父母の教えがあったので、ニーファイは神さまのことを知ることができた。
父が民のために、神様に熱心に祈ったので示現を受け、エルサレムから連れ出された。
ニーファイは人生で多くの書きつくせない苦難に遭ってきたが、神さまの厚い恵みをうけて、神さまの奥義を深く知ることができた。
ニーファイが知ったことを書き残してくれたのがこの章から始まるニーファイ書である。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第一書1章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第一書1章の要約と感想
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この章で大切にしたいところ
1.契約を交わした民は、下降したままでは、悔い改めないと滅ぼされる
4節抜粋
多くの預言者が現れて、民に向かい、悔い改めなければ大きな都のエルサレムは滅ぼされるに違いないと預言した。
2.主は憐れみ深いので、主のもとにいくものは誰でも守られる
14節
父は多くの大いなる驚くべきことを読んだり見たりした後、主に向かい、「おお、全能の主なる神よ、あなたの御業は何と偉大で驚くべきものでしょう。あなたの御座は高く天にあって、あなたの力と慈しみと憐れみは地に住むすべての者に及んでいます。あなたは憐れみ深い御方ですから、あなたのみもとに来る者が滅びるのを許されません」などと、大声で多くのことを叫んで言った。
3.主により強くされて、解放する(救われる、救い出される)力が与えられる
20節抜粋
主の深い憐れみは、信仰があるために主から選ばれたすべての者のうえに及び、この人たちを強くして自らを解放する力さえ与える。英語では、”the tender mercies of the Lord are over all those whom he hath chosen, because of their faith, to make them mighty even unto the power of deliverance”
deliver(開放する) をTopical Guideで調べる
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/tg/deliver?lang=eng
開放者を聖句ガイドで調べる
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/gs/deliverer?lang=jpn
単語や文章レベルでの感想(1節)
生まれる:be born
ある家系に生まれる、ということは、その家系に与えられた祝福を受け継ぐことになる。
神さまはどの霊の子どもをどの家系に、どの時代に世に送るかをあらかじめ決めておられる。
古代イスラエルにおいて、長子の特権というものがあった。
しかし、その特権は自動的に与えられたものではなく、その特権へのふさわしさがなければ取り上げられ、他の人(弟や別の人など)に与えられることもあった。
よい両親:goodly parents
ニーファイの両親はどんな人たちであったか。その両親のもとに生まれたことをニーファイがどう思っていたか。
よい(goodly)とは、神さまに忠実であったことを指す。リーハイとサライヤは、子どもたちに神さまの福音を言葉と模範によって教えた、模範的な父母といえるだろう。
聖書における「よい(善い・良い)」は、単なる道徳的な良さや心地よさだけでなく、「神の意志・目的にかなっていること」「神の性質に沿っていること」を意味します。創世記の創造物語から新約聖書のイエスの教えまで、一貫して「神が定めた完璧な状態や目的」を指す言葉です。
いくらかの教えを受けた:I was taught somewhat in all the learning of my father
英語には、主節と従属節があると学校で教わった。1節初めのセミコロンの前まででは、ここが主節となる。
受動態ではなく、能動態として訳すと、
「父は知っていた学問(学んだこと)の中から、いくらかを息子であるニーファイに教えた。」ということになる。
なぜ、ニーファイは、小版(大切な教えを記録する版)の冒頭にこの言葉を選んだのだろうか。
父は自分よりもたくさんの経験を積んでいた、という尊敬の気持ちを込めたのかもしれない。
これまでに行ってきたことを記録する:I make a record of my proceedings in my days
1節のセミコロンのあとでは、ここが主節となる。
1つ目から2つ目のセミコロンの間には主文がなく従属節(分子構文)のみ
having seen many afflictions in the course of my days
having been highly favored of the Lord in all my days
