また、神様が行え、と命じられれば行い、行うな、と禁じられた時には素直に従う、ことで祝福を得ることが記されています。
人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
イスラエルの民は先祖が受けた祝福を忘れ、周囲の民族と交わって、彼らの神を拝み、自分たちの欲を満たすことを優先しました。
その結果、周囲の民族の支配を受け、苦しみました。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書の士師記は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
その結果、神様からの祝福を受けることができず、周囲の民族の支配を受け、苦しみました。
神様は彼らを哀れみ、指導者(士師)を与え、神様に立ち返る機会を与えました。
民が神様に立ち返ると、神様の祝福を受け、民は幸福を享受します。
しかし、指導者が亡くなると、再び、民は、祝福を忘れ、周囲の民族と交わって、彼らの神を拝み、自分たちの欲を満たすことを優先しました。
イスラエルは導くものを失い、めいめいが好きなように行動し、神様の祝福を失っていきました。
士師記から学べる3つのことをご紹介します。
士師記から学べる3つのこと:最高の勝利とは自分自身(の欲)に打ち勝つこと
2.選択の結果は自分の身に受けます
3.最高の勝利とは自分自身に打ち勝つことです
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は「あなた」が悪から遠ざかり、誘惑に負けない努力をすることを望んでおられます
ヨシュアが亡くなり、ヨシュアに従った人々が亡くなったあと、イスラエルの民は周囲の民族の正しくない生活を見習い、神様の訓戒(戒め・命令)をないがしろにしました。
そのために、神様の祝福をうけることができなくなっていきました。
その原因のひとつは、イスラエルの民が、自分たちの欲望のために、周囲の民を追い散らすことをせず、積極的に彼らと交わったことにあります。
(士師記 2章参照)
神様は、あなたが、自分の影響する範囲の中から、誘惑となるものを取り除き、常に神様を思い出せるようにしておくことを望んでおられます。
そのように努力するときに、神様はあなたの生活に多くの祝福を与えてくださるでしょう。
これが士師記から学べることのひとつです。
2.選択の結果は自分の身に受けます
神様は私たちの周りに悪があることを許されます。それは私たちが善悪のどちらを選ぶかを試すためです。
(士師記 2章参照)
もし、周りに善しかないなら、どちらを選ぶかを試すことはできません。
善(神様に近づく)と悪(神様から離れる)のどちらを選ぶかは、自分次第です。
少なくとも、自分の影響範囲の中を善で満たすことはできます。
自分で選ぶことができることは、自分がその選択の責任を負うことになります。
- イスラエルの民は周囲の民の不道徳な生活を取り入れることを選び、神様の庇護を失い、苦しみを経験しました。
(士師記 全章 参照) - ガド(スコテ)の人々、エフライムの人々は自分たちの都合を優先しました。
(士師記8章、12章参照) - ベニヤミンの人々は悪を行ったギベアの人々を守ろうと戦いを挑み、ベニヤミン部族が失われそうになりました。
(士師記20章 参照)
神様から離れることを選んだ結果を自分の身に受けます。
(すぐに? いいえ、おそらくは時間がたってから)
もし、自分の選択の結果、すぐに不利益が生じるなら、私たちはもっと簡単に善を選び、悪を遠ざけるでしょう。
しかし、それでは、試しになりません。
神様を信じているという理由からではなく、目の前の自分の利益を得る(欲を満たす)ために選ぶからです。
しかも、悪は魅力的で、一時的には、すぐに、自分の欲を満たしてくれます。
一方、善を選んでも、すぐには期待通りにはならず、苦難が訪れることもあります。
そのようなときに、神様の訓戒(戒め・命令)に従うには信仰が必要です。
目の前の結果ではなく、神様を信じている、信頼していることを示すために、なにを選ぶかを決めてください。
私たちは(自分の利益を求める、という)誘惑に負けやすいことを心にとめ、事前に善を選ぶことを決めておくほうがよいでしょう。
3.最高の勝利とは自分自身(の欲)に打ち勝つことです
サムソンは、イスラエルを守るようにという誓約をうけて生まれてきました。
しかし、彼は、自分の召しよりも、自分の欲を満たすことを優先しました。
神様から与えられた力を自分の欲や、怒りを示すために使いました。
神様は民を守り、祝福するために、ある人に力を授けることがあります。
その力を受けた人は、自分のためではなく、ほかの人のためにその力を使うようにしなくてはなりません。
サムソンは自分の欲のために、自分の召しをないがしろにしました。
(士師記 13章~16章参照)
最初にして最高の勝利とは自分自身に打ち勝つことだ。反対に、自己に負けることは、すべてのうちで最も恥ずべき、積み深いことである。
プラトン
32)怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。
(箴言16章32節)
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