ,父はあなたがたの先祖に御言葉を宣べ伝え,彼らの心の中にも大きな変化が生じた。そして,彼らはへりくだり,まことの生ける神に信頼を寄せた。そして見よ,彼らは最後まで忠実であったので,救われたのである。

第一の復活
(モーサヤ15章)
22)さて,すべての預言者と,預言者たちの言葉を信じた人々,すなわち神の戒めを守ったすべての人の復活は,最初の復活の時にある。したがって,その復活は第一の復活である。
23)彼らはよみがえって,彼らを贖ってくださった神とともに住む。このようにして彼らは,死の縄目を断ってくださったキリストによって,永遠の命を得るのである。
24)彼らは,第一の復活にあずかる人々である。また,これらの人々こそ,救いのことを告げ知らされなかったために無知のままで,キリストが来られる前に死んだ人々である。主はこれらの人々に回復をもたらされる。そして彼らは,主に贖われて第一の復活にあずかり,永遠の命を得る。
25)また,幼い子供たちも永遠の命を得る。
世の初めから備えられている
(モーセ書5章)
9)その日,御父と御子のことを証する聖霊がアダムに降り,そして言った。『わたしは初めから,また今から後とこしえに,父の独り子である。あなたは堕落したので,贖いを受けることができる。全人類,まことにそれを望むすべての者も同様である。』

アルマは権能を受けていた

バプテスマを施す際に、アルマの祈りに応えて、アルマが聖い心でバプテスマを施せるように、救い主はアルマに聖霊を送ってくださった。
※御霊は清め、平安

アルマはバプテスマを施す権能を受けていた。

※アルマはニーファイの子孫であり、神さまがリーハイ、ニーファイに授けられた神権を継承していたものと思われる。
※ニーファイは二人の弟ヤコブとヨセフを祭司と教師に聖任している。

アルマは祭司たちを聖任する権能を受けていた。
アルマは、50人ごとに1人の祭司を聖任して、アルマが彼らに教え、彼らが民に神さまの王国(教会)にかかわることについて教えられるようにした。
(12-18節)

参照聖句
御霊の賜物
(モロナイ書10章)
8)さらに,わたしは同胞であるあなたがたに,神の賜物は多いので,これらの賜物を否定しないように勧める。これらの賜物は同じ神から出る。これらの賜物の与えられ方は様々であるが,すべての人の中ですべての働きをされるのは同じ神である。これらの賜物は人を益するために,神の御霊の現れによって人に授けられるのである。
権能を受ける
(アルマ書13章)
3)そして,祭司たちが聖任された次第は次のとおりである。すなわち,祭司たちは彼らの非常に深い信仰と善い行いのために,神の先見の明によって世の初めから召され,備えられていた。彼らは初めに善を選ぶのも悪を選ぶのも任されていた。そこで彼らは,善を選んで,非常に深い信仰を働かせたので,現在,聖なる召しを受けている。まことに,このような者のために前もって用意された贖いとともに備えられ,また贖いに応じて備えられた,その聖なる召しを受けている。
6)このように,祭司たちは人の子らに神の戒めを教えて,彼らも神の安息に入ることができるようにするため,この聖なる召しによって召され,神の聖なる位の大神権に聖任されたのである。

アルマが祭司に指示した

アルマは祭司たちに以下のことを指示した。、

  • アルマが教えたこと(アビナダイが教えたこと)と、聖なる預言者たちの口を通して述べられたことだけを教える。
    ※アビナダイもそうであるが、聖なる預言者たちの口を通して述べられた神さまの御言葉(聖文)を持っていた、ということ。
  • 悔い改めと、贖い主・救い主を信じる信仰だけを説く。
  • 互いに争わない、互いに一致し、愛し合い、心を結び、一つの信仰と一つのバプテスマをもって、一つの目で将来を見つめる。
  • 安息日を守って聖なる日として保つ。
  • 毎日、主なる自分たちの神さまに感謝する。
  • 人々を教え、救い主である神さまを礼拝するために、週の一日を定め、ほかにもできる限りしばしば集まる。
  • 自分自身の手をつかって生活の糧を得る。
    • 自分の労働に対する神さまの恵みを受けるため。
    • 御霊を受けて強められ、神さまの知識を得られるようにするため。
    • 神さまからの力と権能をもって教えることができるようにするため。