2つ目のセミコロンのあとの従属節は
having had a great knowledge of the goodness and the mysteries of God
そして、このあとに主節(記録を作る)が続く。
「生涯」の表現が少しずつ異なる。意図があるように思える。
ニーファイは「父の言葉で一つの記録を作る」
父の言葉・言語(the language)は、ユダヤ人が学んできたこと(the learning of the Jews)とエジプト人の言語(the language of the Egyptians)からなっている。
ニーファイの記録を理解するためには、ユダヤ人が学んできたこととエジプト人の言語を理解することが前提になる、ということだろう。
(2節)
モーサヤ1章4節には、リーハイはエジプトの言語を知っていたので、ラバンの真鍮版に記録された預言を読むことができ、子どもたちにもエジプトの言語を教えたので、彼らも読むことができた、と記されている。
また、モルモン9章32節には、歴史とともに自分たちで改良してきたエジプトの文字で記録していると記されている。話し言葉はヘブライ語、版にはエジプト文字で記録してきたようだ。
現在、ニーファイの版そのものを読むことはできないので、ジョセフスミスが英語に翻訳した文章(それを基に翻訳した日本語の文章)を読むことになる。それは手元にある。
では、ユダヤ人が学んできたことはどのようにすればわかるか。まずは、ユダヤ人がどのように記録を書いてきたかを把握する必要がある。また、その文化を知る必要もあるかもしれない。
それは容易ではない。それを学び知っている人から教えてもらうことが早道であろう。
ニーファイの証
ニーファイは自分の記録が真実である、自分自身の手(with mine own hand)で作り、自分の知っていること(according to my knowledge)に従って記録すると証言している。
(3節)
ニーファイ書は他の人に書かせたわけではなく、自分が知らないことを推測で書くこともなかった。
ニーファイが記録として残したかったのは、1節にある通り、神さまの慈しみと奥義(a great knowledge of the goodness and the mysteries of God)だろう。
ニーファイは小版を作成するにあたり、小版がどのようなものかを簡単ではあるが、しっかりと説明している。
多くの預言者が悔い改めを伝えた
多くの預言者が悔い改めを伝え、そうしなければ、エルサレムは滅ぼされる、と預言していた。
列王記下17章13節~15節には、主が預言者を通じて、悪い道を離れ、戒めと定めとを守るように伝えますが、民は、聞き入れず、神さまが彼らの先祖と交わした契約を守らず、警告を軽んじ、偶像と周囲の異邦人に従い、主の命令に背いた、と記されている。
当時のエルサレム、ユダ王国に住む人たちの大半はそのような状況にあった。
(4節)
リーハイはエルサレムに住んでいた
リーハイは ゼデキヤ王の治世にエルサレムに住んでいた。
エジプト語が堪能な商人であったのではないか
(荒野の旅もすんなりと出掛けている)
のちにリーハイはヨセフの子孫であるとわかる。ヨセフの子孫がユダ族の都に住んでいた理由としては
・南北に分かれる前から、部族を超えて交流していた
・北王国で行われたいた偶像崇拝を嫌って神殿の近くに住んだ
・商人として商取引の盛んな首都に住んだ
ということが考えられる
(1-4節)
リーハイが示現の中で見たもの
リーハイも太陽よりも明るい光が天から降りてくるのを見ている。(6-9節)
リーハイはエルサレムが滅びるのを見ながらも、神さまの慈しみ深いことに感謝を述べている。
エルサレムの民が神さまの戒めにそむき、罪悪を犯して、祝福を失い、罰を受け、国としては滅びてしまうが、そのなかでも、儀い心を持った人たちは導きを受け、バビロンに連れて行かれることで守られることを見たからかもしれない。
後の世に多くの人が救いを得るのを見たからかもしれない。
(13-15節)
リーハイの宣教とその結果
1人でも救われてほしいという願いから、リーハイは民の中に出て行って、救われるために、救い主を信じて悔い改めるように述べ伝えた。
しかし民は、自分たちは選ばれた民であり、モーセの律法に従っている義しい民であるから、神さまの力で守られている、として、悔い改めを述べる預言者やリーハイの言葉を信じようとせず、かえって、命を狙うまでに頑なになっていた。
(18-20節)
モロナイ書9章
4)見よ,わたしは絶えず彼らに働きかけている。しかし,わたしが厳しく神の御言葉を告げると,彼らは身を震わせてわたしに対して怒り,また,わたしが厳しく言わないと,神の御言葉に対して心をかたくなにする。だからわたしは,主の御霊がすでに彼らを励ますのをやめているのではないかと心配している。
神さまの備えは厳密につながる
