こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書26章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書26章の要約と感想
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教会から離れる人が増加した
BC200年~187年ごろ:ゼラヘムラの民からゼニフの民(のちのノア王・リムハイ王の民)が分かれる。
BC148年ごろ:ノア王とノア王の民に預言を伝えたアビナダイが火あぶりにされる。
BC145年ごろ:アルマの民がノア王の民から分かれ荒野へ逃げる。
BC124年ごろ:ベニヤミン王の説教で、ゼラヘムラの民は誓約を交わし、キリストの御名を引き受けた。
BC121年ごろ:リムハイの民は、ベニヤミン王の説教を聞いた。
BC120年ごろ:リムハイの民とアルマの民がゼラヘムラに戻る。
BC120年ごろ:アルマがゼラヘムラの地に教会を設立。リムハイの民にバプテスマを施す。
※アルマの民は、ゼラヘムラに戻ってから、ベニヤミン王の説教を聞いたと思われる。
BC120年~BC100年ごろ:
ベニヤミン王の説教を聞いたときには理解できないほど幼くて、神さまと聖約を交わさず、キリストの御名を引き受けずに大きくなり、自分たちの先祖の言い伝えを信じない人が徐々に大勢になった。
彼らは、死者の復活もキリストの来臨も信じない。不信仰のために神さまの言葉を理解できない。こころはかたくなでバプテスマも受けようとせず、教会にも加わろうとしない。
彼らは、信仰に関してはまったく違った民になる。肉欲にふける罪深い状態にとどまり、神さまに請い願うこともしない。
教会の兄弟たちの不和のために、このような人がゼラヘムラの民(ニーファイ人)の半数を超えた。
※ノア王もノア王の民もベニヤミン王の説教を聞いていていなかった。
そのためかどうかはわからないが、この時代の不信者のようになっていた。
いつの時代も、人は誘惑に負けるのは早く、神さまを思い起こすのは遅い。
(1-5節)
- モーサヤ1世王の時代にゼニフの民が分かれる
- (モーサヤ書9章)
おおよそBC200年-187年
6)王のもとに行くと,王はわたしにリーハイ・ニーファイの地とシャイロムの地を所有してもよいと誓約してくれた。
- ベニヤミン王の民が神さまと聖約を交わす
- (モーサヤ書6章)
BC124年ごろ
1)さて,ベニヤミン王は民に語り終えると,神の戒めを守るという聖約を神と交わしたすべての人の名を書き留めておく方がよいと思った。
2)そこで民は,幼い子供を除いて一人残らず聖約を交わし,キリストの名を受けた。
4)そして,モーサヤが父に代わって統治を始めた。モーサヤが統治を始めたのは三十歳の年であり,リーハイがエルサレムを去ってからおよそ四百七十六年後のことになる。
- リムハイ王の民はベニヤミン王の説教を教えてもらう
- (モーサヤ書8章)
BC121年ごろ
3)そこでアンモンはリムハイ王の民に,ベニヤミン王がゼラヘムラの民に教えた最後の言葉についても詳しく語り,またリムハイ王の民がベニヤミン王の語った言葉をすべて理解できるように,その言葉を解説した。
- アルマが教会を設立
- (モーサヤ書25章)
BC120年ごろ
19)さて,モーサヤ王はゼラヘムラの全地に教会を設立することをアルマに許し,またそれぞれの教会をつかさどる祭司と教師を聖任する力を彼に授けた。
アルマはどうすればよいか神さまに尋ねた
不信者は、教会に属している人たちをだまして、多くの罪を犯させた。
教会に属していながら、神さまの戒めに反して罪を犯した人を、教会は説諭しなければならなかった。
教師たちはこれらの者を祭司のところに連れていき、祭司たちは大祭司アルマのところに連れていった。
アルマは罪を犯した人たちのことを知らなかったが、彼らの罪悪について証言するが大勢いた。彼らは自分の罪悪について悔い改めをしなかった。
これまではこのようなことがなかったので、アルマは思い悩んで、モーサヤ王に裁いてもらおうとしたが、モーサヤ王はアルマが彼らを裁くように言った。
※モーサヤ王が裁かなかったのは、彼らが罪ありとされたのは、教会の戒め、神さまの戒めに背いたからであり、教会のことはアルマに権限をゆだねていたからである。
アルマは悩み、神さまの目にかなわないことを行うのを恐れ、どうすればよいか神さまに尋ねた。
(6-13節)
- 教会の説諭
- (アルマ書5章)
