こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第一書8章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第一書8章の要約と感想
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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- その木は、救い主を示し、その実は救い主の祝福を示している。
- その木(救い主)のみもとに行く道には鉄の棒がのびており、人々はその鉄の棒をつかんでやってくる。
- その実(祝福)はどんなものよりも人を幸福にする。
リーハイが受けた示現の中で、レーマン・レムエルはその実を食べなかった、ので、二人のことを心配して親の情愛をこめて、神様に従うようにすすめた。
リーハイたちがレムエルの谷でしていたこと
リーハイたちがレムエルの谷にどの程度の期間とどまっていたかは記録にないが、荒野を移動するための準備として、あらゆる穀物と果物の種を集めていた。
リーハイ家族とイシマエルの家族、そして、ゾーラムが親しく交わり、福音について語り合っていたものと思われる。
その中でリーハイは、世界と命の木の示現を見る。
(1-2節)
リーハイの示現
リーハイは、
白い衣を着ている人から従うように導かれ
暗闇にいることに気がつき、
憐れみを求めて祈り
神さまの愛を見出して
その限りない甘さを味わい
非常に大きな喜びに満たされ
ぜひ分かち合いたいと望む
(5-12節)
命の木に至る道
命の木である
救い主イエス・キリスト
に至る道は狭い
見出す人は少なく
目をくらませる誘惑も多い
惑わされずそこに辿り着くには
鉄の棒である神さまの言葉に
しっかりと掴まりながら歩み
さまざまなあざけりを
神さまへの信仰と
神さまの愛を味わうことで
はねのけて
最後まで進むしか方法はない
(19-25節、27-34節)
すがるだけではなく、しっかりつかむ
木の実を食べた人には、
鉄の棒にすがりながら来た人たちと
しっかりつかんできた人たちがいた
前者は、木の実を食べた後、あざけられたために
恥じずかしくなり、禁じられた道に消えてしまった。
しっかりつかんできた人は、ひれ伏して木の実を食べ
まわりのあざけりに気を留めないでそこにとどまった。
(24-34節)
リーハイは父親としてレーマン・レムエルを心配している
示現の中で、リーハイは家族にも木の実を食べてほしいと大声で呼びかけた。
サライヤとサムとニーファイはリーハイの呼びかけに応じて木の実を食べたが、
レーマンとレムエルは来て食べようとはしなかった。
そのため、リーハイはレーマンとレムエルの行く末を案じ、
親の情をこめて二人に自分に従うよう、
神さまの命令に従うようにすすめた。
(3-4節、35-38節)
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