のちに明らかになるが
ダビデ王の血統がアメリカ大陸へ行き
ヨセフの子孫によって守られ
福音を学ぶことになる
リーハイはヨセフの子孫でありながら
エルサレムに住んでおり
エジプト語が使いこなせ
荒野に出る前に4人の性格が異なる息子たちがいて
自分の知っていることを教えていた
旧約聖書の記載にもつながる
神様の備えは緻密につながっていることがわかる
おまけ
・・・扉・・・
ニーファイ自身の要約
小版を書く前に記したとすれば、ニーファイは大版を見ながら小版を作ったと考えられる。
エルサレム出発後30年過ぎてから作りはじめている。
(1Ne9,2Ne5:30)
このとき父リーハイは死んでいる。
INe1:17父の記録の抄録はINe10:1でニーファイ自身の記録に変わる。
・・・1章・・・
ニーファイは父の知っていた学問の中からいくらかの教えを受けた。
リーハイはエルサレムで多くの学問を受けた。
子供たちに必要なことは教えた。
ユダヤ人の学問とエジプト人の言葉。
ニーファイは多くの艱難に逢ったが、どんな時にも不平は言わず、
感謝の気持ちがあった。それで、より多くの祝福を受けた。
自分で神の恵みと奥義とを深く知った。(証)
リーハイはヨセフの子マナセの子孫。
エルサレムに住む。豊かな富を持つ。
信仰が篤い。
エレミヤの不吉な予言
エルサレムの人々の罪悪を非難する。
人々には受け入れられない。
リーハイはその予言を聞いて、エルサレムの人々の為に祈った。
リーハイはなぜ祈ったのか。
民のため・・民が悔い改めるようにか、
神の裁きが和らぐようにか。
エルサレムが滅びないように
義人の祈りにより守られる。(アルマ10;23)
祈っていたときに何を見たのか。
たいそう恐れて震えること、とは何か。
リーハイはこれより前に示現は受けていなかったのか。
「みたま」により、力が尽きていた。
霊的な経験には、力がある。
示現
天父が御座の上に座したもう。
御子が天からおりてきて地上を歩く。
使徒が天からおりてきて地上を歩く。
御子がリーハイに見せた「本」とは
エルサレムの滅亡の予言
多くの偉大な驚嘆すべきこと
リーハイは「本」を読み、御業を知って喜びが満ちた。
1Ne1:14-15
御業を知ることはたとえようのない喜びである。
たとえ祖国が滅びるということが記されていても。
リーハイの伝道
ユダヤ人の罪悪と憎むべき行い。
救い主と贖い
について証をした。
エルサレムの人々はリーハイを殺そうとする。
恐れずに主の命を守ったので、
リーハイの家族はエルサレムを出ていくことを命じられた。
おまけ2
Q)1Ne1:13-15リーハイはエルサレムの忌わしい行いを見、民がバビロンにつれていかれるのを知り、エルサレムが滅びるのを見て、なお、主を賛美し、喜びで満たされています。自分の親戚や友人や尊敬する予言者や住み慣れた都が、そのようなめにあうのを見ながら、喜びに満たされたのは、なぜなんでしょう。
A)永遠の観点に立てば、この世的な苦難(失敗)にとらわれることなく、霊的に救われること(成功)に目が向き、身近な人たちが苦難に遭うのを見ても、この経験は、謙遜になって悔い改め、救いに至る道を選ぶようになるチャンスであり、彼らにとっても喜ばしいものである、と感じることができる、ということでしょうか。そして、忌わしい行いをする彼らにも、悔い改めるように望まれ、救いの手を差し伸べておられる主に感謝する気持ちでいっぱいになったのでしょうか。
Q)1Ne1:20主の憐れみは信仰を持つものに自らを解放する力を与える、とありますが、何から解放するのでしょうか。
A)殺されそうになったリーハイとその家族が荒れ野と約束の地へ開放される(救い出される)と読むのが自然でしょう。そうやって考えると、エルサレムにいるリーハイの命を狙う者から解放されることだと思います。主は驚異者から逃れる知恵をリーハイに授け、解放したのだと思います。
2章になると、不平を言いながらついてくる2人の兄と積極的に父を指示する2人の弟がでてきます。兄さんたちの気持ちはよく分かります。「そんなことできないって」「私には無理だ」「夢物語だよー」という気持ちは、よく分かります。ニーファイは、自分で証を得ようと努力しました。その結果、証を得、兄たちのように不平は言いませんでした。指導者、予言者の言葉をうのみにして、自分で証を得る努力がないと難しいとき、苦しいときに、不平を言ってしまうのですねー。ニーファイの態度を見習いたいと思いました。
8章に有名な「命の木の示現」があります。はじめに暗黒の中にいたリーハイが、主の憐れみを求めて祈ったところ、命の木を見ました。世の惑わしや世の罪の中にいて暗闇を感じ、憐れみを求めて祈り、イエス様を身近に感じる、ということを示しているのかと思いました。実を食べた人をさげすむ人、木の実を食べて恥じる人、について読んで、あの時のあの人の態度はこれだ、とわかりました。他の大勢の人の状態についても考えると、この夢は、この世を示しているとわかりました。