57)さて,良い羊飼いの声に従いたいと望んでいるすべての人に,わたしは言う。悪人から去り,離れ,彼らの清くないものに触れてはならない。見よ,悪人の名は消され,義人の名の中には数えられない。それは神の御言葉が成就するためである。神は言われる。『悪人の名が,わたしの民の名とともに並べられることはない。
58)義人の名は命の書に書き記されるからである。わたしは義人に,わたしの右において受け継ぎを授ける』と。さて,わたしの同胞よ,あなたがたはこれに対して,何か反論することがあるであろうか。わたしはあなたがたに言う。たとえ反論したとしても,大したことはない。神の御言葉は必ず成就するからである。(アルマ書6章)
3)そして,教会に属していながら自分の悪事を悔い改めず,神の前にへりくだらない者,すなわち高慢な心で高ぶる者はだれであろうと,拒まれて,その名は消され,彼らの名は義人の中に数えられなかった。
アルマに対する神さまの指示
アルマは心のすべてを神さまに注ぎだした。
それにこたえて神さまは以下の指示をアルマに示された。
アルマとモルモンの泉でバプテスマを受けた人たちは幸いである。
アルマは、アビナダイの言葉だけを深く信じたので幸いである。
アルマの民は、アルマの言葉だけを深く信じたので幸いである。
アルマはゼラヘムラに教会を設立したので幸いである。
この民は立てられ、神さまの民になる。
アルマは戒めに背いたものについて神さまに尋ねたので幸いである。
アルマは神さまの僕である、アルマは永遠の命を受けるとの聖約を受ける。
アルマは神さまに仕え、神さまの名によって出ていき、神さまの羊を集めるように指示される。
アルマは神さまの声を聞くものを神さまの教会に受け入れるように指示される。
神さまの声に耳を傾けない者を教会に受け入れてはならない。
神さまの戒めに背くものを犯した罪に応じて裁き、罪を告白し真心から悔い改めるなら、その人を赦しなさい。
あなた方は互いに過ちを赦しあわなければならない。
罪を悔い改めようとしない者はだれであろうと神さまの民の中に数えてはならない。
(14-32節)
神さまの教え
喜んで神さま(キリスト)の名を受ける民は幸いである。
わたし(キリスト)の名によって呼ばれ、神さまのものとなる。
神さまの声を聞くものは神さまの羊となる。
神さまは、神さまの声を聞くものを受け入れる。
悔い改めて、バプテスマを受け、神さまの名を信じれば、神さまから赦しを受ける。
世の罪を負うのは救い主なる神さまである。
世の人々を造ったのは作り主なる神さまである。
最後まで神さまを信じる者に神さまの右の場所を与えるのは裁き主なる神さまである。
これらの者はわたし(キリスト)の名によって呼ばれ、わたしを知るならば、進み出て、永遠に神さまの右に1つの場所を得る。
第二のラッパが鳴るときに、神さまを全く知らなかった人たちが出てきて、神さまの裁きの座に出る。彼らはイエス・キリストさまが主なる彼らの神であり、贖い主であることを知る。しかし、彼らは贖われない。そのとき、神さまは彼らに彼らを全く知らないと告げる。これらの者は悪魔とその使いのために用意された永遠の火の中に入る。
わたしの声に耳を傾けない者は、終わりの日に神さまから受け入れられない。
罪を告白し、真心から悔い改めるなら、赦しを得る。悔い改めるたびに神さまに対する過ちは赦される。
隣人が悔い改めるというときにその過ちを赦さない者は、自分自身に罪の宣告を招く。
悔い改めない者は私の民ではない。
(21-32節)
- 神さまを知る
- (ヨハネによる福音書17章)
3)永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。
- 神さまから知らないと言われる
- (マタイによる福音書7章)
21)わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
22)その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23)そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
- 耳を傾けない
- (ニーファイ第二書9章)
31)聞こうとせずに,耳の聞こえない者のようになっている者は災いである。彼らは滅びるからである。(教義と聖約1章)
14)主の腕が現される。そして,主の声もその僕たちの声も聞こうとせず,預言者たちや使徒たちの言葉も心に留めようとしない者たちが,民の中から絶たれる日が来る。