こうして、人々は神さまの子となった。
(19-26節)

参照聖句
悔い改めを告げる
(教義と聖約15章)
6)さて見よ,わたしはあなたに言う。あなたにとって最も価値のあることは,この民に悔い改めを告げて人々をわたしのもとに導き,わたしの父の王国で彼らとともに安息を得られるようにすることである。アーメン。
ひとつの目で見つめる
(教義と聖約88章)
67)また,あなたがたがわたしの栄光にひたすら目を向けるならば,あなたがたの全身は光に満たされ,あなたがたの中に暗さがないであろう。そして,光に満たされるその体はすべてのことを悟る。
68)それゆえ,あなたがたの思いがひたすら神に向いたものとなるように,自らを聖めなさい。そうすれば,あなたがたが神を見る日が来る。神はあなたがたにその顔を現すからである。それは神自身の時に,神自身の方法で,神自身の思いに従って起こる。
安息日を聖なる日とする
(教義と聖約59章)
9)また,あなたは,世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために,わたしの聖日に祈りの家に行って,聖式をささげなければならない。
10)まことに,この日は,あなたがたの労苦を解かれて休み,いと高き方に礼拝をささげるように定められた日だからである。
11)それでも,あなたの誓言は,毎日,また常に,義をもってささげなければならない。
自分の手で働く
(使徒行伝20章)
33)わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。
34)あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。
35)わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
恵み
(聖句ガイド)
信仰を実践し,悔い改め,全力を尽くして戒めを守る人に神から授けられる力。この力によって,人はこの世で数々の祝福を受け,永遠の命と昇栄を授かることができる。このような神聖な助けや力は,神の憐れみと愛を通して授けられる。アダムの堕落と,人間としての弱さのゆえに,人は皆,神の恵みを必要としている

アルマが民に指示したこと

アルマが民に、教会の人々は、自分の自由意思と神さまにかかわる良い望みから、各々自分の持っている分に応じて持ち物を分かち合うように指示した。

民は、各々の必要と入用に応じて、物質的にも霊的にも互いに助け合い、神さまの前をまっすぐに歩んだ。

※これは、モーセがイスラエルの民に教えたことである。
※イスラエルの民は、知っていながら、貧しいものを虐げた。
※それで、神さまの怒りを引き起こした。

(27-29節)

参照聖句
互いに助け合う
(申命記15章)
11)貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない』。

(箴言28章)
27)貧しい者に施す者は物に不足しない、目をおおって見ない人は多くののろいをうける。

(イザヤ書58章6-7)
6)わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
7)また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。

(マタイによる福音書25章
35)あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
36)裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
37)そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
38)いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
39)また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
40)すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。

神さまの前をまっすぐに歩む
(申命記15章)
20)これは彼らがわたしの定めに歩み、わたしのおきてを守って行い、そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。
21)しかしいとうべきもの、憎むべきものをその心に慕って歩む者には、彼らの行いに従ってそのこうべに報いると、主なる神は言われる」

ノア王に追われる

アルマの民は、モルモンの泉に近い森の中で祝福を受けていた。

ノア王が彼らが集まっていることを知り、アルマが民を扇動して、謀反を起こそうとしている、と言って、彼らを滅ぼすために軍隊を派遣した。
アルマとその民は、知らせを受けて、天幕を持ち、家族をつれて荒野へと旅立った。

まとめ

アルマの伝えた言葉を信じ、集まった民に、救い主への信仰と悔い改めを教えたのち

アルマはバプテスマによる契約・聖約を提案する。

まさにそれを望んでいた民は、神さまと隣人に対する責任を喜んで受け入れ

集まった全員が順にバプテスマを受けた。

モルモン書・モーサヤ書18章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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