モルモン書・ニーファイ第一書9章の要約と感想

ニーファイ第一書9章には、ニーファイが神さまの命令に従って、二組の版を造り、ひとつには民の歴史、もうひとつには民への務めと預言を記録したと記載されている。

  • ニーファイは、なぜ二組の版が必要になるのかを知らない。
  • 神さまはその理由を教えていない。
  • しかし、ずっとあとになって、ひとつの理由が明らかになる。
  • 翻訳者が歴史記録の前半部分を紛失し、その代わりとして、民への務めと預言の部分を翻訳することになったのである。
  • ニーファイは、二組の版を造り、モルモンは歴史の抄録を造った。モルモンも抄録作業ははじめてだったろうから、初めの作業は練習となり、翻訳者にとっても、初めの部分は練習となっただろう。

神さまは、はじめからそのことをご存知で、準備をされていた。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第一書9章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第一書9章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・ニーファイ第一書9章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第一書9章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第一書9章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

リーハイは多くの示現を受けた

リーハイは、レムエルの谷で暮らす間に、子どもたちに多くの示現を受け、子どもたちに話していた。
(1節)

ニーファイは二組の版を作った

ニーファイの小版は、ニーファイが約束の地に着き、リーハイの死後、レーマン・レムエルと別れた後(エルサレムを出てから30年後)に、神さまの命令によって作られた。
(ニーファイ第一書19章1節-3節、ニーファイ第二書5章28節-31節、参照)

ニーファイ第一書19章1節-3節を見る
ニーファイ第二書5章28節-31節を見る

ニーファイはまず歴史を刻むために大版を作り、そのあと、民に対する務めを刻むために小版を作るように命じられた。

詳細な歴史の記録の中とは別に、のちの民に必要なことを伝えるために、霊的な事柄を中心に記録を作成した。

一度で完全なものはできない。練習を重ねた後、よいものができることを神さまはご存知であった。

それは、翻訳者の練習と、失敗に備えるためのものでもあった。

ニーファイには目的は教えられなかった

「主はある賢明な目的のために、わたしにこの版を造るように命じられたが、その目的はわたしには分からない。」
(5節)

ニーファイには、労力がかかるから、めんどだから、すでにひとつ作ったから、理由がわからないから、という言い訳はない。

神さまからの命令があれば、自分にできる最善をつくす、ということだけである。

神さまはすべてをご存知であらかじめ用意をされている

神さまは初めから終わりまですべてをご存知である。

ご自分の業は、人に不死不滅と永遠の生命を与えること。

そのために方法を備え、ご自分の約束をすべて行われる。

わたしたちは、
 その権威をお持ちの方を信頼し
 従うことで

神さまがわたしたちに与えてくださるすべてを得ることができる
(6節)

おまけ

20代のころに書いたメモ

ニーファイの版に2種類あること  2Ne5:30
 大版 民についての完全な歴史記録(王の治世、戦争、不和)
 小版 民についての教務記録

みこころが何であるかはわからないが、ニーファイは信仰によって、
 主の命に従い、主に頼る。
 ニーファイにとっては、主が命じたもう、という理由で充分である。

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モルモン書・ニーファイ第一書9章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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