- 悔い改めるたびに赦される
- (エゼキエル書33章)
11)あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。
15)すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。
16)彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。(モロナイ6章)
8)しかし,悔い改めて真心から赦しを求めた者は,その度に赦された。
- 互いに赦しあう
- (第三ニーファイ13章)
14)もしあなたがたが人の過ちを赦すならば,あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださるであろう。
15)もし人を赦さないならば,あなたがたの父も,あなたがたの過ちを赦してくださらないであろう。(教義と聖約64章)
9)それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。
10)主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。
アルマは命じられた通りに行った
アルマは神さまの御言葉を書き記し、アルマとアルマの同僚たちはその通りに行った。
アルマとアルマの同僚たちが教会の諸事をすべて整えたので、人々は再び平和を得て、教会の諸事について非常に栄え、神さまの前を慎み深く歩み、多くの人を受け入れてバプテスマを施した。
アルマとアルマの同僚たちはこれらのことをすべて行い、力の限り歩み、すべてのことについて神さまの御言葉を教え、あらゆる苦難に耐え、神さまの教会に属していない人たちから迫害を受けた。
アルマとアルマの同僚たちは教会の兄弟たちを戒めるとともに、自分たちも神さまの御言葉により、自分たちが過去に犯した罪に応じて戒めを受け、絶えず祈るように、すべてのことについて感謝を捧げるように命じられた。
まとめ
かたくななため、預言者から聞いたことを理解しようとせず、神さまに乞い願うこともせず、信仰から離れた人たちは信仰ある人たちをだまして罪を犯させた。
誘惑はいつもそばにある。
信仰から離れる口実はいくらでもある。
狡猾な誘いに騙される人もいる。
キリストの光を大切にしよう。
おまけ
若者の中に、神の言葉(ベニヤミン王が伝えた)を会得できない者が多かった。
少しも信じない。不信仰。神の道を理解できない。心が頑。
バプテスマを受けず、全く信仰の違う者となる。罪を犯す。
祈り求めなかったから。
はじめは、その数が少なかった。
教会員の中で紛争が起こり、数が増えて、聖徒より多くなった。
教会員の中の不和は必ず教会を弱体させる。
多くの教会員をだまして、罪を犯させた。
彼らの罪に対し多くの証人がいたので充分にその罪悪を証明した。
罪を犯した教会員を教会が説諭する必要があった。
アルマはどうしてよいかわからず、モーサヤ王の所へ連れていった。
モーサヤ王は、教会に関することなので、なにもしなかった。
誤った裁きをすることを恐れて、神にどうすればよいかを伺った。
全身全霊を傾けて、神に乞い願った。
「さいわいなり」と神に褒められる。
アルマ
アビナダイの言葉のみを信ずる。
教会を立てる。
罪を犯した者について主に問うた。
バプテスマを受けた民
アルマに言われたことのみを信ずる。
喜びて主の名を受ける。
会員はたてられて、主の民となる。主の名にて呼ばれ、主のものとなる。
アルマに対する約束と命令。
永遠の生命を約束される。
(ひときわ確かなる予言の言葉)
主に仕え、主の名によって出て行き、主の羊を集めよ。
主の声に従う者は、主の羊である。主も受け入れる。教会に迎え入れよ。
「悔い改め」の証拠のバプテスマ、主を信じて教会に入る。
罪のゆるし
主は世の人の罪を負う。世の人を造り、
終わりまで信ずる人に主の右に居ることを許す。
主を知るなら、主の名にて呼ばれる。
主の声に従わない者
教会に入れてはならない。
終わりの日に受け入れられない。
真心から悔い改めるならば赦す。
民は互いに罪を赦すべきこと。
互いの罪とならないように。
アルマは主の戒めに従って裁判をした。
教会の教務を全て支配した。
おだやかとなり、栄え、神の御前に慎んで歩んだ。
多くの人が教会に入った。
アルマと同僚
勤勉、万事について神の言葉を教え、色々な艱難を耐え忍び、教会員でない人から迫害を受けた。
罪悪に応じて戒めを受け、絶えず祈ることと、万事について感謝する事を命じられた。